見出し画像

制約/必要条件の再考について

Open lesson 備忘録。

物理的制約がある"腕"を用いて、無形の"声"のコントロールを試みるということを、たびたび推奨している。
たったそれだけで、漠然とした響きに芯が通り明確なアーチができる。楽器としての身体が歓び震える。

その光景を、今まで幾度目撃したかもう判らないが、何度体験してもこれはいいものだ。
カオスの中から、人の手に凝って弱々しく爽やかなコスモスの出づること。

今日は準備した曲もあったが、
その場で思いついた曲もあり、音源を流してその場で選んでもらった。
ミニマムでsoloを割り振り、各々がどんな表現をつけるか?と、具体的なプランを立て、試してみることができた。

時間にするとほんの数十分で、
なんとなく口ずさめる、リズムと言葉があっている、というところから、
"表現"といえる地平までぐっと、引き上がる。
模倣ではなく、表現。

表現は、選択だ。
それはなにかを切り捨てることであり、なにかを守ることである。

他人の書いた歌詞ですらきちんと向き合うのは気恥ずかしいのに、
自分で音楽をつくる人はどれほど真剣に身を切っているのか、と、とある女性が言う。

その通りだ、と思う。と同時に、本当にそうだろうかと、自問自答する。
真摯であることは必要かもしれない。しかし、果たして、身を切らずして素晴らしいものを創ることはできないのだろうか?犠牲を伴わない創造はないのか。

喪失の副産物として、平穏を音楽を得た。
わたしにとっての音楽は、確かに喪失であると同時に平穏そのものである。
ただそのことは、今後も必要条件であり続けるのだろうか。

問い続けなければならない。

表現は、決断だ。
それはなにかを踏みつけて、なにかを愛することである。


❄︎本日のメニュ
warming up
呼吸のこと
機材のこと-声に合うイコライジング
音楽的言語としての英語-音節と音符の関係、ロックの系譜
響きについて-動物としての発声と社会的発話
♩Englishman in New York
♩Try -soloの表現。first impressionに基づいて表現のプランを練る

♩次回のOpen Lesson:4月6日土曜日
https://goo.gl/forms/wPMSitVUEaAW5Oa92

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?