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遠近法の歴史|誰にでも分かりそうなのに1000年も発明されなかった技法

遠くの人は小さく、近くの人は大きく見える。

今となっては、当たり前に成立している遠近法。しかし1200〜1300年以前、つまりルネサンス期より前の絵画には、遠近法はほとんど存在しない。つまりのっぺりした2Dの絵であり、3Dの概念はなかった。

「え? なんで?」と思う方もいるかもしれない。正直なことを言うと、私もその1人だった。だって風景画も人物画も、観たまま描けば遠近法になるじゃん……。しかし、実際に描いた経験がある人なら分かると思うが、見たまま描いても正確な遠近法にはならないんですね。すごく数学的に、ミリ単位でパースをとって、きっちり描かねばならないんです。

つまり遠近感をもって描くためには、観た光景をいったん頭の中で再構築して描く必要がある。そのために「消失点」やら「透視図法」のようなキーワードが必要なんです。

さて、今回はそんな意外と奥深い遠近法について「なぜ生まれたのか」「どんな種類があるのか」などを一緒に見ていこう。

遠近法ができる前の宗教画事情

でははじめに「なぜ遠近法が注目されたのか」について見ていこう。そのためには、遠近法ができる背景を知るために、それ以前の西洋絵画の状況を紹介する必要がある。

当時の画家たちのパトロンは主にキリスト教会だった。ユダヤ教から派生して、キリスト教が確立し、ローマにまで普及するなかで、教会はどんどん力をつけていったのである。

最初は「キリストは神聖なもんなんだから、絵のモチーフにするの禁止!」と偶像崇拝NGだった。でもローマに広がるなかで、分かりやすく布教する必要があった。なのでキリストの磔刑の絵などが描かれるようになったわけだ。

そんな磔刑像は「キリストは神であり、我々人間とは違う。あの方は最強だから。手に釘を打たれても余裕ですから」というイメージで描かれていた。

これはそんな1100年代ごろに描かれた磔刑像だ。

顔見て顔。余裕なんですよね。「ふーん。くぎ、打っちゃったんだ」って感じ。「痛くないし。だってオレ神だし」みたいな、達観している雰囲気がある。また、手抜きかよというほど、人体らしさがない。これも「だって神だから。筋肉とか描かなくていいから」という思想が根本にあった。

ここで登場したのがフランチェスコ牧師だ。彼は「キリストだって人間なんだから。我々と同じ心を持っている。そのうえで崇拝しないと」と説いて、すごい人気になった。

そんな考えが浸透するなかで、磔刑像もだんだん人間らしく変わっていくわけですね。1236年にジュンタ・ピサーノが描いた磔刑像は、すでに苦しそうな姿になっている。

1290年のジョット・ディ・ボンドーネ作「磔刑像」はもっと苦しそうで、かつ人間の筋肉・関節などの表現がリアリティをもって描かれた。痩せすぎてお腹がぷっくりする感じとか、骨の繊細さなどを、よりリアルに人間らしく描いたんですね。

遠近法を確立しようとした、ルネサンス芸術の父・ジョット

このジョットは、遠近法の歴史のキーマンになる人だ。先述した通り、フランチェスコが「キリストも人間」と言ったのを受けて、彼は「もっと現実の世界をそのまま宗教画に落とし込まねば」と思うわけです。

そこでジョットは「遠近感」に着目するわけですね。そして同時並行的にいうと、このころはローマではキリスト教の美術がむっちゃ栄える「ロマネスク」という時代でもあった。なので、より宗教画が必要とされていた。

以下の絵では、ジョットが遠近感をちゃんと描こうしていたのがわかる。

椅子前の「段差」に着目すると、なんとなく距離感が出ていますよね。まだ分かりにくいけど……。こんなに装飾や人物画は上手いのに、こう見ると遠近感だけ違和感がある。それくらい難しかったのだ。「が、がんばれ!ジョットがんばれ!」と応援したくなる。

この辺りの時代を「プロト・ルネサンス」といいます。つまりこの後のルネサンス期に、ジョットの手法を昇華させて、本格的に遠近法が出てくるわけだ。

つまり、そもそも遠近法が生まれた背景には、フランチェスコの「現実感のある宗教画を描くべし」という考えがあった。宗教画の方向性が変わったからこそ、遠近法を描く必要が出てくるわけです。

ではここからは時代とともに、進化していく遠近法を見ていきましょう。

建築家・ブルネッレスキが一点透視図法を確立

最初に遠近法を見つけたのは画家ではなく、建築家のフィリッポ・ブルネッレスキだった。彼は水平線の真ん中に、消失点を発見するわけだ。詳しく説明しよう。

左右対称だと分かりやすいが、まず観る人の目の高さに水平線がある。水平線に近いものほど遠く小さくなるんですね。で、水平線上には、視線が収束していく1点があって、これが「消失点」だ。

つまり水平線に近づくにつれてだんだん小さくなり、この点を超えると視界から消失するということだ。下の絵でいうとピンクの線が水平線で、黒丸が消失点です。

ブルネッレスキは建築をしている最中に、このことに気づいたんですね。この消失点が1点だけのものを「一点透視図法」という。この一点を軸にして手前に線を引くことで、すごく綺麗な遠近法ができるわけだ。

1427年にマザッチョが「三位一体」という作品でこの手法を使った。とても有名な作品なので、見たことある人も多いでしょう。

キリストの磔刑の向こう側に消失点がある形で描かれているのがよくわかるだろう。さっきのジョットの遠近法から、たった100年ほどで遠近法はここまで進化したわけだ。

つまり「描き方を構築する」ということが大事だったわけである。ブルネッレスキは「コロンブスの卵」の語源にもなった人だ。いやはやさすがのアイディアマンである。

そしてブルネッレスキの一点透視図法は、その後あらゆる数学者たちに研究され「二点透視図法」、「三点透視図法」ができる。

この世の風景はもちろん消失点が1つしかないわけではない。例えば以下の2枚を見てみよう。

上の写真は右と左に2つの消失点がある。下の写真は右、左、上の3箇所の消失点があるのが分かるだろう。これらをまとめて「線遠近法」といった。

アンドレア・マンテーニャの短縮遠近法(短縮法)

このイタリアで生まれた線遠近法は、ルネサンス前期のヨーロッパにおいて急速に拡大する。そして1490年代に入ると、ガチギレ肖像画でお馴染みのアンドレア・マンテーニャ「短縮遠近法」に昇華させた。

これは人体に特化した遠近法で、下から見ると体がギュッと縮むように見えることから短縮遠近法という。ただ、ぶっちゃけこの絵はちょいとミスっており、相当あたまがでかい。

しかし短縮遠近法によって、人物画のリアリティが増したのは間違いないだろう。なぜなら棒立ちの状態なんてほとんどない。我々は生きて行動している限り、どこかが常に短縮している。等身大パネルじゃないんだから。

レオナルド・ダ・ヴィンチの空気遠近法

そんな線遠近法の時代において、まったく違うアプローチをしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチだ。

彼は線遠近法を自分のものにしたあと「空気遠近法」という手法を確立した。これは何かというと……もう写真を見てもらうと一発なので、出しちゃいます。

手前に映る崖と、向こうの青みがかった山は同じものだ。しかし違う色なのはいうまでもない。つまり大気を通ることで、遠くの物体はコントラストが低くなり、かつ青く映るわけだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、空気によって遠近感を再現できることを発見したんですね。代表作の「モナリザ」にも空気遠近法がしっかり出ている。

モナ・リザじゃなくて背景の山を見てほしい。手前は緑がかっているが、遠くにいくほど青みが増しているのが分かるだろう。モナリザの見方がちょっと変わるおもしろさがある。

ちなみにダヴィンチは「最後の晩餐」で「究極」と言われるほど均整の取れた一点透視図法を見せている。中央のキリストの右こめかみあたりが消失点だ。

「モナリザはどの角度から見ても目が合う」なんてよくいわれたものだ(最近デマだと分かったが)。ダヴィンチは数学者としても功績を残していたので、周りよりも、数学的な遠近法に興味が深かったのだろう。

誰にでも分かりそうで、誰にもできなかった「遠近法」の世界

さて今回はざっくりではあるが、遠近法について紹介した。冒頭に書いた通り「昔は遠近法がなかった」と聞いて、私は「どういうこと?見たまんま描いたら遠近法になるやん」と思った。

しかしこれが「ならない」のである。ちゃんと消失点を見つけて、パースを取らないと、ぎこちないことになるわけだ。

ちなみにこの後の歴史を軽く紹介すると、ゴッホなんかは、あえて線遠近法を守らず、色彩だけで奥行きを表現しようとした。

またジョルジョ・デ・キリコはありえない組み合わせの消失点を作って、奇天烈な作品を描いたりしている。みんな遠近法をアップデートしようとしていたわけですな。

昔、ある画家にインタビューした際、「デッサンしすぎて街を歩くときに消失点を無意識に探している」と言っていたのを思い出す。

もしかしたら遠近法について知ったあなたも、明日からやたら消失点が気になっちゃうかもしれない。

しかしそんな些細な興味こそが、絵を描くきっかけになるかも。ぜひ、明日は遠近感に注目しながら過ごしてみてください。

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