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音楽家のエッセイ

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#音楽

故郷の代わりだった場所のこと

故郷の代わりだった場所のこと

故郷を持たない私には、
たとえば生家が取り壊されたり、天災によって帰る場所を失ったりする辛さはわからない。

幼少期から各地を転々としていた。
出会う友達や土地とは、愛着を抱いたが最後、もれなく別れが待っていた。
幼いながらに抵抗したような記憶もあれど、そのうち、諦める癖がついた。

だがしばらく生きているうちに、
愛着のある場所と出会う機会に恵まれた。

そんな私にとって特別で、最も愛着のある"

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頬を殴る芸術ー自己破壊、自己変革としての勉強

頬を殴る芸術ー自己破壊、自己変革としての勉強

学ぶことは常に恐ろしい。
今この瞬間知り得ることによって成り立つ自分自身を乗り越えないことには、
新しい可能性に目を開くことは不可能だ。

古い皮を脱ぎ捨てることでしか自由になれない、という感覚は年々強くなる。

先日、ケンタッキー州ルイビルで、
デモの最前線に列をなし、Black Protestor達を守るように立ちはだかる白人女性たちの写真を目にした。

"This is what you d

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I am weak but I can sing -"Singing Reed"

I am weak but I can sing -"Singing Reed"

"Singing Reed”は2014年に生まれた。
それまでの作曲は常に誰かに編曲をしてもらったり演奏をしてもらっていて、
やっと自力で曲をかけるようになってから書いた、2曲目の曲だ。

Blais Pascal(1623-1662)の人間は考える葦であるというフレーズにちなみ、
私は弱き葦でしかないが歌う葦である、と歌っている。

思えばこの曲が創作の原点にあった。
今も変わらず、同じことを形

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信頼と回復

信頼と回復

いま録音している曲について。思うところあり、筆をとる。

先日、デモを録音したところ、
口に出せない言葉が入っていることに気づき、まるで縁に立っているような歌声が録れた。
当たり障りのないテイクで覆い隠したいところだが、もうせっかくだから恥ずかしげもなくそのまま残してしまうか、という気持ちでいる。

自分で書いた曲なのに、自分で書いた言葉に現在の自分自身を問われる状況は、少しおかしい。

この曲を

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声と身体とストイックのこと

声と身体とストイックのこと

声と身体について。思うところあり、備忘録。

わたしが断酒と筋トレをはじめたのは2011年1月1日。
あれから今日で1970日。
ザ・三日坊主、何をやってもすぐ飽きる根性なしから一歩抜け出して、あれほど憧れていた"ストイック"という形容を、おでこに貼り付けても恥ずかしくない生き方ができつつある。
やりたいことをやる。やると決めたら、やる。裏切りたくない人を裏切らない、その前に自分を裏切らない。

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曲を人にみたてることとインタラクションについて

曲を人にみたてることとインタラクションについて

表現とはなんだろうか。
こんなところでぼんやり問うてみたところで、むろん容易に答えはでない。

気がつけば、音楽を教え始めてから10年の月日が経過している。ど素人の状態から始めたレッスンがここまで長く(もちろん、か細くではあるとしても)続くとは当時のわたしも予想していたんだかしていなかったんだか、どうにも思い出せないが、とにかく、当初から変わらぬポリシーとして持っているのは"講師は仲人である"(そ

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しずかでいること

しずかでいること

音楽を教えているくせに、わたしには音楽を聴く趣味がない。自宅にはスピーカーもなければイヤホンも端末についてきたものを永らく使用している。
音楽を聴くのは主に、生徒さんのために曲を探しているとき。娯楽としてではなくどちらかというと分析するために聞く。その曲がその曲である所以を言語化するために聞く。たいていは、一度聴いておしまいになる。一度確認したら、そこから先はメロディとコードと、紙とペンと鍵盤の出

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