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声と身体とストイックのこと

声と身体について。思うところあり、備忘録。

わたしが断酒と筋トレをはじめたのは2011年1月1日。
あれから今日で1970日。
ザ・三日坊主、何をやってもすぐ飽きる根性なしから一歩抜け出して、あれほど憧れていた"ストイック"という形容を、おでこに貼り付けても恥ずかしくない生き方ができつつある。
やりたいことをやる。やると決めたら、やる。裏切りたくない人を裏切らない、その前に自分を裏切らない。少しずつでもいいから毎日続ける。妥協しない。仮に今日で人生が終わりでも後悔しないか、と毎晩己に問う。

なぜ、ストイックに憧れていたのか?
理由はいろいろあるけれど、小学生の頃に出会ってからずっと踊りを続けている自慢の友人の存在は大きい。
小学生の頃から演劇のグループを立ち上げて脚本を書いてみたりサッカークラブを作ってみたり小説を書いてみたりミュージカルに出てみたりしては次々と飽きて辞めるわたしの横で、彼女はずーっと踊り一筋。とにかく根性がある。子供心に、きっと彼女とは脳の発達部位が根本的に異なるのだろうな…と思っていた。
彼女の踊りの発表会は、わたしの恒例行事。この歳になっても、年々、筋肉が美しく、表現がゆたかに、そして巧くなっていく。2011年以降、古武術や解剖学をを勉強し自分で身体を使うようになって、その凄さがやっとわかってきた。生き物としても、人間としても、女としても文句なしにかっこいい。

そんな20年弱?の付き合いの彼女と、先日は初めて2人でスタジオへ。
アカペラの歌に、踊りを合わせてもらった。
そのときの感動たるや。やっと、共同作業ができる。去年のわたしには無理だったこと。

声と身体。たったそれだけで完結させる表現。
エフェクトをごりごりに使うバンドもやっているけれど、声と身体だけになったときに何もできないなら、どんな道具も活かせるわけがない。
改めて、声と、自分の楽器である身体をもっともっと知りたいと思った。理論だけではなく、感覚だけでもなく。

5年やってわかったこと。ストイックは性格ではなく、 日々の選択。

自分の短い人生を使って、どんな景色をみることにする?

#エッセイ #音楽家のエッセイ

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