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しずかでいること

音楽を教えているくせに、わたしには音楽を聴く趣味がない。自宅にはスピーカーもなければイヤホンも端末についてきたものを永らく使用している。
音楽を聴くのは主に、生徒さんのために曲を探しているとき。娯楽としてではなくどちらかというと分析するために聞く。その曲がその曲である所以を言語化するために聞く。たいていは、一度聴いておしまいになる。一度確認したら、そこから先はメロディとコードと、紙とペンと鍵盤の出番だ。そんなわけでわたしのiTunesの再生回数の箇所には1が並んでいる。

ひとは、どんなときに音楽を聴くのだろうか。つくった音楽を聴いてもらい、liveに足を運んでもらっているが、そういう方々がどういう気持ちで耳を傾けてくれているのか、実際のところわたしには想像がつかない。

かなしいとき、悔しいとき、苦しいとき、わたしは曲をつくる。あるいは歌ったり弾いたり叩いたり、演奏をする。
スタジオを離れた日常においては、どちらかというと、しずかでいることに価値を置いている。

うれしいことがあったときは、無音で一人に限る。リラックスタイムには、筋トレをしたり瞑想をしたりするが、このときもしずかにしている。
勉強が好きでよく机に向かうのだが、集中したいのでやっぱりしずかなほうがよい。しずかにしているほうが幸せでいられる。

そういうわけで、わたしにはあまり音楽を聴くことを必要とするタイミングがない。ひとは一体、どんなときに音楽を必要とするのだろうか。

#エッセイ #音楽家のエッセイ

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