わたしを“わたし”に戻してくれるスキがある
書きたいことが、たくさんあり過ぎて…
指も時間も、いつも追いつかないけれど
そんなとき。
いつも
わたしを“わたし”に戻してくれるスキがある…
これが、どれだけありがたい事なのだろうと、
最近深く噛みしめています。
ときどき、突っ走りそうになるとき…
「原点」に還してくれるスキがある。
ときどき、仕事優先になりそうなときや
ふと孤独を感じるときにも
「素=わたし(愛)」に還してくれるスキがある。
noteは、そんな風に
それを、ずっと前から感じていたのですが
これを、きちんと言葉にするのは初めてかもしれない…
ふだん、書かれていなかったとしても。
確実に、その「一」が誰かを勇気づけ
確実にそのひとを「自分」に戻してくれるチカラにもなれるんだってこと…
なんとなくお伝したくて、今日本当は別に用意していた記事も
あったのだけれど
なんだか“御礼”が先だと、急にしたためています。
わたしは、そんなふうにこれからもnoteを使っていきたい。
わたしは、「仕事」になると、あまりにも本気になりすぎて
“ほんらいの自分”を忘れてしまうことがあるけれど…
もちろん、それも“自分”だけれど
「仕事=ひとのため、世のため」のベースを支えているものは
きちんと必ずその器である「自分」を愛せているか?が先だから
あえて、仕事に突っ走りそうになるときほど、時々こうして
思い出していたいなと思います。
この、原点…
真面目になりすぎる人ほど、どこか気をつけて…
わたしは、今日も「自分が」書きたいから書くのだ。
ときどき「何のためにnoteを始めたんだっけ?」なりそうなときには
きちんと原点に還って。
“ただ、書きたいから”
どんな人にも、こんなシンプルな気持ちがあったはず。
でそうして、続けていくうちにどんどん自分の「軸」も見えてきて
深堀りされていくのが、ほんらいの生き方だと思うんだ。
(つまり、方向性は“動く”し“動いていく”もの♪)
流動する部分と、ずっと変わらない部分「両方」携えて、生きていけたなら
ひとはもっと“ほんらい”の自分に近づけるのだと思います。
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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