北方ルネサンス美術とは|ルネサンスとの違い、特色・特徴、画家と代表作で徹底解説
「サブカルチャー(sub-culture)」というと、マンガやアニメ、アイドル、プラモ、フィギュアなどなど、ちょっとオタクチックなものを連想する方も多い。
ただ本来はもっと広義だ。アメリカのヒッピー文化の過程で生まれた「サブカルチャー」という言葉が日本に輸入された際に、アニメやマンガがマイノリティだったがゆえにオタクとサブカルが混ざったんですな。
いつの時代もメインストリームがあり、その隣でひっそりと個性を放ちまくっているのが、サブカルチャーなのである。この辺りのお話は以下の記事でやっております。
そんな広義でいうと、北方ルネサンスの画家たちは西洋美術史きってのサブカルチャーを作り上げたのではないかと思うわけです。もちろん当時の北方ではそれがメインストリームなんですが、今観てみるとサブカルチックでたまらない。
イタリアのルネサンスで活躍したダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロあたりがワンピースやら鬼滅の刃、呪術廻戦だとしたら、北方の画家たちは完全に古屋兎丸とか伊藤潤二とか丸尾末広みたいな立ち位置にいるような気がしてくるんですね。かなり個性的で奇妙で美しいけど怖いみたいな……。
今回はそんな北方ルネサンスの画家たちについて、わいわいしながらみていきましょ。
そもそもルネサンスってなんなん?
まずは「ルネサンスとはなんぞや」という話からしよう。
まずルネサンスは1300年代のイタリアで起きた運動だ。日本語訳すると一般的には「文芸復興」となる。この「文芸」というのはめっちゃ広い意味で芸術っぽいことを指す言葉である。建築とか絵画とか造形とか、そういう類を全般的に指します。
「じゃあ文芸が何に復興したのか」というと紀元前〜476年の古代ローマの時代です。つまり1300年代にイタリアで「紀元前に帰ろうぜ!」というブームがきちゃったのだ。これ冷静に考えたらハンパない。
2020年代のいま「平安時代に立ち返りぬ」となって、やたら夜這いが増えて「Apex、いと時代遅れなり。世は和歌なり」とかいってマウス捨てて詠み合い合戦が勃発するようなもんですからね。ぶっ飛んでるぜルネサンス。
ルネサンスが起きた理由
じゃあなんでこんな大それた運動が起きたのかというと、これが意外と確立されてない……というか、要因がいくつかあってややこしいのが実際のところです。それぞれざっくりお伝えしよう。
1つは「市民」が力をつけたから説。1300年代のイタリア・フィレンツェは貿易やら繊維業でめっちゃ儲かった。その筆頭がメディチ家ですね。あの、家紋が完全にアボカドの一家です。
メディチ家の家紋
とにかく儲かってたんで、噂を聞きつけたベンチャーやらスタートアップやらが、めっちゃフィレンツェに参入してくるんです。そしたら売り上げを分けなきゃいけなくなるでしょ。それはいやだーっつって、元からいた商人たちで「ギルド」という組合を作るんです。
「ギルドが認めなきゃ会社作れないよー」って言って、新規参入者をシャットアウトしたわけだ。するとギルド内で、もうはちゃめちゃに儲かる。ついには「コムーネ」っていう都市を作るんですね。「成金市」みたいな。トヨタみたいなことするんすよ。
これってつまり「市民の力」でイタリアが運営され始めるわけです。「いや当たり前やないか」と言われそうなんですけど、当時はめちゃめちゃカルチャーショック。だってそれまでは長年、キリスト教がイタリアを支配していたから。みんな「神最高なんですけど」という思考だったのが「人が大事やん? 感動するやん?」となるんすね。
そんな時に思い出したのが、古代ギリシャのプロタゴラスの名言「人は万物の尺度なり」。そう、古代ローマとかギリシャってまだキリスト教も弱くて「人最高!」な時代だったんです。それで古代ローマに帰ろうぜ!となるんですね。
ただこれだけが背景ではないから、ややこしい。このほかにダンテという詩人が「神曲」というまったく新しい文学を書いたりしました。この作品で彼は「古代ローマ」と「キリスト教」をミックスさせてます。キリスト教全盛のなかに、古代ローマを入れてくる……まさにルネサンスですね。
ちょっと脱線しますが、神曲を読んで自殺を思いとどまった人もいるんじゃなかろうか。自殺した人はあの世で木になって、永久に鳥についばまれるというサイコパスしか思いつかん設定がめちゃ怖で震えました。
またペトラルカという詩人が「キリスト教が500年も蔓延ってたからローマの文化は進化しなかったんや!」と、もうなんか鳥肌実くらい偏ったこと言ってキリスト教が流行った400〜900年代を「暗黒時代」と呼んだりす。
こんな感じで、いろんな方面から「神を崇めるのやめて、もっと人を大事にしようぜ」という考え(「人文主義(ヒューマニズム)」)が発達するんです。
イタリア・ルネサンス絵画の特徴
死ぬほど駆け足で説明しましたが、ルネサンスはつまり「キリスト教じゃなくて古代ローマ」「神じゃなく人!」「あの世じゃなくこの世!」「理想じゃなく現実!」みたいな感じ。超リアリストなのである。
だからみんな写実的で現実的で合理的にものづくりをしてるのだ。例えばブルネッレスキという建築家とか、みんな大好きダ・ヴィンチは遠近法を発明した。詳しくは以下の記事からどぞどぞ。
そして絵画には感情表現・空間性・人体表現というのが生まれる。それまで2Dで真顔で10頭身だったのが、3Dで爆泣きで現実的ぽっちゃりみたいになるんですね。リアルを追求すると、当然こうなるのである。
例えば同じアダムとイヴの楽園追放のシーンを見ても、もうぜんぜんちがいます。特にダメージの受け方が違いすぎる。
こっちがルネサンス前
こっちがルネサンス
もう全然違うでしょ。「うわ〜、やっちまった」感がえぐいでしょ。こんな感じで、イタリア・ルネサンス絵画は全部写実的なんです。
このリアリティこそがルネサンス絵画の特徴です。では後から北方ルネサンスを紹介する前に、イタリア・ルネサンス絵画をざっくりと紹介しましょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ(ダ・ジョコンダ)」
指でなぞって輪郭線を消すことでリアリティアップしとります。背景の山々は空気遠近法によって色合いが違うのにも注目。ちなみに「どこから見ても目が合う」ってのはデマ。
ラファエロ・サンティ「アテナイの学堂」
完璧な一点透視図法で他の人とは被らない遠近法を演出。議論してる感が伝わってくるほどの臨場感。ラファエロはとにかくシンメトリーの合理的な絵が多いです。
ボッティチェリ「春」
古代ギリシャの女神・ヴィーナスがキリスト教の「処女受胎」のコスプレするという、普通じゃありえないテーマです。これぞ古代ローマとキリスト教の融合でふね。生き生きとした表情にも注目したい。
北方ルネサンスとは
さて、前置きメチャばり長くなって若干息切れしてますが、だいたいルネサンス美術がどんなものかが分かったのではないでしょうか。
この記事、ここからが本番です。いまワイナイナがスタートしました。
イタリアで流行ったルネサンスが100年遅れでまわりのフランス、オランダ、ベルギーなどヨーロッパ諸国にやってくるんですね。今考えたらこれもすごいですよ。100年遅れって。SNS全盛の今じゃ考えられないっすよね。
このイタリア以外のルネサンスを、美術史では「北方ルネサンス」という。中心地じゃないんで、ざっくりまとめちゃうんですね。
なんでイタリアから100年も遅れたかというと、単純に封建制がエグすぎて、なかなか市民が主導権を握れなかったからです。ただ100年遅れて、市民ががっつり力を持ち始めます。するとイタリアと同じ感じでヒューマニズムが流行りはじめるんですね。思考回路が一緒でおもしろい。
北方ルネサンスの中心地はフランドル地方
北方ルネサンスはイタリア以外、と書きましたが、なかでも中心地が「フランドル地方」でやんす。今のベルギーとかオランダとかその辺で、はじめにフランドル地方でもあのリアルな絵が流行り始めるんですね。
じゃあ実際どんな絵が描かれたのか。ここからは代表的な画家を紹介しながら、その特徴をみていきましょう。イタリア・ルネサンスよりちょっぴり幻想的で怖い絵が多いです。
ロベルト・カンピン
「フランドルで北方ルネサンスを始めたのは『フレマールの画家』といわれている……」。
「なにその冒険小説のはじまりみたいな変なテンション」って感じですよね。この異名で呼ばれる厨二感がたまんない。
で、そのフレマールの画家がたぶんロベルト・カンピンだろうといわれているんです。
……いや、カンピンかい。と。バレてるんかい、と。というか、なんやこの肖像画は。髭剃ってこいよコレ。メンズリゼの広告かコレ。と、もう無限にツッコミたくなりますが、「プレマールの画家=カンピン」と確定はしてないのです。
そんなロベルト・カンピンの代表作がこちらの「受胎告知」。天使・ガブリエルが、マリアにキリストを受胎したことを知らせにくる聖書の一場面で、いろんな画家が描いている人気のテーマです。
ロベルト・カンピン「受胎告知」
見て、この実家感。庭園とか宮殿とかじゃないんすね。普通のリアルな民家なんです。マリアも帰省した大学生みたいなテンションで「FUDGE」読んでます。
舞台が舞台だけに、ガブリエルもなんかもう「姉さん、妊娠してまっせ」くらいのテンションに見える。マリアも「あ、そ」くらいのノリです。一応、くらいの感じでマリアのお腹が光ってるのもリアリティたっぷり。どシュールな一枚ですね。
ヤン・ファン・エイク
なんだこのターバンは。頭燃えてるかと思ったわ。賢者の石のヴォルデモートの側近のやつじゃないですよ。ヤン・ファン・エイクもまた、北方ルネサンス、初期フランドル派の代表的な画家です。
彼はなんと油彩画を発明した人なんですね。それまでは卵黄で乾かしていたのを、初めて油で代用した。すると乾きにくくなり、時間に余裕ができたし、描き直しもできるようになった。当然、画家の技術力も高まったわけです。偉大な発明ですな。
ヤン・ファン・エイクは一言で言って「天才」です。変なターバンの中に第三の目を隠してるんじゃなかろうか、というくらい緻密な絵を描きます。この人の超絶技巧はiPad全盛の今でもできるかどうか……というレベル。さぁそんな一枚を見てみましょう。
ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」
まず、このスーパーハイレベルなリアリズム絵画が1434年に描かれていることに驚きですよね。服のひだ、犬の毛、床の質感など、どこをとっても違和感がほぼない。あるとしたら旦那の顔色が悪すぎる。ラマダン4日目かコレ。
ただ、これがミソじゃないんです。グーっと寄ると向こうに凸面鏡があります。
やばない? 凸面鏡のなかに、2人の後ろ姿とエイク自身、そして部屋の全貌が描かれてるんですね。しかも魚眼の感じがちゃんと出てます。コレ500円玉よりちょっと大きいくらいのサイズです。
そして鏡の装飾を見ていただきたいんですが、周りにある丸の中には聖書の場面がしっかり描かれている。1円玉より小さいですよ。そのなかに写実絵を描いているんです。ひくわ。なんじゃこりゃ。すごすぎる。
アルブレヒト・デューラー
デューラーはドイツの画家です。版画家としても知られているおじさんでございます。この人は何枚もの自画像を描いた最初の画家として有名ですね。もう、ぶっちゃけ死ぬほどナルシストです。当時、画家の自画像なんて1円にもなりません。それでも自画像を描き続けました。
しかも、ちょっと盛ってるんですよね。SNOWってるんですよ。この、上の画像は自画像の1枚ですが、貴族の格好をしてます。氷川きよしじゃないですよ。貴族です。
当時のドイツの画家は身分も全然下でした。どっちかというと「職人」という感じ。ただお隣、イタリアではダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロをはじめ、画家といえば文化人でどっちかというと貴族寄りだった。デューラーはこの巨匠たちとほぼ同い年くらいなんですよね。で、ジェラってたし「ドイツでの画家の地位を上げてぇ。俺、文化人だろ」と願ってたんです。それで貴族の格好の自画像を描いたんですな。
だからデューラーは画家よりも学者とつるんでたんです。ただラテン語ができなかったので、たぶん会話できず、完全にキョロ充だったといわれてます。
そんなデューラーの代表作はもちろん自画像のこちら。
アルブレヒト・デューラー「自画像」
「あれ、この人どっかで見たことあるな」と思う方もいるでしょう。そうです。がっつりキリストです。まさかのキリストになりきっちゃったんですね。当時、こんな絵を描いたら「お前、バカにしてんのか」と即燃やされます。ただデューラーはコレを他人に見せることはなく、自分の楽しみとしていました。すんごいプライドが高くてかわいい人。それがデューラー。
ヒエロニムス・ボス
出ました。個人的に西洋美術史で1、2を争うくらい好きな画家です。ボスはあんまり素性がわかってないんです。ただこの時代に確かに存在していて、圧倒的に意味わからん作品を残した。それがスペイン王から気に入られていたから、今日まで名前が残ってるんですよね。
ちょっともう先に作品を紹介しましょう。
ヒエロニムス・ボス「快楽の園」
ちょっと遠いのでクローズアップして何枚かお見せします。
すんごいきもい。これ七つの大罪をテーマにしてる部分もあったりします。で、地獄やら楽園やらを書いていて、結果的に無秩序になっちゃってるんです。もうなんか全体的に奇妙な怪物とか、踊り狂う人とか、泳ぐ鳥とか歩く魚とか、何がなんやら状態になっちゃってます。
この「快楽の園」という作品が好きすぎてロンT買いました。
とにかくこの頃のフランドル派って、さっきのエイクとかファン・デル・ウェイデンって画家から影響を受けがちなんですけど、ボスだけは完全に独立してるんですね。さっき書いた通り、ルネサンスの基本は現実主義ですから。ボスの絵は真逆ですよね。
というか、まず「想像上のオリジナルな個体を描く」ということがこの頃はありえないんです。この頃っていうか、この先も数百年はないです。1900年代のダダイズム、シュルレアリスム期までこんな絵は出てこない。
今でも彼の研究は進んでますが、誰もが「突然変異としか言いようがない」と結論づけてます。私はマジでタイムリーパーだと思ってます。だって、おかしいもん。説明できないもん。
……いやだめだ。もう、この人のことは永久に語ってしまうんで、続きは以下の記事からどうぞ。
ブリューゲル一家
ブリューゲル一家はネーデルラント出身の芸術一家で、お父さん、長男、次男が絵描きとして名を馳せました。お父さんがピーテル・ブリューゲル、そしてまさかの長男もピーテル・ブリューゲル、次男がヤン・ブリューゲルです。ちなみに次男の息子もヤン・ブリューゲルです。なにこの一家。どんな風習?
ピーテル・ブリューゲル(父)は、ヒエロニムス・ボスの熱狂的フォロワーです。だから彼も画面いっぱいにバーっと人を描いたりしてます。風俗画の走りですね。
ピーテル・ブリューゲル(父)「子どもの遊戯」
あと、なんといってもこの人は「風景画」を最初に始めた人です。当時のパトロンは金持ち市民か、キリスト教会か、国です。つまりみんな必然的に肖像画とか宗教画ばっかり発注するんですよね。
だから風俗画も風景画も当時一銭にもならんものでした。ルネサンス終わって数百年後にやっと価値が出るようなテーマです。それでもブリューゲルは風景画を描きました。
ピーテル・ブリューゲル(父)「種蒔く人の譬え」
ちなみに息子も風景画の人です。名前一緒だし、たぶん空前絶後のお父さんっ子です。父の真似をよくしていて作風もだいぶ似てます。
ただ次男のヤンは、また父や兄とは違った新しい切り口で作品を作っています。この人「静物画」にいくんですよね。
静物画はこの後のバロック美術の時代にカラヴァッジョが作ってから、人気が出てくるんですが、やっぱりこの時はまだまだ誰も買わないものでした。こういうのがいちばんインテリアとして合いそうですけどね。当時の貴族の家は「玄関開けたら自分の顔面バーン! リビング入れば嫁の顔面バーン!」みたいな感じでしたから、買わなかったんですね。
ヤン・ブリューゲル「花」
しかし斬新な一家ですよね。まだ当時、誰も求めていなかった風景画、風俗画、静物画をいち早く始めた人たちが同じ家から出るのってすごいことです。
ただルネサンスの時代は再三書いてますが、リアリティのあるものを求めていた時代です。だから、その辺にあるものを描きたくならというのは、ある意味では理にかなってるなぁ、なんて個人的には思います。ヒューマニズムからは遠いですけど。
ルネサンスの終わりと、芸術の都・フランスの誕生
こうしてみると、北方ルネサンスは一種の奇妙な突然変異だったのではないか、とも思えてくるのは私だけだろうか。
古代ローマのヒューマニズムを引き継ぎ、ルネサンスのリアリズムが根付いているのは確かです。ただそれだけじゃない。奇妙な表現も生まれ、独自の作品を作るなど、めちゃめちゃユニークで、尖り切っている……。遂には自画像やら風景画やら静物画やら、必要とされてないものを勝手に作り始めている。
ルネサンス中心地以外からこうしたカルチャーが生まれたという点でも、やっぱサブカルなんですよね。基本的にサブカルって、大衆から必要とされてないものですからね。大衆化したら「セルアウトしやがった」とか言ってこぞってファン辞めますからね。
ただそんな北方ルネサンスも、もちろん永遠に続くわけではない。というかイタリアのルネサンス自体が終わりを迎えます。「古代ローマに帰ろう!」と永久に言ってたら、もうそこら中が風呂に浸かる阿部寛だらけになっちゃいますんでね。
ルネサンスが終焉した要因もさまざまです。実はここは学者によって説が違ったりしますので、私が知ってる限りで、それぞれ紹介しましょう。
ルネサンス終了の理由その1 フランス軍にコールド負けしたから
原因の1つは「イタリアのギルドが作ったコムーネがフランス軍に滅ぼされてしまう」ことです。金持ちたちが作ったコムーネは「もっと……もっと金が欲しい」と欲に駆られた結果、なんと内戦を起こすんですね。しっかりアホです。で、それぞれの商人が軍事資金を使いすぎて、まさかの貧乏になる。疲弊しているなか、フランス軍が攻め入ってきて、コールド負けし、ルネサンスの画家たちは市民というパトロンを失います。
ルネサンス終了の理由その2 宗教改革で教会が弱体化したから
また、ルターの宗教改革もでかかった。当時のローマ教皇がメディチ家の次男でボンボンのレオ10世。彼が超浪費家で、他国から金借りまくってたんですね。で、いよいよ首が回らなくなって「贖宥状」っていう神社のお守りみたいなのをめっちゃ発行して市民に売りさばきます。「これ買ったら罪が許されますよー」つって。こう書くと胡散臭いですけど、初詣とかみんなこの状態ですよね。
「さすがに、それ、ちょっとおかしないか? 神を安売りしすぎとちゃうか」と言ったのが大学で先生をしていたマルチン・ルター。彼は別にローマ教会を転覆させる気はなかったんですが「議論しようや」と「95か条の議題」を掲示するんです。95て、もうめっちゃ喋りたいことがあったのである。
それをきっかけにプロテスタントがローマ教皇から離れます。教会はもちろん弱体化。お金なくなったんでルネサンスの画家に発注できなくなっちゃいました。
ルネサンス終了の理由その3 ミケランジェロがインフルエンサーすぎたから
で、3つ目が超でかい。ミケランジェロ・ブオナローティがちょっとインフルエンサーすぎたんですよね。彼はルネサンス期の彫刻家・画家ですが「見たものをそのまま写実的に描く」という表現はしませんでした。異端のひげだるまだったんですね。
ミケランジェロ・ブオナローティ「最後の審判」
上の最後の審判を見ていただくとわかると思いますが、ミケランジェロの特徴はとにかく人の身体をねじったり、ひねったりすること。筋肉や関節を美しく見せようとしたんですね。だから、必然的にほぼみんな横向いてるでしょう。また顔に表情があまりない。それに3D感もあまり意識してないので、のっぺりしてます。どっちかというとルネサンス前の表現に近いかも。
ミケランジェロは、ルネサンスの「あるがまま」ではなく「ちょっと人工的で不自然だけど美しい」というのを目指したんです。
この表現を「マニエリスム」といって、ミケランジェロ以降はみんなマニエリスムを真似するようになります。つまりルネサンスの思想からだんだん離れていくんですね。
パルミニジャーノ「長い首の聖母」
これとか、もうめっちゃ首長い。「いま伸ばし始めたろくろ首」って感じ。パルミニジャーノが自分でタイトルにしとるくらい首長いですよね。でも美しいからOKです。こんな感じで思想的にもルネサンスは失われていきます。
そして芸術の舞台はフランスへ
こんな感じでイタリア・ルネサンスが終わって、北方ルネサンスも別に「ルネサンス」とは括られなくなります。ルネサンス以降、オランダ、ベルギー、スペイン、フランスとそれぞれの国で、イタリアレベルの画家たちが育っていくんですね。
なかでもフランスは武力でイタリアを落とした後に「文化でも勝ってやろう」と思い、イタリアやフランドルの画家たちを招きます。実はダ・ヴィンチもその1人で、彼はちゃっかりイタリアが終わる前にフランスの貴族的なポジションにいました。
で、高明な画家たちに「フォンテーヌブロー宮殿」を作らせるんです。これ、のちに世界遺産となって、ホー・チ・ミンなど客人が泊まったこともあります。いいなぁ。泊まってさきイカをつまみにストロングゼロでも飲み散らかしたいですね(育ちのせい)。
このときに外様としてフランスに来た芸術家たちを総称して「フォンテーヌブロー派」といいます。この真顔で乳首をつねってる作品が特に有名です。澁澤龍彦の表紙になったり、横尾忠則がオマージュ作ったりしてますね。
ガブリエル・デストレとその妹ビヤール
コレ作者不詳なんですけどね。乳首をつねってるのはデストレさんが妊娠していることを暗示してます。つまり実力行使で母乳を出そうしてるんですこれ。一方デストレさんは指輪持ってますね。彼女はお妾さんだったんですね。この指輪は「第一夫人になりてぇわちくしょー」という意思表示だといわれてます。
真顔ってのが、ルネサンスの終わり、そしてマニエリスムの到来を感じさせます。あと「本気感」というか、なんというか、こう……「あたし本気で乳首つねってます」という、気概に満ち溢れている。このガチ感がシュールです。
話を戻そう。このフォンテーヌブローには第1期と2期がある。1期は先ほどの外様の芸術家たちなんですけど、2期はフランス人なんですね。つまりフランスは異国からの芸術家のスキルを吸収し、もう完全に自分のものにするわけです。
ここから芸術の都はパリになる。逆にいうと、それまではイタリアだったんですな。
北方ルネサンス好きは変態多いです
今回は北方ルネサンスの話をしました。ルネサンス全体を含めたのでしこたま長くなりましたね(「無駄話をやめろ」と聞こえる気がする……)。
何が言いたいかってルネサンスと名付けられているものの、「北方ルネサンス美術」ってイタリアの様式よりずっと「個性が強い」ってことです。
そう考えると、ルネサンスで最も革新的だったのって、もしかしたらイタリアじゃなく北方だったのかもしれません。
そんな斬新すぎた北方ルネサンスにハマる人は、変態多めです(暴論)。ネオ・エログロ系の古屋兎丸、丸尾末広あたりのマンガをしこたま集めている人が多い気がする。
ですので「日常的にヴィレヴァンとかまんだらけに行っちゃう系」のあなたは、一度北方ルネサンスにどっぷり浸かってみてはいかがでしょうか。新しい扉が開くかもしれませんよ。
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