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ヤンキーマンガ(不良マンガ)の歴史|1960〜2020年代までのマンガを「ヤンキー像」とともに振り返る

「私の中学には窓が1つもなかった。理由は単純で「割られるから」である。冬休みに入るころに生物のおじいちゃん先生が、手を擦りながら「あぁ寒い……」とこぼしたのを見て「無理すな。もう防弾ガラスでもつけろ」と思ったのをめちゃめちゃ覚えている。

福岡市博多区の我が学び舎は、地元でも有名なヤンキー校で、出席率が異様に低く、私服率が異様に高かった。バイクに2人乗りでやってくる輩もいれば、万引きした文房具などを学校で売り捌いている利益率100%の商売をしてる奴もいた。卒業式には警察が張ってるし、親が暴力団の生徒も多かったので、校内で黒塗りのベンツもよく見た。

昔、NHKの『最後の講義』で西原理恵子さんが「地元の不良とかわいい女の子が付き合ってあっという間に中出しされて、旦那は働かないのを見てきた」というマクラを話していたが、我が母校ではまさにそれが起きていて、14歳の母が各学年にいるという、地獄みたいな状況だったわけだ。

そんなガッチガチのヤンキー校なので、教室後ろのロッカーには教科書なんか皆無である。代わりに全巻揃っていたのが高橋ヒロシ先生の『クローズ』と『ワースト』、そして柳内大樹先生の『ギャングキング』だった。

『クローズ』

教科書とか参考書よりも先に、ヤンキーマンガがバイブルとして揃えられていたわけだ。今考えるととんでもないアホである。でも、当時はみんな授業をサボってトイレでタバコを吹かしながらヤンキーマンガを読みながら「〇〇中のあいつ、バックにヤクザついてるらしいぜ……」とか、絶対に嘘の情報を眼力MAXで語り合うのが慣例だった。そしてそんなアブない中学生が「この世でいちばんかっこいい」と思っていた。

このころに呪われたのか、私は今でもヤンキーマンガとか任侠マンガというバイオレンス系のコミックは好きでよく読む。

で、この前森恒二先生の『ホーリーランド』を読んでいるときに「ヤンキーマンガはとんでもなく時代に則して描かれているのではないか」と思ったわけだ。『ホーリーランド』は多くの不良漫画と違って主人公が暗い。碇シンジや星野鉄郎モデルだ。そんな陰キャの少年が刺激を求めて「夜のアブナイ街」に居続けるという話。

その状況が当時の感覚に近かったんですな。作中では下北や吉祥寺だった。私が生きてきた2000年代の福岡だと博多駅筑紫口になる。

『ホーリーランド』

そこで「ヤンキーマンガとヤンキーの変遷って気になるな」と。今や野生のヤンキーは完全に絶滅危惧種に指定されているわけですが、そんな今だからこそ今回はヤンキーマンガの歴史をめちゃ大ボリュームで振り返ってみよう。

1960年代から2010年代以降まで、ヤンキーマンガとヤンキー像というものは社会的にどんなイメージで変わっていくのか。最終的には「なぜ人はヤンキーと化すのか」まで深ぼっていきたい。


1960年代のヤンキーマンガ

本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』のレコード

1960年代「太陽族」「カミナリ族」というあぶない男たちが登場

もはやバイクと一体化するカミナリ族

「昔のヤンキーとはどんな感じなんやろ」と思って遡ってみると、これが死ぬほど歴史が古い。不良という枠を広げると、『花の慶次』でお馴染みの江戸時代の傾奇者まで話が及ぶ。また明治・大正期には『バンカラ』というスタイルもあって夏目漱石の『彼岸過迄』にも登場している。

いやいや、そりゃさすがにマンガがないので、ここでは「ヤンキーマンガ(番長マンガ)」という語が登場する1950〜60年代からスタートしてみよう。

当時のヤンキーってどんな存在だったのか。まず1950年代に「太陽族」が出没する。石原慎太郎の芥川賞小説「太陽の季節」に影響を受け、夏のビーチでアロハにサングラスでがっつり性交渉、ときには強姦をする不届き者のことだ。「太陽の季節」を読むとわかるが、当時はものすごくスキャンダラスな小説で、とにかく既存の倫理を破壊する青年を描いている。

当時は「もはや戦後ではない」の神武景気のまっただなか。若者の価値観が大きく変化した時期であり、「新しいことやっちゃえ」的精神が盛り上がっていたんですね。

映画「太陽の季節』の超破廉恥なポスター

その後、1960年代になると「カミナリ族」が出てきます。いわば暴走族のルーツで、マフラーの芯抜きをすることでカミナリみたいな音を出し始めた奴らです。カミナリ族は暴力とか犯罪というよりも「どんだけ速く走れるか」「どんだけ危険に走れるか」を目指していた

「俺ってヤベェ奴なんだぜ。すげぇだろ」的な団体としてはまさしく走りだ。数年前に海外でビルの屋上で危険なパルクールをする人がすげぇ増えた時期ありましたが、あの感じに近い。

また1960年代は学園ドラマで「青春」という言葉がよく用いられる。「青春とはなんだ」「これが青春だ」「でっかい青春」「とびだせ青春」「我ら青春」など、もう青春の押し売りがすごい。

この「青春系ドラマ」は、だいたいフォーマットが決まっていて「落ちこぼれの生徒ばかりが集まるクラスに松岡修造バリに熱い担任が赴任し、サッカーやらラグビーやらのスポーツを通して更生させる」という話だ。不良役にはイケメン俳優を使いまくる。

このころから、不良が少しかっこよく見えたのは、当時最も影響力が大きかったテレビが「不良」を爽やかにかっこよく見せていたというのも理由に挙がるだろう。

1960年代の主なヤンキーマンガ

・夕やけ番長(1967年)
・男一匹ガキ大将(1968年)

1960年代のヤンキーマンガはまだまだ黎明期だ。作品に不良が出てくるものはあるが、ヤンキーを主軸として描いたものは少ない。

1967年には『夕やけ番長』の連載がスタート。「番長」とは「その学校で最も強いやつ」を指すもので、私は勝手に1970年に入ってから呼ばれ始めたと思っていましたが、この時代からあったんですね。

『夕やけ番長』

作者はこの後に『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』などのスポコンマンガを確立する梶原一騎先生。『夕やけ番長』は「番長連合」といういじめグループを主人公が撃退する話だ。主人公がヤンキーをボコボコにすることで退治する。

しかも主人公がやばい。ハンパない行動力でいろんな運動部を立ち上げて、番長連合の不良メンバーを強制入部させて更生に導くというストーリーで、最終的にはスポーツ漫画になる。梶原一騎先生ならではの脚本だろうし、当時の「青春系ドラマ」にも通ずるものがある。

『男一匹ガキ大将』

1968年の『男一匹ガキ大将』は『サラリーマン金太郎』でよく知られる本宮ひろ志作のマンガだ。初期のジャンプを支えた名作です。

本宮先生は、自身が若い頃はめちゃめちゃヤンキー。「誰にも命令されたくねぇ」と自衛隊生徒を除隊するレベルだったらしい。初期のこの後にもヤンキーマンガを次々発表されています。

こちらは学生同士の小競り合い的なやつではないです。主人公・戸川万吉の最終目標は、なんてったって日本一の男ですから。死ぬほど抽象的だが、スケールがもう全然違いますね。その過程でケンカは避けられない。そこでこのマンガもヤンキーマンガのくくりに入ることが多い。

また注目したいのが「葉っぱを咥えるスタイル」。この後1970、80年代にもこのスタイルのキャラクターが出てきます。有名なのは『ドカベン』の岩鬼だろう。あとは『あしたのジョー』の力石とかね。

これ一説によるとタバコを咥えさせたかったが、未成年なので葉っぱにしたという説があります。ヤンキーというか、ワイルドさの演出のためですね。

またヒロインが、無骨で硬派でケンカの強い主人公に惚れるという構図もその後のヤンキーマンガのモデルケースです。なんなら作品を飛び越えて「作者の本宮先生のもとにたくさんの女子が押しかけた」という伝説も残っている。やはり「強い男子はモテる」ってのはこの時代から通じているのだ。

ケンカで相手を倒していく作品として最初にどデカいヒットを飾ったのが『男一匹ガキ大将』だ。で当時はこのジャンルを「番長漫画」と読んでいた。

1970年代のヤンキーマンガ

『男組』

1970年代には「ツッパリブーム」到来

1970年代のヤンキーの見事な剃り込み

1970年代にはまず「カミナリ族」から「暴走族」に名前が変わる。1972年、警察が1200人も投下された通称・富山事件をきっかけに「暴走族」という呼び方が生まれた。

暴走族は1970年代後半から80年代前半に最盛期を迎え、1980年調査では全国で754グループ、38,902名が確認されている。そのうち、女性は1426名、15歳以下は1208名いた。これらが毎日のように抗争をしていたというから、とんでもない時代だ。

彼らのファッションとしてはパンチパーマかリーゼントに剃り込み革ジャンか特攻服というのが特徴。今考えるとクソダサいが、当時はこんな若者が溢れていたんですね。

当時の暴走族の見事な振り返り

このころの暴走族は不良の高校生〜20歳くらいまでがやっているケースが多い。暴走族を含めて、ヤンキー全体を「ツッパリ」と呼ぶようになったのもこのころ。番長とかスケバンという呼び方が定着したのもこのころだ。

また「ヤンキー」という言葉も1970年代の初めあたりに生まれる。実は最初は大阪・アメリカ村発祥の言葉だ。もともとアメリカ生まれの言葉が日本に伝播した説が濃厚。ただ一方で「〜やんけ」という荒っぽい言葉遣いをするから「やんけ言い」→「ヤンキー」となった説もある。

当時、マンガ以外のコンテンツではヤンキーがどう描かれたのか。世間的なインパクトがデカいのは1970年公開の映画「女番長 野良猫ロック」だろう。和田アキ子や梶芽衣子演じるキレッキレのヤンキー少女を描いた作品だ。この和田の目だけで人を殺せるレベルの強烈な顔面。そして「ズベ公ぐらし」というよく分からんが絶対に汚い言葉。とんでもないポスターである。

『女番長 野良猫ロック』のキャラ渋滞ポスター

また音楽では1972年に矢沢永吉率いるキャロルがデビューした。剃り込みにリーゼントに革ジャン革パンで「君はファンキーモンキーベイベー」である。決してギャグじゃないぞ。マジでこれが当時はカッコよかった。

『キャロル』

今でこそ、永ちゃんフリークといえばグラサンかけたおじさんばかりだが、当時のキャロルのライブには意外と地味めな女性も多い。世間全体がヤンキーに憧れていた時期だったことがよくわかる。

1970年代の主なヤンキーマンガ

・男組
・硬派銀次郎
・嗚呼!! 花の応援団
・私立極道高校
・ハイティーン・ブギ
・愛と誠

1970年代に入ると、番長漫画という呼称にだんだんと「ツッパリマンガ」いう呼称が混ざり始める。

『男組』は学園モノではあるが、1960年代末からのスケールの大きい話を継続して描いているのが特徴。またケンカに「格闘技」という側面を加えていて、なかでも中国拳法を取り入れた。

『男組』の本格的な中国拳法

ちなみに『男組』 は1974年に連載開始。その前年にはブルース・リーの『燃えよドラゴン』が大人気になっている。このころの日本は格闘技ブームで、なんてったってゴールデンタイムでプロレスを流していた時代だ。猪木・アリ戦が1976年である。

また『硬派銀次郎』は本宮先生の作品だ。実は『男一匹ガキ大将』の後半から、妻のもりたじゅんが女性キャラを描いている。これは確実にヤンキーマンガの革命だった。

もりたじゃんは「りぼん」で少女マンガを描いていた漫画家。つまり男くさい劇画タッチのマンガに麗しい女の子っぽいタッチが加わる。これでヤンキーマンガのラブストーリーに深みが出ることになるわけだ。

『男一匹ガキ大将』からその感じが漂っていたが『硬派銀次郎』では、ラブストーリーが主軸になるくらい変化していくんですね。この後のヤンキーマンガにヒロインは欠かせないですが、そのパイオニアは本宮・もりた夫妻といっていいだろう。

また忘れちゃいけないのが、どおくまんの「嗚呼!!花の応援団」だ。カテゴリとしてはギャグだが、応援団ということで学ランを着ており、コミカルな暴力シーンもめちゃめちゃある。不良要素が感じられるので、よくヤンキーマンガにくくられる。

『花の応援団』

ここでギャグマンガテイストのヤンキーマンガが出てくる。「クエックエッ」「ちゃんわちょんわ」という一発ギャグは、マンガ好きなら聞いたことがあるのではないでしょうか。

またヤンキーマンガ的に大事なところをいうなら「上下関係が異常に厳しい」というリアリティだ。これがおもしろくて「しごき」や「リンチ」といった、今の価値観からしたら「絶対ギャグにできないだろ」という用語が豊富に出てくる。

また「上下関係」を広げると、この時期の他のマンガには「ヤクザ」との親和性を感じさせる要素がある。ケンカの弱いやつや後輩は使いっ走りにされ、殴られ、結構悲惨な感じで描かれるのが特徴だ。

また1982年に近藤真彦主演で映画化される『ハイティーン・ブギ』 が1977年から連載開始となる。

『ハイティーン・ブギ』

見ての通りガッツリ剃り込みにリーゼントな表紙だが、この作品はなんと少女マンガ誌で連載される。暴走族で御曹司でロックバンドのボーカルという爆走少年と、地味で真面目な女の子が結ばれるストーリーだ。

この構図は、現在まで少女漫画のフォーマットの一つとなっている。『となりの怪物くん』とか『ヤンキーくんとメガネちゃん』とかね。キャロルのファンにも通ずるが「自分とはかけ離れた世界の男の子」に惹かれる、みたいなのがお決まりパターンになっていくわけだ。

こんな感じで1970年代に入ってヤンキーマンガは以下の要素が加わったわけです。黎明期を過ぎて成長期に入ったのが、1970年代だ。

・ただの殴り合いでなく格闘技を含んだ実践的なケンカ
・美人なヒロインとのラブストーリー
・ギャグ要素
・ヤクザを連想させる要素(組織、上下関係、縄張り、抗争)

1980年代のヤンキーマンガ

『BE-BOP-HIGHSCHOOL』

1980年代は戦後最も荒れた時代

『3年B組金八先生』第2シーズン

1970年代後半から1980年代の前半にかけては、いわるゆる「荒れた時代」というやつで「校内暴力」が大きなテーマになる。先生・生徒問わず、校内で暴力行為が横行しシンナーやタバコが校内でガンガンに吸われていたヤバい時期だ。

例えば1979年にテレビドラマ『3年B組金八先生』の第一シリーズがスタートする。ここでは「15歳の母」とか「受験戦争」「家庭内不和」みたいなのが大きなテーマだった。これが1982年の第二シリーズに入ると「校内暴力」が入ってくる。「腐ったみかん」のアレである。

また、尾崎豊がデビューシングル「15の夜」を出したのが1983年。「ぬ〜すんだば〜いくで」の部分が有名ですが、ヤンキー史的に重要なのはそのあとの「誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に」だろう。

校内暴力の背景には「規格化された教育」がある。戦後日本の詰め込み型教育では個性なんてまったく着目されなかったんですね。みんながただ受験のために同じ勉強をしこたま受けさせられた。そして反抗すれば殴られた。

1945年の終戦時に10歳だった子が1980年に45歳。つまり当時の教師の多くが戦時下にゴリゴリに拳での教育を受けてきたわけだ。それを、そのまま教え子に叩き込むと、こんなことになる。

つまりはみ出しものをさらなる暴力で抑圧していた時代が1970年代後半から1980年代前半なわけで「誰にも縛られたくない」という言葉は、まさにこの時代の代名詞である。

少年としては、はみ出したいから法を犯す。力で押さえつけられているからストレスが溜まってイライラして人を殴る。またはバイクを走らせる。そして同じ思いを持つ貴重な仲間は大事だから、やられたら報復するし、いつも集団で行動する。

1960、70年代で培われた「憧れの強い男」「モテる」といったヤンキー像に「自由になりたい」「支配されたくない」という「はねっかえり者像」が加わったのがこの1980年代前半のヤンキーだ。

ちなみに、ちょっと先の話をすると、その反動から、1990年代になると個性を重んじる教育に変わっていく。すると、今度は「自分ってなんだ」と悩んじゃう子が続出し、安易に自分の意見を伝えられなくてモジモジしちゃう碇シンジモデルが誕生するわけだ。そのことは以下の記事で書いてたりします。


そんな荒れに荒れていた1983年に替え歌キングの嘉門達夫が「ヤンキーの兄ちゃんの歌」を出す。このヒットで「ヤンキー」という言葉が全国に広がった。

このころのヤンキー像はもう横浜銀蝿の『ツッパリHigh School Rock'n Roll』と嶋大輔の『男の勲章』で全てわかります。「今日も元気にドカンを決めたらヨーラン背負ってリーゼント」である。そして、つっぱり続けるうちに「つっぱることが男のたった一つの勲章」と言うまでヤンキーであることに呪われてしまうわけだ。

また1980年代には校内暴力のほか、暴走族ももちろん健在。最盛期は1981年といわれる。そしてこの時代に出てきたのが「なめ猫」。なめ猫免許証は、もちろんゴールドじゃないのがミソ。

なめ猫免許証

これが社会現象になるレベルで流行るのである。いかに暴走族が幅を利かせていたかがわかるだろう。

しかしそんな暴走族も1980年代中頃からだんだん下火になる。というのも「縛られたくない」と暴走していたのに、だんだん族自体の統制が厳しくなったからだ。なかにはヤクザの下請けみたいな状態になり「学校と変わんねぇじゃん」となった。

また先ほど触れたように学校の教育指針が、だんだんと「多様性を認める」といったものに変わっていくわけだ。これによって、暴走しなくても、なんか「自由になれちゃった」わけである。

そんななか、1980年代後半あたりから、世の中はだんだんとバブルに突入。この辺りから「比較的育ちが良くて、普段は成績優秀な学生」が不良のチームに入るようになるのもおもしろいところだと思う。

育ちがいいやつほど、家庭でも学校でも縛られているわけで、常にストレスを受けながら暮らしているのだ。そして頭がいいから過程では優秀な顔を見せなきゃならんわけで、そのはけ口が不良チームなのである。

また1980年代の終わりから、ヤンキー像は大きく変化し、暴走族の代わりに「カラーギャング」や「チーマー」が登場するようになるのだが、これは1990年代で紹介しよう。

1980年代の主なヤンキーマンガ

・BE-BOP-HIGHSCHOOL
・湘南爆走族
・今日から俺は!!
・ろくでなしBLUES
・ゴリラーマン
・ホットロード
・あいつとララバイ
・花のあすか組
・BAD BOYS
・あばれ花組


1980年代になると、知ってる作品もわらわら出てくると思います。なかでも、最も大きなヒットになったのは『BE-BOP-HIGHSCHOOL』だろう。

『BE-BOP-HIGHSCHOOL』

このほか「湘南爆走族』もこの時代のマンガである。

『湘南爆走族』

これらは両方ともマンガとほぼ同時期に実写映画化されている。ビーバップは清水宏次朗、中村トオル、中山美穂など、また湘南爆走族は江口洋介、織田裕二、竹内力など。今考えたらめちゃ豪華。オールスター感謝祭くらい豪華。でもこれらのイケメン俳優は当時まだデビューして間もないころだった。

このあと「ごくせん」「クローズ0」「今日から俺は!!」など、ヤンキーマンガ原作のドラマ・映画は、仮面ライダーと同じく「イケメン俳優の登竜門」として使われるようになる。これによって「ヤンキー=カッコいい」というパブリックイメージに拍車がかかっているのは言うまでもない。良くも悪くも。

またヤンキーマンガに、ある「型」ができるのも80年代といえる。両作品のほか「今日から俺は!!」「ろくでなしBLUES」含めて「ギャグベースのなかにシリアスな抗争のシーンが入るフォーマット」ができるわけだ。

横浜銀蝿の『ツッパリ〜』を聴いていただければ分かるだろう。プレスリー由来の軽快なカントリー調のギターにコメディチックな歌詞。その通りヤンキー像は「基本真っ直ぐなバカ」である。しかし「やるときはやる男」だ。そんなヤンキー像がここで表現されるわけである。

そのほか注目したいのが「ホットロード」や「花のあすか組!」といった少女向けレーベルのヤンキーマンガだ。ホットロードは暴走族同士の男女を描いたラブストーリーで、花のあすか組!は歌舞伎町のリアルなヤンキー女子たちを描いた作品となっている。

余白がめちゃんこ多い『ホットロード』


両方に通ずるのが「ヤンキーの病み」をしっかり描いてるところで、この描写にはほんとうに感嘆する。

ヤンキーは少年マンガで描かれる陽の部分だけではなく、基本的に陰の存在なのは間違いないんですよね。少女マンガというちょっぴり大人な媒体では、ちゃんとそうした内面を描いているわけだ。

特に個人的には『ホットロード』がほんと好き。今でも好き。少年誌と違ってさわがしくない筆致で、当時のヤンキーが抱える問題を描いている。

こうした作品をみると、1980年代にはヤンキーがかなり市民権を得ていることがわかると思う。そして以下の要素が加わった。1980年代はヤンキーマンガの成熟期だ。

・真っ直ぐでひたむきでアホで友情・愛情に熱い
・闇を抱えながら生きている若者


1990年代のヤンキーマンガ

『クローズ』

1990年代のヤンキーは「カラーギャング」や「チーマー」など、オシャレになる

今見たらレトロゲーマーのオフ会感もある「チーマー」

さて暴走族の構成員数は1980年がピークであり、1990年代に入ったらもうガンガン減っていく。

暴走族が減った背景には先ほど紹介した通り「規律に縛られて自由に動けなくなったこと」があるのは間違いない。また「リーゼントに革ジャンってダサくね」ということに、ようやく若者が気づき始めたのもある。

そこでバブル期の1980年代中ごろに突入すると「チーマー」が登場する。いくつかのグループに分かれており、自称する際に「うちのチームはさァ〜」と呼んでいたことから「チーマー」と名付けられた。

チーマーはそれまでの暴走族スタイルではなく、ちょっとオシャレ。当時は「渋カジ」、のちにファッション雑誌などで「アメカジ」と呼ばれるようになるスタイルで渋谷センター街にたむろしていた。

渋カジ

初期のチーマーの構成員のうち多くが、港区や渋谷区の学生。つまり金持ちの息子たちで、成績も優秀だったのが特徴だ。もちろんちゃんと不良の集まりで、他の地区からきたヤンキーに喧嘩売ったり、薬物やったりしていたのだが、どこかスタイリッシュだったのである。

それで、彼らはファッション雑誌のスナップなどで取り沙汰される。そんななか、もともと暴走族だった人など「ガチで民度低め」な人間もそこに介入していく。これが「革ジャンにリーゼントってダサくね?」の背景だ。

こうして、1990年代初頭にだんだんとチーマーは勢力を強めていくわけだ。

当時の香ばしいファッション雑誌

さらに、この時期アメリカの西海岸文化が日本に流入してくる。1990年代後半のアメリカ西海岸といえばヒップホップカルチャーだ。で、しかも2パックやノトーリアス・B.I.Gが抗争の末に亡くなった、もうなんかバッチバチの時期である。

そんなアメリカのヤンキー文化が日本になだれ込んできて、チーマーから枝分かれする感じで「カラーギャング」が誕生する。

カラーギャング

カラーギャングとはその名の通りで、チームごとに身につけるものの色を決めて悪いことをする集団だ。だいたい何かしらの武器を持っており、暴力団の下請けにもなっていた。またこの時期、徒党を組んでサラリーマンを襲う「おやじ狩り」もめちゃめちゃ増えている。

そんな古いヤンキー(暴走族)から新しいヤンキー(チーマー・カラーギャング)に移り変わったことを象徴するのが1997年『氣志團』のデビューだろう。

今も変わらない氣志團

氣志團はキャロルとか横浜銀蝿と違って、コミックバンドだ。つまりすでにこの時点でリーゼントに特攻服はキャラクター化されている。はっきり言うと、族のスタイルは「いじられる存在」となったわけだ。

また1998年には石田衣良の『池袋ウエストゲートパーク(通称・IWGP)』が連載開始。チーマー、カラーギャングという存在の知名度を広げていく。

そしてその移り変わりは「ヤンキー=青春」や「ヤンキー=硬派」という1980年代までのイメージを変えつつあった。もはやヤンキーは陽的で実直な明るいバカではなく、軟派でチャラくて徒党を組んで「悪」をする集団に近づいていくわけである。だんだんと、表立って話をしにくい「アングラ」的存在に落ちていくわけだ。

1990年代の主なヤンキーマンガ

TOKYO TRIBE2

・クローズ
・キク
・ウダウダやってるヒマはねェ!
・エンジェル伝説
・BOY
・カメレオン
・TOKYO TRIBE1、2
・あらくれNIGHT
・頭文字D
・CUFFS 傷だらけの地図
・湘南純愛組、GTO
・QP
・フジケン
・ROOKIES
・特攻天女

1990年代、三次元では昔ながらの熱い不良はもう撲滅するのだが、マンガではこうしたオールドヤンキーがまだまだ人気なのがおもしろいところ。

氣志團しかり「勉強ができなくて真っ直ぐで仲間思いでケンカが強い青春男子」というのは、もう完全にキャラクターとして根付いたわけだ。

また、こうしたヤンキーマンガの多くが1980年代から続く「ギャグテイストのなかに、シリアスムードが入る」というフォーマットを踏襲している。

その筆頭が『クローズ』だろう。2000年代に入って続編の『WORST』に引き継がれるが、高校同士の抗争を通してずっと「ダサくてかっこいい男とは」について深ぼられている。

また『ROOKIES』ではスポーツ、熱血教師を通して不良が更生していく様を描く。1970年代の『夕やけ番長』以降、こうした「ヤンキー更生もの」も、一定のフォーマットとして確立した。

『ROOKIES』の激アツ教師像

学園ものでいうと、新たなヤンキー像を見せたのが『湘南純愛組』からの『GTO』だ。『湘南純愛組』のあらすじが「オタク以下の存在になったヤンキーから足を洗う〜」というもの。

1980年代に日本でサブカルブームがきて、1990年代にアニメやアイドル文化が、一部のオタクコミュニティで流行った。1985年にはWindows1.0が出て、1995年にはWindows95が各家庭で流行った。要するにこうしたPCやサブカルから「オタク」という存在が生まれ、学校でいじめられるようになる。

ただしこの時代の「リーゼントにバイク像ヤンキー」は「オタク以下の存在」だったわけだ。いかにダサかったのかがわかる。

そんな『湘南爆走族』の主人公・鬼塚英吉が教師になり、崩壊している学級を救うのが『GTO』だ。ただ学級崩壊しているといっても1980年代のように激しいケンカや校内暴力のシーンは少ない。

ものすごく裕福で頭のいい生徒が、陰湿な教師いじめをしていたり、教室内ヒエラルキーがものすごく嫌な感じで描かれる。

『GTO』のチャラいヤンキーたち

またGTOに出てくるヤンキーは、すこぶるチャラい。なんかもう、すぐレイプしようとする。そんなチャラ男たちと鬼塚英吉という硬派で真面目なオールドヤンキーとの対比を描いているわけだ。これは1990年代後半ならではの発明である。

またこの時代のマンガとして外せないのが、ファッション・ブランドのオーナー・デザイナーをしている井上三太の『TOKYO TRIBE」だ。

架空の街・トーキョーで繰り広げられる族の抗争を描いたものである。「族」といってもモデルになっているのは、1990年代後半の西海岸のストリート・ギャングチームだ。

「TOKYO TRIBE」は書き下ろしの作品であり「TOKYO TRIBE2」はファッション雑誌で連載された。この背景を見ても、当時は海外ラッパーたち、ギャングチームはオシャレの象徴だった。ひいてはカラーギャングたちのイメージも、やはりおしゃれだったわけである。

このように1990年代のマンガの世界では「オールドヤンキーのネタ化」「オタク・インターネットを使った陰湿ないじめ」「頭のいい生徒が学校を壊す構図」「おしゃれでイケてるギャングを描いた作品」などが出てくるようになる。

2000年代のヤンキーマンガ

『ギャングキング』

ヤンキー自体が絶滅に向かって進み始める2000年代

2000年代に入ってからは「チーマー」「カラーギャング」を含めて、野生のヤンキーが絶滅危惧種に指定されていくのは皆さんもご存知でしょう。昔は憧れだったヤンキーが、だんだんと「ダサい」「怖い」と思われていき、そこに少子化が加わって減っていくわけだ。

この背景には間違いなく1980年代から1990年代のイメージの変化がある。先述したように80年代までは「ヤンキー=ガキ大将=荒っぽいが硬派で不器用で真っ直ぐな奴」という、ポジティブなイメージもあったが、1990年代でそれは一掃された。

そんなパブリックイメージの転換に大きく関わったのが「SNS」である。2000年代、1990年代のヤンキーの支配下で辛い思いをしたオタクたちが自由に発言できる場所ができたんですね。

ヤンキーもオタクも共通して「内弁慶」だ。同じコミュニティの人間にしか心を開かない。ただし2000年代、オタクにはインターネットがあり、フィジカルなもの好きなヤンキーのネット利用率はまだ低かったと個人的には予想している。

いじめられた側にとって「匿名SNS」というのは相性抜群で、その利用率、発言率というのはエグかった。特に「2ちゃんねる」ではいじめられっ子たちが「ヤンキーはクソ」というスレを乱立させたわけだ。

それで2000年代以降「ヤンキー=社会のクズ」といったイメージがぐんぐん定着する。ちなみにWebアーカイブを見ると「いじめられっ子はくそ」というネラーが自虐的に立てたスレッドもかなり存在する。当時の2ちゃんねるは、もうこういう場なので仕方がない。

そんな2000年代のヤンキーファッションの話をしよう。これはもう完全にアメリカのヒップホップ文化からきている。巨大な金のネックレスを首から下げ、ダボっとしたジャージやジーンズを腰履きして、歩いていた。

ヤンキー女子は上下スウェットが基本のスタイルで、キティちゃんのサンダルを履いている。そんなカップルは夜な夜なドン・キホーテに繰り出して、あの激甘な匂いがするあの、HEMPの芳香剤を買うのである。

2000年代の主なヤンキーマンガ

『ホーリーランド』

・エリートヤンキー三郎
・ごくせん
・魁! クロマティ高校
・ギャングキング
・ホーリーランド
・WORST
・クローバー
・番長連合
・ドロップ
・デメキン
・ナンバデッドエンド
・A-BOUT

ただ、2000年代に入ってヤンキーマンガの勢力が落ちるか、といわれると違う。1990年代と同様、オールドヤンキーはギャグとして描かれていた。

また「まじめな学生がすごく強い奴と勘違いされて不良に巻き込まれる」というギャグのフォーマットが確立したのもこの時期だろう。1990年代には「エンジェル伝説」がこの型でヒットを飛ばしたが、2000年代には「エリートヤンキー三郎」「魁!クロマティ高校」といった作品が出ている。

また教師ものでいうと「ごくせん」。それまでは熱血男教師ものだったが、ここでは女教師が不良を力で更生させていくという描き方は斬新だった。これは先述した通り、ドラマ化されイケメン俳優の登竜門となった。

ただ当時のヤンキーのファッション性まで高く再現していたのは「ギャングキング」だろう。学生服でなく、アメカジスタイルで投稿する。もちろん全員が腰パン。そんななかで、主人公は「仲間意識」を大事にし、見た目ではなく中身で人を判断する。この芯の通ったヤンキー像を残しているのが愛されるキャラクターのミソだ。

また「ヤンキーもの」に写実的側面を見出したのが、冒頭でも紹介した「ホーリーランド」といえる。主人公は引きこもりの子。それが家で格闘技を学び、夜の街に繰り出して不良を叩きのめしていく。不良が持つ陰キャ的なアウトサイダーの側面は、まさに当時の不良に蔓延る「闇」の部分を表しているといってよい。

それとタレントが自分の元ヤン時代をマンガにし始めるのもこの時期だ。特にお笑い芸人、品川祐の「ドロップ」、佐田正樹の「デメキン」がヒットした。元来、ヤンキーとその周りのバイオレンスな出来事と、ノンフィクションは相性がいい。普通に生きていれば遭遇しないことは「んなわけねーだろ」と思われがちだが、ノンフィクションとうたうことで、リアリティを持って描けるからだ。

だから「実録!〇〇の素顔」的なコンビニ本は消えない。そのため、タレントのファンが買うだけでなく、ある意味「怖いもの見たさ」で読んでみる方が多いと予想している。

2010年代以降のヤンキーマンガ

『東京卍リベンジャーズ』

2010年代以降には「マイルドヤンキー」「半グレ」といった新人類が登場

マイルドヤンキー図 参考:「https://www.excite.co.jp/news/article/Ren_ai_63659/」

2010年代以降、ヤンキー業界では「マイルドヤンキー」という言葉が生まれる。あの「さとり世代」とか「Z世代」名付け親で有名な博報堂の原田曜平さんが名付けたものだ。

マイルドヤンキーはその名の通り、マイルドなヤンキーのこと。見た目とかはちょっとヤンチャだが、中身は善人であんまり悪いことはしない。LDH系のツーブロで謎に腹筋鍛えてて、夏になると色のついたサングラスが生えてくる人は全員該当すると考えていい。また元格闘家・現格闘家にはこのタイプがめっちゃ多い。亀田一家や朝倉兄弟など、体を鍛えてウェイウェイやってるけど、ちゃんとルール・法律は守る、というのがマイルドヤンキーだ。

このマイルドヤンキーの特徴は、まず「地元大好き」。車(ミニバンかワゴン)ではLDHか湘南乃風を流す。好きな言葉は「絆」で、ワンピースとディズニーが好き。よく行く店は地元のイオンかドンキで、フードコートと喫煙所を往復しながらツムツムを延々とやる。車やバイクを改造するが、交通ルールは守る。こういうのがマイルドヤンキーで、基本的にめっちゃいいやつだ。

2010年代にもう一つ流行った言葉が「半グレ」。初出は2011年の溝口敦著『ヤクザ崩壊』。以下のように紹介されていて、全然マイルドじゃない。

暴力団の陰で新興の組織犯罪集団が勃興している。彼らに対する公的な呼称はまだなく、本書では「半グレ集団」と呼ぶことにする。「半グレ」とは彼らが堅気とヤクザとの中間的な存在であること、また「グレ」はぐれている、愚連隊のグレであり、黒でも白でもない中間的な灰色のグレーでもあり、グレーゾーンのグレーでもある。

溝口敦(2011年・『ヤクザ崩壊 侵食される六代目山口組』)

半グレという存在は80年代に暴走族にいた悪い兄ちゃんが30年後に結成するパターンが多い。つまりこうしたヤンキーのおじさんのうち、丸くなるとマイルドヤンキーになり、尖り続けると半グレになる、というパターンがあるわけだ。

『ヤクザ崩壊』のなかでも取り上げられているように、半グレの登場で最もダメージを受けたのは暴力団であり、半グレはそれほどの規模感がある。現在では、山口組の構成員に匹敵するレベルとなっている。

このように2010年代以降、ヤンキーは母数が激減。マイルドになるか、ガチになるかの2択になった。

またヤンキーとは違うが、もう一つキーワードになったのが「トー横キッズ」だ。新宿・歌舞伎町の通称「ゴジラヘッド」の横で、地雷系ファッションに身を包んだ若者たちのことで、コロナ禍で増えてきた絶賛ホットワードである。

彼らは決してヤンキーではない。「いやいや傷害致死事件が起こしたやん」といわれそうだが、実はよくよく調べると関係のない、ただのヤンキーの仕業だった。これは私もトー横の子に取材をしたが、みんな「違う」と言っていたので、信頼していただいてよいと思う。

彼らが夜な夜な歌舞伎町に繰り出す理由は、1990年代以降のいわゆる「街」に出没する心の病んだ若者と同じだ。人に危害を加えないが、なんせメンヘラなもので同じコミュニティに属するしかない。しかも世間がどんどんクリーンで健康になるなか、メンヘラ自体が絶滅危惧種であり、そのコミュニティは限られる。

もともとは、とあるメンヘラホイホイがメンヘラ地雷系女子を歌舞伎町に集めていたのが由来らしい。ただコロナ禍だから店も空いていない。だから野外。場所がゴジラヘッドの隣だったのは、ホスト街に通じる通路だから。というわけだ。トー横のみなさんは、2022年現在のリアルな青少年の暗部を描いているといえる。

2010年代以降の主なヤンキーマンガ


『セブン☆スター』

・東京卍リベンジャーズ
・シュガーレス
・クズ!! 
・OUT
・セブン☆スター
・六道の悪女たち
・元ヤン
・サムライソルジャー
・ドルフィン

2010年代以降は、いよいよヤンキーマンガ自体がやはり減った印象にある。かつてのおバカで真っ直ぐなヤンキーキャラクターも、もう読者がパターンに慣れてきたのかあまりヒット作は生まれてはいない。

そんななかヤンキー系に限らず、1つ大きなマンガのブームになったのが「スピンオフ形式」だ。既存の作品の脇役を主人公に据えて、別作品として出す手法である。特に『クローズ』からはさまざまな人気キャラのアナザーストーリーが出てきた。ファンとしては「あのシーンをこのキャラの視点から書いたらこうなるのか……」という、新たな楽しみができた。

『OUT』は品川祐の『ドロップ』に出てきた井口達也さんが描く、というノンフィクションにおけるスピンオフものだ。

そんなヤンキーマンガ界において、久々の大ヒットになったのが『東京卍リベンジャーズ』だろう。『新宿スワン』で大人のケンカを描いた和久井健の作品だ。

「ヤンキー×タイムリープもの」という、ありそうでなかった作品。この時代にはヤンキーはもうあまり生息していないが、タイムリープを使うことで、ヤンキーがまだギリで生きていた2005年を舞台にできる。というのがとんでもなく上手い。が、2005年にしてはヤンキーのスタイルがちょっと古いのが気になるところ。

そのほか、半グレは「ヤンキーマンガ」ではなく任侠マンガでよく取り沙汰され始める。「ドンケツ」とかね。

またトー横キッズなどの「病んだ青少年」もヤンキーのカテゴリでは、ほぼ出てこない。彼らは「明日、私は誰かのカノジョ」みたいな「メンヘラ属性御用達」のコミックスに登場するわけだ。

「人は弱いからヤンキーになる」論

ということで、今回はヤンキーマンガについて1万8000字もかけてガッツリ紹介した。歴史を振り返ると、ヤンキーはPESTに合わせて変わることが、ものすごくよくわかる。

自分の中学時代を振り返りながら「なんでヤンキーって生まれるんやろ」と思い返してみる。結論「当時はみんな弱かったんだろうな」と思った。

ヤンキーになる背景は本当に千差万別だろうが、以下の傾向がある。

・自由への憧れ(支配からの脱却)
・「反普通」への憧れ(ルール破壊)
・強さ(トップ、モテ、金)への憧れ
・リスクへの憧れ(好奇心)
・育ちゆえの無知

ほとんどが何かしらに憧れてヤンキーになっていくのだろうと思う。「憧れる」とは、つまり「今の自分を許容できない」という表れだ。

「自由になりたい」と感じるのは「支配されている」と実感するからだ。つまり周りの大人たちが理不尽に思えるからである。例えば先生に怒られて「うん。一理あるな。行動を改めよう」と感じることができるなら、尾崎豊はバイクを盗まない。

中学時代に髪を染めたり、タバコを吸ったり、酒を飲んだりするのは「大人になりたいから」ではなかった。あえてルールを壊して、大人に攻撃をしつつ自由に近づこうとしていたわけだ。

ただし、一定数は「世間を知らないがゆえの好奇心」もあった。例えばヤンキーが万引きをするうえで「それがどうしても欲しいから」という理由は少数派だ。どっちかというと「やっちゃいけないことを犯すリスク」を楽しんでいる。そこには「やっちゃいけないことも自由にできるぜ」という支配からの脱却もある。

この「自由への憧れ」と「好奇心」がだんだんと「反普通主義」に変わっていく。「俺はお前らみたいなつまらない人生は送らない」という自負と、謎のプライドが積み重なっていくわけだ。

そして「普通じゃないことができる奴」はモテた。なぜなら「周りより上」という自信があるからであり、自信がある奴はガンガン発言力を高める。

そして(これは時代によるが、少なくともダウンタウン的笑いがスタンダードだった1990年代、2000年代は)周りの陰キャをいじり始める。その結果、ヤンキーはいつの間にかスクールカーストの最上位にいるのである。

こうしたスクールカースト最上位のヤンキーたちは全国にいた。すると「ヤンキー=モテる」というステレオタイプが後天的についてくるわけだ。

ここで多くのヤンキーは、10代のころに「成功体験」ができる。だから20代以降も成功体験を引きずって、同じコミュニティで過ごす。その結果、地元に残り続け、だんだんとマイルドヤンキーになっていく。

ヤンキー=信念が強い=壊れやすい=衝動的

とはいえ、ヤンキーではない普通の奴だって、10代は大人の言動を「理不尽」だと思っていた。「なんで俺が怒られなきゃならんのだ」と腹が立った。しかし問題行動を起こさない。

なぜか。「強いから」である。そんな理不尽がぶつかってきた時に一瞬は「クソ」と思うが、時間が経てば平常心に戻るのだ。ハートが低反発枕なのである。それは「社会のルールを守ること」に対して、自分のなかでまだ許せるからだ。

しかしヤンキーはとにかく「社会のルールに縛り付けられたくない」という信念が強い。これは幼少期の育てられ方などで染み付いてしまったパターンが多い。よほど親から強制的教育を受けたか、逆にほぼネグレクトか。ただし悪友に染まって心が狭くなってしまう「腐ったみかん理論」もある。

すると心は固ーくなってしまうわけである。ガラスのハートには「防弾ガラス」と「プレパラート」の2種類がある。大人から信念を否定されたときに、前者はまったく響かない。後者はもう怒りが絶頂に達してバイクを盗んで走り出すわけだ。

「信念」というのは強くなればなるほど、逆説的に弱くなっていくものなのだ。つまり信念の強い「ヤンキー」という生き物は非常に弱い。弱いから「力を誇示したい」「負けたくない」と思って、肩がぶつかった拍子にプレパラートが割れて相手にケンカをふっかける。これが私が考える「弱いからヤンキーになる」という論理だ。

ヤンキーではなく「アホで真っ直ぐな男」を読みたいから売れ続ける

中学時代、かじりついてヤンキーマンガを読んでは「やっべ。かっけぇ」と思っていた。マジで『クローズ』や『ワースト』で出てくる花木九里虎がこの世でいちばんかっこいいと思っていたし、あんな強い男になりたかった。

それから15年経って、今でもヤンキー漫画を読むが、もう完全にピンとこない。「痛そう……」とか「そんなんやめたらいいのに」とも思わない。

ただ、ヤンキーマンガは、おもしろいのである。その無鉄砲な真っ直ぐさとか、溢れ出るエネルギーとかは、見ていて応援できる。だからピンとこなくても読んじゃうんですね、これが。

『東京卍リベンジャーズ』のヒットを受けて「なぜヤンキー自体が絶滅危惧種になっているのに、マンガは読まれるのか」的な記事が何本か出ているのを見た。

それで「ヤンキーマンガが売れる理由は男の持つ闘争本能と女の持つ生存本能に響くからだ」と締めている記事があったが、ぶっちゃけ「いや、そんなDNAレベルの深いもんじゃないやろ」と。「東京卍リベンジャーズ好きとRIZIN好きは、絶対違うコミュニティやん」と。

私はヤンキーマンガが令和の今でも流行るのは「ヤンキー」というキャラクターが一過性のブームではなく、文化になっているからだ。とおもう。

ヤンキーマンガの本質は「ケンカ」とか「奪い合い」のシーンじゃないよね。ついケンカをしてしまうほどの「ひたむきさ」や「不器用さ」にあると思うんですよ。男女関係なく、ヤンキー漫画の主人公は総じて恥ずかしいんです。直視できないくらい眩しい真っ直ぐさがある。これは世代なんて関係なく支持される「キャラクター像」となった。だからみんな読むんだと思います。

そう考えると、もはやヤンキーマンガのキャラクターの競合(代替品)はヤンキーだけじゃないんですよね。ルフィとか悟空とか、そういうアホで真っ直ぐなキャラ全部が含まれるわけだ。アホで真っ直ぐなやつが、アホで真っ直ぐなやり方で幸せになるのを読みたいわけである。

ヤンキー自体は三次元において絶滅しつつある。しかしそういう「熱いやつ」は、いつの時代もいなくならない。だからヤンキーが絶滅してもヤンキーマンガは売れる。

そして間違いなく、この「ヤンキー像」をキャラクターとして文化レベルに持ち上げたのは「マンガ」だったといえる。

今回ご紹介したマンガには、今はもうピンとこなくなった当時の若者たちの青春が詰まっている。今は感じられないものだからこそ、読んでみると「その熱さ」に引き込まれる。普段、メガネをクイっと上げながらクールにロジカルに生きてる人にこそ、読んでいただきたい。

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