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そんな話


…これは32歳の頃、
13ヶ月ほど同居した彼女との話しである…



16歳〜27歳までに4つのロックバンドでボーカル&ギターをやった経験のある僕は、基本的にずっと夜型人間で生きてきた。

中学の頃から過度な不眠症なのでちょうど良い。


バンドは辞めていたが、
ソロ活動などの音楽関係の仕事をしていた僕は相変わらずの夜型人間。
この頃は朝6時頃に眠り11時頃に起きるリズム。
幸い同業者の彼女も夜型人間で、
朝8時頃に眠り、昼頃に起きたり寝てたり…


僕は同居した女性が8人ほど居るのだが、
僕より先に眠らない人は後にも先にも彼女だけ。



僕にはそれが実に心地良かった。



自分が眠る時に、
起きている人が静かな音を立てたり…
とにかく入眠時の妙な静けさが苦手で、
起きている人が近くに居て不規則な音や存在感が在ることは実に心地よく、
入眠時の子守唄のようで、
綴やかに穏やかに揺蕩うように夢の中へと誘い、深海まで沈み込み水面の蒼をジッと見上げるような静かな安眠をくれる。


ほぼ常に、
目を閉じても数時間は眠れず、
眠れたとしても質の悪い浅い眠りで、何度も目覚めては幾つもの夢を見る日々。

彼女がくれた安眠は僕にとって手放したくない穏やかな日常だった。



因みに僕も彼女も睡眠時間は5時間がベストのショートスリーパーだった。


お互いが帰宅してからの深夜の戲れは、
本当に楽しい、僕と彼女が見た光。
月光でも蛍光灯でもない、
ましてやホタルのヒカリのような儚げなものでもない、
真夏の青空の下ではしゃぐような、
網を持つ麦わら帽子とセミの声も、
水玉の汗に冷たいサイダー…

ひまわりがうなずくような、
そんな光だ。

深夜の宵闇の中にも、
そんな清々しい灯りがあの部屋にはあったのだ。




それでも、
二人で暮らして居ればいろいろある。

仲良しだったが、
そりゃあ、いろいろある。



その夜は、
僕の心の内側にある闇に触れる話しに折り合いがつかず、
彼女は落ち込み、
僕は苛立ちながら黙り込む。

そんな夜だった。

当時彼女は、
真夜中の空き時間にパンケーキやクッキーなどの洋菓子を焼くことがよくあった。



不機嫌に黙り込む僕、
何故か自分の部家に戻らずリビングの床に座り、壁にもたれて片膝を立てて観葉植物を見ていた。


「ふー」


何処かしら軽やかなため息を吐いた彼女はキッチンへと歩き、何か作業を始めた。

LDKなので同じ空間、
会話はない。

どうやらまた洋菓子を作り始めたようだ。



僕は、
無造作に壁に立て掛けてあった安物のギターに手を伸ばし、弾き初める。

考え事をしながら弾いていた指先は、
気付けば不思議なことに彼女のオリジナルソングを奏でていたようで、
その演奏に合わせた彼女の鼻歌が僕の耳に届いた時、そのことに気付いた。

そう、
喧嘩をしたワケではない。

彼女か僕の心の内側に触れたのも、
僕に寄り添ってくれてるってことを僕は知っていたし、
そのことを彼女も解っていた。

甘い香りが部屋を包む。

何らかの洋菓子を焼いているようだ。

疲れていたので、
ピーナッツバター食べたいと思ったが、この香りはココナッツかな? 


…ん?
焼き上がったら食べる気しかない僕は、
1時間も黙り込んで何を拗ねてるんだろう…
でも、
僕からは口を割れない、
そういう場面だ。


焼き上がった洋菓子をテーブルに置き、
「あちっ…」
と言いながらひとつ手に取った彼女はソファに深く座って、焼き立ての洋菓子を
「ふー、ふー、」
と息を吹きかけて少し冷やしている。

ふと目が合う。


「ん!」


テーブルの上の洋菓子を指差した彼女。

そう、
食べろという意味だ。


…コトン…

ギターを床に寝かせ、
すーっと床を滑りながらテーブルまでの2メートルを移動する。 


パウンドケーキか…

手に取り香りを確かめる。





「何や小声で、
いい匂い…て!
いただきますやろ?」

と、
笑われた。


「うん、
いただきます。」



あゝ
美味しい…


程良い甘さ、温かさ、くるみの食感。

焼き立ての洋菓子は本当に美味しいが、
彼女の焼く洋菓子には、売り物では味わえない美味しさがある。
そう、
それは決してお金では買えないもの。
あらゆる意味で、
お金では買えない。




涙がこぼれた…






どんな話しをしていたのかなどの詳細は記さないが、
僕は心を閉じていた。
誰にも解らなくて良かったし、
触れて欲しくなかった。

頑なに閉ざした闇が、
はちみつの香りと一緒に溶けていく…


気付くと彼女は僕を背中から抱きしめてくれていた。

右肩に頬を寄せる彼女から、
僕の頬に僕の涙とは違う塩水が流れた。


彼女は何も言わなかった。


僕はパウンドケーキを頬張った。






何も言わずにパウンドケーキを焼き、
僕の奏でるギターに合わせて鼻歌を口付さみ、
パウンドケーキを食べながら涙を流す僕を無言で抱きしめて泣く彼女…
言葉なく、
決して僕の泣き顔をのぞき込んだりはしない…










こんないい女は他に居るはずがない。





なぁ、


そうだろ?







彼女は天使。
僕のために地上に舞い降りた天使。







彼女は僕を救ってくれた。

そして今も、
僕を支えてくれている。


交際は3年。
同居は13ヶ月.。

時間は過ぎてしまったが、
僕たちは終わってない。


それは、
独りよがりではない。

彼女も同じ気持ちで今を生きている。

別々の場所で、
別々の人生を、
別々に生きているが、

僕と彼女は今も繋がっていて、
支え合って日々を生きている。





あの時間は永遠だ。











解る?














本当に素晴らしい恋をして、
本当に素晴らしい時間を過ごした。

そんな話。







〜パウンドケーキ頬張ってた時に流れてた壊れそうなメロディー〜








32歳の頃の、
今も終わらない、
心と心の繋がりの深さ、

そんな話。












今宵はここまで。



















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