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ダダイズムをわかりやすく解説!作家・作品、シュルレアリスムとの違いなど

私はこれまでシュルレアリスムにまつわる記事を山ほど書いてきました。また半狂人になりながら(シュルレアリスムの代名詞的な技法である)自動筆記で作品を作っている。たまに友だちから「おい!大丈夫か!」と電話がきたりする。

それほどまでに、その哲学や概念に魅了されているわけだ。このシュルレアリスムの源流に当たるのが、1916年にスイスで生まれた芸術運動の「ダダイズム」だ。本来はヨーロッパ読みで「ダダイスム」と読むが、ここでは一般的な「ダダイズム」とする。

ダダイズムは実質的8年だけの運動だが、そのインパクトはやばかった。例えば創作をするうえでの命題に「アートとクリエイティブの境目ってどこ問題」がある。このテーマは、ダダイズムなしには語れない。つまり「芸術ってなんだっけ?」「創作ってなんだっけ?」をあらためて世界に問いかけた運動がダダイズムなのだ。

今回はそんなダダイズムについて、巖谷國士さんや塚原史さんなどの書籍を参考にしつつ、がっつり解説していく。巖谷國士さんについては以下の記事でも触れている。

では、ダダイズムが芸術の何を変えたのか! 一緒に見ていこう。

ダダイズムはそもそも反戦運動の一環だった

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ダダイズムが起こったのは1916年だ。しかし発生する原因を掘っていくと、1830年から発生したイギリスの「産業革命」が、かなりの影響を及ぼしている。

産業革命によってイギリスをはじめ、各国はめちゃめちゃお金持ちになった。機械化がガンガン進み、大量生産が可能になって物が安くなり、とにかくそこに人がいれば飛ぶように売れたのである。ドイツのデザイン学校バウハウスもこの時代のプロダクトデザインで活躍した。詳しくは以下のパウル・クレーの記事で書いております。

イギリスはそのお金で軍事力を強化した。そこで各国もイギリスに対抗すべく軍を強くして戦争に備えたわけだ。日本でいうと「富国強兵」という闇のジャイアンみたいなスローガンを掲げて富岡製糸場を稼働させまくっていた時代。

で、案の定、ヨーロッパでは「誰が国土を統一するか」と戦争が起きる。とにかくみんなお金持っちゃったからもう利益主義に走ってしまったのだ。領土が多いとそれだけ物が売れるんで「よっしゃ!戦よ!戦ぁ」と法螺貝吹きまくった。その最たる例が1914年からはじまった第一次世界大戦だ。なんともおぞましい状態だった。みんな、はんぶんこができなかった。

そんな利益主義の時代に意義を呈する形で「ダダイズム」が勃興する。とはいえ決して「戦争反対!」みたいな平和テーマの作品を作ったわけではない。では、ダダイズムの考えを見ていこう。

ダダイズムの哲学その一「理性の破壊」

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いわゆるブルジョワ層が起こした戦争の背景にあるのは先述したような「利益思考」「合理主義」だった。理性があるからビジネスを考える。すると市場を拡大したくなり、戦争に発展するといった論理である。

そこで「そもそも理性があるから戦争が起きるんやないか!」と声を上げたのがダダイストたちだ。彼らは「もう理性なんていらん!捨てようや!」と叫び出した。思考が極端すぎてやばい。もうめちゃくちゃである。ある意味で「人間であることの思考をやめよう」と宣言したわけだ。

このはちゃめちゃ理論は、わたし個人的にはけっこうウケる。「戦争反対を訴えようや!デモよデモ!旗持って行進よ!」ではない。戦争が起きたボトルネックまで深掘りしたうえで「精神とか思想が無意味!マインドを捨てんかい!」となるあたりがぶっ飛びすぎてて楽しい。

とにかく脳で考えることが悪なので、創始者であるトリスタン・ツァラは名前を決めるときも適当だった。辞書をぱらぱらーっとめくって指で「はいこれね!」と指したのが「DADA(フランス語で木馬)」だったから「dadaism」に決定したのである。

つまりダダイズムは美術技法ではなく、精神や哲学のようなものだ。なので、ダダイストには物書きや美術家、写真家、音楽家などなど、かなりジャンルが広い。

ダダイズムの哲学そのニ「反芸術」

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ダダイストたちから「理性の塊」として槍玉に上がったのが、主に政府や中流階層だった。

しかし!実は「芸術そのもの」もまたダダイストとしては「理性的でしょーもない! 思考して作っとるから戦争に発展するんじゃ」と否定した。

つまりダダイズムは芸術のアンチテーゼ的な運動なのである。それまでの芸術は考え抜かれて人の心に響く作品を作っていたが、ダダイズムでは何も考えずに人を不快にさせるものを作り始める。完全にこれまでの芸術を疑い、認めず、ぶっ壊す。「芸術ってなんやねん」的な目で、改めて価値を見直す。これはまさに破壊的でまったく新しい思想だった。

ヨーロッパからニューヨークまでどんどん広がる初期ダダ

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ダダの実質的なはじまりは1916年だ。スイスのチューリヒにある「キャバレー・ヴォルテール(店主はダダイストのフーゴー・バル)」にて詩人のトリスタン・ツァラが宣言した。これをチューリヒ・ダダという。なぜ地名がつくかというと、ダダイズムは同時多発的に世界中に広がったからだ。

チューリヒ以外にはアメリカ・ニューヨーク、ドイツのベルリン、ケルン、ハノーファー、フランス・パリ、オランダ、ロシア、ハンガリー、オーストリア、そして日本にもダダイズムはやってきた。有名どころでいうと「のらくろ」を描いた田河水泡なんかもダダイストだ。

そしてダダの舞台となった国の多くは第一次世界大戦の参加国だった。スイス以外の国も同じで、芸術家はみんな戦争にもうクサクサしていたのだろう。

チューリヒ・ダダの主な参加者

トリスタン・ツァラ
フーゴ・バル
ハンス・アルプ
リヒャルト・ヒュルゼンベック
マルセル・ヤンコ
ハンス・リヒター

ベルリン・ダダの主な参加者

リヒャルト・ヒュルゼンベック
ジョージ・グロス
ジョン・ハートフィールド
ラウル・ハウスマン
ヨハネス・バーダー
ハンナ・ヘッヒ
ヴァルター・メーリング
ゲルハルト・プライス
ヴィーラント・ヘルツフェルデ

ニューヨーク・ダダの主な参加者

マン・レイ
マルセル・デュシャン
フランシス・ピカビア

新しすぎるダダイストの作品5選

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では、実際にダダイストの作品を見ていこう。ここではダダイズム期に流行った技法が顕著に出ている作品だけを5つ紹介する。

トリスタン・ツァラ「風景のハンセン病を病む白い巨人」

塩が鳥の星座状に綿の腫瘍の上で集まる

その肺の中でヒトデと南京虫が揺れる
細菌は筋肉とブランコの椰子の中で結晶する
タバコなしのボンジュール ツァンツァンツァ ガンガ
ブズドゥック ズドゥック ンフゥンファ ンバー ンバー ンフゥンファ
大藻類 船を抱きしめる 船の外科医 清潔な湿った傷痕
まばゆい光の惰性
船 ンフゥンファ ンフゥンファ ンフゥンファ
僕は大蝋燭を彼の耳へ打ち込む ガンガンファー ヘリコプターとボクサー
バルコニーの上で炎のバオバブのホテルのヴァイオリン
炎はスポンジのかたちに広がる

炎はスポンジだ ンガーンガ 攻撃だ
梯子が血のように上る ガンガー
羊毛のステップに向かうシダ滝に向かう僕の偶然
ガラスのスポンジの炎怪我をした藁布団 藁布団
藁布団が落ちる ワンカンカ アハァ ブズドゥック 蝶
はさみはさみはさみ そして影
はさみと雲 はさみ 船
温度計は極端な赤を見る グンバババ
ベルス 僕の教育 僕のしっぽは冷たい そしてモノクロームだ ンフゥンファ ロゥア ラ
オレンジのキノコと音の家族 右舷の向こう側に
起源では起源ではトライアングルと旅人たちの樹 起源では僕の脳は双曲線に向かって行く
甘えっこ達が頭蓋骨のキャバレーの中に群がる
ダリブリ オボック そして落ちそして落ちた 彼の腹は太鼓腹だ
ここで太鼓と高級将校とクリケットの介入
なぜなら彼の魂の上にはジグザグがありここには沢山のルルルルルルルルルルルルルルがある
ここで読者は叫び始める
彼は叫び始める叫び始めるそれからその叫びの中には珊瑚を増殖させるフルートがいくつもある
読者は死にたいかもしれないしあるいは踊りそして叫び始めたい
彼はつまらなく白痴で冴えない 彼は僕の詩を理解しない 彼は叫ぶ
彼は片目だ
彼の魂の上にはジグザグがありそして沢山のルルルルルルルがある
ンバゼ バゼ バゼ 見なさい 海の下の金の海藻の中でほどける三重宝冠を
ホゾンドラック トラック
ンフゥンダ ンバババ ンフゥンダ タタ
ンバババ

ダダイズムの創始者であり詩人のトリスタン・ツァラが書いた詩である。「ブズドゥック ズドゥック ンフゥンファ ンバー ンバー ンフゥンファ」である。この詩は完全に自動筆記で書かれたっぽい。明記がないので確定できないが……。のちにツァラのフォロワーだったアンドレ・ブルトンが自動筆記を発明するが、ツァラもまた近い手法で書いていた、

ハンナ・ヘッヒ「cut with the kitchen knife dada through the last weimar beer belly」

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長っげぇタイトルだこと! 直訳すると「台所包丁でワイマール政権のビールっ腹文化エポックをかっさばく」というむちゃくちゃ物騒な言葉だったりする。

ハンナ・ヘッヒはベルリンダダで活躍したコラージュニストで、当時は同じくベルリンダダのラウル・ハウスマンの彼女だった……当時は……(察して)

ハンナ・ヘッヒは「フォトモンタージュ」という技法を作った。コラージュから派生したものだが、特に雑誌や新聞などのあらかじめメッセージ性が強いものを切り貼りするのが特徴。よりインパクトが強くなる。政治色が特に強いベルリンダダにおいて発達した。

マン・レイ「The Rope Dancer Accompanies Herself with Her Shadows」

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マン・レイは、ニューヨーク・ダダの写真担当だ。しかひ造形作ったり絵を描いたりと多彩な人である。特にダダ時代には「アエロ・グラフ」といって噴射機と絵の具を掛け合わせて作品を作っていた。しかしその後はきちんと商業カメラマンになって、伝説的ミューズ・モンパルナスのキキと付き合ったりする。

マックス・エルンスト「Aquis Subwersurs」

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おしとやかな犬神家ですよねもう。この作品はマックス・エルンストのダダイスト時代の作品であるが、どちらというとシュルレアリスムの雰囲気を感じさせる。まるで夢の中のような……これはどの次元の世界で、今は何時で誰が何をしてるのか、分かりそうで全くわからん。マックス・エルンストはシュルレアリスム期に入ってからも、超重要人物として活躍しました。

マルセル・デュシャン「泉」

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はい!お待ちかねの小便器です(バァン!)。ダダを代表する作品だ。作者(というか保証書持ってる人)はマルセル・デュシャン。

ダダは イストは先述した通り「反芸術家」だ。「人に愛されるものを作ろうぜ」という理性を叩き壊して人に嫌がられる作品を作るわけである。この前提を持って「泉」を見るとわかりやすい。

デュシャンは「リチャード・マットだよん」と架空の人物のサインをしたうえで便器をニューヨークのアンデパンダン展に出した。アンデパンダン展とはパリ発祥のもので「誰でもどんな作品でもオッケー!気軽に出品してね〜」というコンセプトがある。しかし運営側は便器を「こ、これは……さすがに……ねぇ?」と展示を拒否。幕の外に置いた。

これにデュシャンは激動。「便器だって創作物やんけ!人の心を動かそうとか思ってないけど、レディ・メイドという作品やんけ」と抗議する。レディ・メイドとはオーダー・メイドの対義語で、生活のなかで使う量産された既製品という意味だ。

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さて、ここから現代アートは「創作とは」という永遠のテーマに翻弄されるわけだ。じゃあアートって何?っていう。そして恐ろしいのは今でもこれは解決されていない。

どこからがアートで、どこからがプロダクトなのか。ダダイズムの思想がなかったら、この問いもなかったわけだ。そういった意味でもデュシャンの「泉」はダダイズムの代表的作品といっていい。とんでもない便器だ。「ネオレスト」とか目じゃない。

そのほかのダダイズム作品

せっかくなのでそのほかのダダイズム作品もずら〜っと紹介してみよう。理性のない、感覚の美をぜひご体感あれ。

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ハンス・アルプ「automatic drawing」

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フランシス・ピカビア「Edtaonisl(Clergyman)」

ハンス・リヒター「Rhythmus 23」

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ラウル・ハウスマン「機械的な頭」

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ジョージ・グロス「The funeral」

ダダからシュルレアリスムへの切り替わり

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さて1916年に起きたダダイズムはその後、どうなったか。「理性を壊す」「人を不快にさせる」みたいな考えがついに限界に達するわけだ。

そもそもダダイズムは「反芸術」という、かなり挑発的なものであり、最初こそ世間は「やべえやつ出てきた」と騒いだが、だんだんと冷めていくわけである。いつの時代もそうだ。「〜やってみた系YouTuber」を嬉々として見ているのは、中学生しかいない。

ダダイストたちはそれでも作品を作り続けるも、最終的にはパリ・ダダの花形、アンドレ・ブルトンとトリスタン・ツァラが喧嘩してしまい、その運動はブルトン主宰のシュルレアリスムへと引き継がれるわけだ。

ここでいったん幕引きとなったダダイズムだが、実は続きがある。1960年ごろにニューヨークでネオダダといわれる「ダダ再興」の運動が生まれた。

このころの工業化の問題としては「環境問題」があり、ゴミを生かしたジャンクアートなどが生まれた。その思想や技法はまさに初期ダダに近く、このパフォーマンスアートから、現代のグラフィック、ポップアートなどが生まれていく。ダダの思想は(「泉」の件も含めて)今でもまだ生きているのである。

ウルトラマンのダダもダダイズムから命名された

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さて今回はたっぷりダダイズムを解説してみた。ダダイズムは日本でも感じられる文化だ。例えば日本で「ダダ」と聞いて思い出すのはこいつだろう。

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ウルトラ怪獣・ダダも「ダダイズム」からきている。というのも当時のウルトラマンのデザイナー・成田亨はダダ・シュルレアリスム研究家としても知られていて「プルトン」という怪獣もいるくらいだ。

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ダダイズムはたった8年間の芸術運動だったが、これまでにないインパクトを与えた。理性的に作ることをやめる、という芸術家としてのタブーを堂々と犯したことで「アートってなんだっけ」という根本に気づいたのは大発明だ。

ちなみにこのあとのシュルレアリスムは「理性を壊す」から「無意識をつくる」に思考を変えた運動で、こちらも作品を作るうえで、また作品を味わううえでとても大切なことが載ってます。

知れば知るほど、変な夢を見るようになるかもしれませんが、ぜひお時間があるときにどうぞ〜。

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