日本近現代文学史をまとめ|23種類の流派を80人の作家で徹底解説
私たちが普段読んでいる小説や詩などの文学作品。その基礎は坪内逍遥の「小説神髄」と二葉亭四迷の「浮雲」によって作られた、ということを以前紹介した。
この2作はガラケーからスマホに変わったくらいの革命を日本文学に及ぼしたわけだ。
2人が構築したのは「写実主義」だった。それまでの日本文学は「人間の心理にほぼ触れず、勧善懲悪のストーリー」ばかりを追いかけるものである。
それが「写実主義」では「心理描写に重きを置き、かつ日常的な世界が舞台のもの」となったのである。
この「写実主義」が起こったことで、日本文学界は蜂の巣をつついたように大騒ぎになる。そして「〜派」「〜主義」といった文学流派が急速に構築されていく。
写実主義という「メインカルチャー」が生まれることで、それに反抗する「カウンターカルチャー」や閉塞された仲間内で楽しむ「サブカルチャー」などがどんどん出てくるのだ。
今回は、そんな日本近現代文学史について流れを紹介しよう。また一緒に代表的な作家も紹介していく。皆さんもよくご存知の文豪が「当時、何を考えて、どう表現したか」がよくわかるはずだ。
なお日本文学史全体の歴史は、以下の記事で紹介しているので、ぜひぜひ。
写実主義
主な写実主義の作家
・坪内逍遥
・二葉亭四迷
写実主義が日本近現代文学史の出発点だ。あらためて書くと、江戸時代の作品とは現実世界を逸脱した壮大すぎる舞台で、勧善懲悪を描くものだった。それを坪内逍遥は「もっと現実に近づけよう」としたわけだ。
スターウォーズばっかりやっててもピンとこないだろ、と。スタンド・バイ・ミーだろ、と。そう言ったわけだ。
硯友社(擬古典主義その1)
硯友社の代表的な作家
・尾崎紅葉
・山田美妙
写実主義は西洋文学に倣ったことは、紹介した通りだ。このころは日本に諸外国が押し寄せてきていた時期で、日本の古き良きカルチャーが次々と海外志向になるわけだ。
それに危機感を持った尾崎紅葉や山田美妙らは、江戸時代の井原西鶴やら近松門左衛門の文学を再興させることを考える。「硯友社」というグループを立ち上げて「我楽多文庫」という雑誌を創刊する。ただし表現は写実主義に倣った。日本と写実主義(西洋文学)の良いところをミックスさせたわけだ。
理想主義(擬古典主義2)
理想主義の代表的な作家
・幸田露伴
・樋口一葉
理想主義もまた、写実主義の「心理描写」を重視したうえに、古典文学の「理想」を組み合わせた。しかし理想主義は壮大になりすぎて写実主義から離れてしまう傾向にもあった。
ロマン主義
ロマン主義の代表的な作家
・森鴎外(初期)
・北村透谷
・国木田独歩(初期)
・泉鏡花
・徳冨蘆花
・島崎藤村(初期)
ロマン主義は当時、西洋でも流行り始めていた思想で「自由に自分の考えを作品にする」という思想だった。ロマン派のメンバーにはプロテスタントが多く、特に西洋文学への関心が高かった。彼らは「文学界」という雑誌を出す。
自然主義
自然主義の代表的な作家
・田山花袋
・島崎藤村(後期)
・正宗白鳥
・徳田秋声
・国木田独歩(後期)
自然主義は当時、フランスで起こった運動である。ロマン主義をやっていた作家たちは、後半から自然主義に流れた。とにかく「自然」をあるがままに捉えて、なんの脚色もせずに書くのがその思想だ。添加物なし、超オーガニックなので決して話は盛らない。
「ガチ」を極めた手法であり、ゆえにちょっと下品なことも。あとひたすらに内省的なので、メンヘラ多めで作品も自己否定的だ。この自然主義は近代文学史において存在感を発揮することになる。「作家といえば、なんか暗いやつ」というイメージができたのは自然主義のせいではないかと思っている。
余裕派・高踏派(反自然主義)
余裕派・高踏派の代表的な作家
・夏目漱石
・高浜虚子
・森鴎外(後期)
・鈴木三重吉
・寺田寅彦
・正岡子規
自然主義が自分の内面に集中して作品を書いていたのに対して、夏目漱石は「もうちょい、視野広く持とうや。小説は知性よ。客観性も大事やで」と門下生とともに「余裕派」を名乗った。
教養を大事に、余裕を持った小説を書くことになる。また近い思想に森鴎外の「高踏派」がある。
耽美派
耽美派の代表的な作家
・谷崎潤一郎
・永井荷風
これも自然主義のカウンターカルチャーで「ちょっとあなた方の小説汚いんですよ。もっと美しいものを書かないと」と「耽美派」が生まれる。
とはいっても「雲ひとつない空」とかを書いたわけではない。反社会的でグロテスクな作品のなかに、美しさを見出そうとしたわけだ。日本文学史のなかでも、最もサイコパスで変態じみた作品だ。今でいうと、古屋兎丸とか丸尾末広のマンガに近い世界観である。
白樺派
白樺派の代表的な作家
・有島武郎
・志賀直哉
・武者小路実篤
学習院大学出身のお金持ちな面々で「白樺」という同人誌をつくったことから生まれた。
当時は大正デモクラシーが起こり国中が多幸感に満ち溢れていた。その世相を反映するように白樺派はとにかく明るい。そして仲良し。自己肯定感に溢れており、自然主義以降続いていた「暗いイメージ」を取り払った。
コンプなさそうに見えるが、逆に金持ちコンプレックスなのもおもしろい。トルストイの影響を受けて「平等な世界を!」と理想主義を掲げ、有島武郎なんかは、実家が金持ちなのにあえて自給自足の暮らしを送った。
新思潮派
新思潮派の代表的な作家
・芥川龍之介
・菊池寛
・久米正雄
・松岡譲
劇作家の小山内薫が東大生の時に創刊した「新思潮」で書いていた面々を総じて新思潮派という。なお、新思潮の長い歴史の中でも1914〜1917年のときの面々を新思潮派という。
悪魔的変態集団・耽美派、精神的パリピ集団・白樺派を受けて「いや、日本がやばい。頭おかしいやつ増えすぎよ。浮き足立つなよ。現実見なきゃ現実」と、理知的に小説を描いた。常識人たちである。
奇蹟派
奇蹟派の代表的な作家
・広津和郎
・葛西善蔵
・宇野浩二
奇蹟派は早稲田大学の「奇蹟」という同人誌で書いていた面々だ。見て分かる通り、この辺の時代は大学の同人誌サークルから文学の流派が生まれまくっている。
ファンタスティックな名前のわりには、常識人の集まりで、新思潮派と同じく現実を直視して小説を書くことを目指した。
プロレタリア文学
プロレタリア文学の代表的な作家
・小林多喜二
・葉山嘉樹
・徳永直
プロレタリア文学は「労働者の過酷な状況」をブルジョワ階級たちに訴えた運動だ。当時は産業革命の煽りによって、日本でも完全に格差社会ができていた。白樺派のボンボンたちが格差社会を変えようとしたことからも分かる通り、当時の日本の労働者はブラック企業すぎたのである。
そんななか、葉山嘉樹、小林多喜二、徳永直らが労働者の現状をリアルに書き、日本の労働環境を変えようとした。子供のころは「グロ〜い!」と思っていたが、大人になってから読むと「悲惨だな」と心にくる。
新感覚派
新感覚派の代表的な作家
・横光利一
・川端康成
・稲垣足穂
・吉行エイスケ
新感覚派も、世の中がビジネス思考になるにつれて生まれた。こっちはプロレタリアと違い「ブルジョワの合理主義自体が問題だろう」と考える。そこで新思潮派以降、文壇のブームだった「現実主義」を捨てて、これまでに無かった比喩表現、新しい日本語表現などをはじめたわけだ。詳しくは上記の記事で解説しています。
新興芸術派
新興芸術派の代表的な作家
・井伏鱒二
・梶井基次郎
雑誌「新潮」を主体に立ち上がった文学派だ。プロレタリア文学をはじめ、小説というアートがだんだん政治利用されるのをみて「小説は独立した芸術でビジネスの道具じゃないだろ」と言った。
新感覚派が分裂して作られたが、ほとんど成果を残せないまま、かなり残念な結果に終わる。
新心理主義
新心理主義の代表的な作家
・堀辰雄
・伊藤整
・川端康成(後期)
当時、欧米ではシュルレアリスムが流行っており、新心理主義はその影響を受けた文学派閥だ。「なんか表現主義とかビジネス思考とか色々あったけど、結局人の意識が物の見方を決める」という考えのもと「人の意識」に注目して小説を書いた。
転向文学
転向文学の代表的な作家
・高見順
・中野重治
・島木健作
ここで戦争に突入する。プロレタリア文学をやっていた作家は「日本の政治を非難するなんて非国民だ」と弾圧される。
そのなかで「て……天皇万歳……」と踏み絵ばりに涙を飲んで屈服をせざるを得なかった。その過程を描いたのが転向文学であり、戦時中のベストセラーになる。
日本浪曼派
日本浪曼派の代表的な作家
・保田與重郎
・伊藤静雄
・檀一雄
戦時中ならではの文学として台頭した動き。当時はもう「大日本帝国万歳」の時代なので、とにかく世間が右に右に寄りまくった。そんななか改めて日本の伝統的な文化を示したのが日本浪曼派だ。
無頼派(新戯作派)
新戯作派・無頼派の代表的な作家
・太宰治
・坂口安吾
・織田作之助
戦争の最中に「日本文化が大事やで。みんな昔ながらの和歌などを学ぼう」という思想が全国に広まる。坂口安吾は「いやかしこまらんで、もっと俗っぽいもんを書こうや」と「新戯作派」を始める。
また太宰治は「パンドラの匣」のなかで「私は無頼派なんです」と宣言した。
無頼派とはつまり「時代に左右されない、確固たる自分を持つ」ということ。戦前、戦中、戦後の激動を生きたなかで「もう振り回されないぞ」と考えたのだろう。ただ「俺は俺!」というよりも、もっと退廃的。「現実に期待したってダメよ。頼れるものなんてないもん」という、ものすごいローテンションな無頼なのである。
新戯作派と無頼派は思想こそ違うが、一緒くたにされることが多い。
民主主義文学
民主主義文学の代表的な作家
・宮本百合子
・徳永直
・佐多稲子
一方、戦争が終わったことで、プロレタリア文学は再興することになる。戦前の小林多喜二らが作り上げた「労働者に光を!」的な表現が戻ってきたわけだ。そこには当時から一貫してプロレタリア文学をやっていた徳永直もいた。
また戦後ということで、プロレタリア文学には「平和」という理想も込められていた。だからこそ「民主主義文学」なのだ。
第一次戦後派
第一次戦後派の代表的な作家
・野間宏
・中村慎一郎
・梅崎春生
戦後派は2つあるが、第一次戦後派は、1946〜1947年に出てきた作家を指す。
戦後派については、決まった作風があるわけじゃないし、機関紙もない。ただ戦後の敗戦のムード漂う、ちょっと暗い小説が多く、社会的な作品が特徴なのである。
第二次戦後派
第二次戦後派の代表的な作家
・大岡昇平
・三島由紀夫
・安部公房
・島尾敏雄
・井上光晴
第二次戦後派は1948〜1949年に出てきた作家だ。こちらも多少は敗戦後の、社会的な作品で括られることもある。しかし何がすごかったかというと、技法や書き方が、はじめて西洋文学のレベルに達したということだ。
一貫した表現はないが、各々のレベルがめちゃ高く、日本文学が西洋から認められるようになった。安部公房や三島由紀夫らがノーベル賞候補になったのは有名な話である。
第三の新人
第三の新人の代表的な作家
・遠藤周作
・安岡章太郎
・吉行淳之介
第三の新人は第二次戦後派の後に出てきた作家群のことを指す。先述したように、第二次戦後派は西洋文学に近づいたのが特徴だった。
しかし第三の新人は日本ならではの私小説に近づいたのが特徴。政治的なこともない。完全に身の回りの日常のことを書いた。
昭和30年代・社会的文学
昭和30年代・社会的文学の代表的作家
・大江健三郎
・開高健
・有吉佐和子
第三の新人がまったく社会性を取り扱わなかったのに対して、これらの作家は政治・社会性を大きく取り扱った。この潮流はプロレタリア文学から、ずっと続いている流れでもある。このころは学生運動もあり、日本全体が今よりも政治に高い関心を寄せていたのだ。
内向の世代
内向の世代の代表的な作家
・古井由吉
・後藤明生
・日野啓三
・黒井千次
内向の世代は文字通り、自らのあり方を内省的に書いた作家たちだ。政治的な運動に疲れた作家たちが世間の喧騒から離れて、自分と向き合い始めたのである。
そして時代は平成から令和へ
1970年以降はもはや文学の潮流はほぼなくなった。村上春樹、村上龍などの革新的な作家が現れたり、川上弘美、山田詠美、江國香織といった女流作家が台頭したり……たまに独特な動きこそあった。
しかし1970年以前のダイナミックな動きはない。いまや合致して文学表現をするのではなく、多様化し始めたのだ。
「近現代文学史」はたった80年のこと
さて今回は坪内逍遥の「小説神髄」から始まった日本近現代文学の歴史を紹介した。
なんとこの一連の流れはたった80年ほどのことだ。恐ろしいほど、さまざまな文学流派が生まれては廃れるエネルギッシュな時代だったのである。
日本最古の和歌集は「万葉集」、日本最古の物語は「竹取物語」……もちろん日本文学そのものは太古の昔から存在した。
しかし小説や詩、短歌、俳句などが本当の完成を見せるのは、近現代なのである。これほどまでに、多くの作家が「文学とは何か」「言葉に何ができるのか」「文章はなぜ存在しなければいけないのか」ということを考え続けてきた。これはものすごくプリミティブなコンテンツとの向き合い方だ。今のように「どうやったら売れるか」と思う人なんて、当時はほとんどいなかった。
そう考えて近現代文学史を見ると、なんだか当時の作品を読みたくなってこないだろうか。普段は令和の小説しか読まない方も、ぜひ近現代文学に手を出してみてはいかがだろう。きっと「日本語の純粋な強さ」が見えてくるに違いない。
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