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人の音楽人生を支える倶楽部

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レッスンの気まぐれな足跡
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#音楽

感情を持ち歩こう。はじめての曲のつくりかた ver.1.0

感情を持ち歩こう。はじめての曲のつくりかた ver.1.0

私のレッスンでは、主に洋楽カバーやアレンジを教えていますが、
自分で曲をつくるチャレンジをしている生徒さんに対して
詩を書く宿題をだすことがあります。

どうやって書けばいいの?どうやっているの?と質問をもらうことも多く、毎回プロセスをご紹介するわけですが、
私のところに来てくれている生徒さんたちに限らず
どこかの誰かの役に立つ可能性もあるかなとnoteにまとめてみます。

なお、もちろん詩から曲

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17年目に向けて、音楽と

17年目に向けて、音楽と

祝、16年!

2006年12月23日。
教室で初めてのライブを企画してから、なんと16年が経ちました。

思いついた時には、まさかこんなに大人になるまでレッスンを続けているとは思いませんでしたが、
さまざまな人やご縁のおかげで、細々と続けることができています。

グループレッスンから始まり、
スクールで教えていた時代を経て、
数え切れないほど多くの人の歌声を見る機会に恵まれました。

一つに見え

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心身のreadinessと丸腰の豊かさ

心身のreadinessと丸腰の豊かさ

常にタスクを大量に抱えて本番に追われている生徒さんが、おそらく10年ほどの付き合いのなかで初めて、手ぶら丸腰でレッスンにやってきた。

いろいろな曲をさらった。
根つめて、じっくり向き合った曲。
Live前に最低限、かじった曲。
あの時の自分を、連れてくる曲。
どのテイクもちゃんと彼女の今を表していた。

等身大でいきたいと願っても、常にそれが実現できるとは限らない。

心身のreadinessに

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久しぶりのレッスン

久しぶりのレッスン

1年と少しあいたレッスン。
新しい曲の準備もしておきつつ、結果として過去に取り組んだ曲の録音に時間を費やした。
声や雰囲気にぴったりの、素敵なアレンジをしてきた曲。

自分の体をコントロールして、曲を作り上げる体験は何事にも変えがたい。そんな経験の伴走ができて嬉しい。

曲がりなりにも先生なので、意義があったと思ってもらえるようなことを言ったりもしたいのだが、
何しろすべての生徒さんのファンになっ

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すべてのバージョン

すべてのバージョン

Open Lesson覚書。

ハーモニーについて、と今回はリクエストがあった。
そもそもなぜ人類は一緒に歌い始めたのか?疑問に思って宿題をしてから臨む。

円になって、順番に発声したランダムな音をルートと見立て、和音をどんどん組み立てていく。隣の人の、声だけを頼りに声を出す。

お互いの声に"耳を澄ます"ことは、実は高度な技術だ。

己の解釈とは違う"音"を、一人ひとり異なる感性を、すべてのバー

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郷愁と、再会

郷愁と、再会

Open Lesson備忘録。

数年前に歌った曲を歌う。
不思議なもので、その瞬間に心身が過去に連れ去られ、忘れていた感覚や感情が呼び覚まされる。

きちんと時間をかけて取り組もうと努力し血肉となった曲は、数年後に再会したとき、郷愁をもたらしてくれる。
そしてまた、その当時には見えなかった新しい側面も発見することができる。

曲は無機物なので変わらず、鏡として在り続ける。
人が、変わる。
新しい

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練習の目的

練習の目的

Open Lesson備忘録。

社会的発話を身につける以前の発声を、便宜的に"表のハミング"、と呼んでいる。

かつては誰もが全方位性の発声を使いこなしていた。社会性及び言語を獲得する段で、忘れ去ってしまう発声。
フランチェスコ・タマーニョが死後、解剖された時、特筆すべき点は声帯のタコくらいのものだったという。
わたしたちの楽器は、元来極めて平等なのだった。

表現が豊かである、ということはどう

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制約/必要条件の再考について

制約/必要条件の再考について

Open lesson 備忘録。

物理的制約がある"腕"を用いて、無形の"声"のコントロールを試みるということを、たびたび推奨している。
たったそれだけで、漠然とした響きに芯が通り明確なアーチができる。楽器としての身体が歓び震える。

その光景を、今まで幾度目撃したかもう判らないが、何度体験してもこれはいいものだ。
カオスの中から、人の手に凝って弱々しく爽やかなコスモスの出づること。

今日は

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記号の向こうに広がる世界

記号の向こうに広がる世界

Open Lesson備忘録。

聴こえた音をひろうワークの最中、
理論的な解説で"わかった"と思った瞬間に、ほんの少し予想外の和音を全員が聞き取れない、ということが起こった。

記号に縛られると、目の前の空間にあるはずの音が聴こえないことがある。

音楽は、ひとつの言語だ。
新しい言語を知ることは、新しい世界観を知ること。

音楽でも英語でも数学でも、新しい言語を学べば見知ったつもりの世界とは全

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曲を人にみたてることとインタラクションについて

曲を人にみたてることとインタラクションについて

表現とはなんだろうか。
こんなところでぼんやり問うてみたところで、むろん容易に答えはでない。

気がつけば、音楽を教え始めてから10年の月日が経過している。ど素人の状態から始めたレッスンがここまで長く(もちろん、か細くではあるとしても)続くとは当時のわたしも予想していたんだかしていなかったんだか、どうにも思い出せないが、とにかく、当初から変わらぬポリシーとして持っているのは"講師は仲人である"(そ

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なぜ?に答える声

なぜ?に答える声

編曲を教えている。
こう話すと、座学で理論でも勉強しているのかと思われがちだが、レッスンの中身は対話と声を出す時間、身体を動かす時間だ。

楽曲は、完成されたものではあり得ない。
どんなに練度の高い曲も、生身のパフォーマーや器を介することではじめて曲という概念に昇華する。

最後に器を差し出す人間が、曲を曲たらしめるのだ。
それなのに、どうしてわたしたちは他人の肉体や声によって完成された曲を、まる

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判断軸を取り戻す時間

判断軸を取り戻す時間

9月もたくさんの時間を生徒さんたちと過ごした。
わたしのレッスンには共通カリキュラムがないので内容は十人十色。

音楽理論に初めて触れて、記号としてのコードとその奥にひろがる世界に心をふるわせるレッスン、譜面の書き方を思い出しながら、絵を描いてみたりして自分を知るレッスン、イタリア語を逆に教えてもらいながら、英語との違いをたのしむレッスン、大好きなアーティストの曲を自分のものにするためのレッスン、

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Iを歌うこと-あるいは表現の源

Iを歌うこと-あるいは表現の源

英語の歌や編曲を教え始めて十数年間。

未だに、毎レッスンで尊い経験をさせてもらっている。
かつては、ひとつレッスンが終わるたびにひと記事、覚書のblogを更新していた。すべてウェブ等と一緒にクローズしてしまったけれど、思うところあり、また気まぐれに言葉にしていく。

わたしたちは、どんどん、器用になっていく。
自分より優先すべきものが増え、押し殺しているという意識もないままに、静かに個人的欲求を

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