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日本のアイドルの歴史を年表でまとめ|1970年代〜2021年までの流れを徹底解説

日本の音楽を振り返るうえで「女性アイドル」は外せない。日本音楽シーンを席巻してきた「歌謡」とはまた違う。アイドルはアイドルだけのカルチャーを築いてきた。

以前の記事でもさらっと触れたが、私は数年前まで女性アイドル雑誌で書いていた。もともとまったく興味がなかったのだが、メジャーにもインディーにもインタビューをしていくうちに「あ、これはハマるな」と気持ちが分かった。

インタビューの現場はだいたいアイドル、マネージャー、カメラマン、私くらいだ。でも彼女たちはステージ上と同じなのである。裏だから適当、とかない。とにかく明るくて一生懸命でかわいい。パソコンカタカタしながらインタビューしてるだけでも好きになりかける。笑顔で握手なんかされたらそりゃハマるわけだ。

だからこそ日本の音楽シーンには、いつもアイドルとその熱狂的ファンたちがいた。もはやKawaiiは海外に波及し、Otakuを次々に生み出している。

では、女性アイドルはどのように登場して、どう変遷していったのか。今回は1970年代から、2021年にかけての女性アイドルの歴史を見ていこう。

アイドルの定義

はじめにアイドルの定義をしておかなくてはいけない。アイドルとは「偶像」といわれる。曲や詞は自分では書かずにプロに任せる。そしてその素材をもって舞台上で歌ったり踊ったりするわけだ。なのでアイドルは「プロデューサーやレコード会社などが作った像」といわれるわけだ。これは決して否定的な意味ではない。魅力の天才なのだから。

そこでよく「アーティストとの違い」という比較がある。「アーティスト」という言葉は「市場、セールスを意識せずに、自分と向き合って作品を生む人」と訳される。

しかし音楽シーンについての「アーティスト」の用法は、まったく違う。アイドルもR&Bシンガーもバンドも全部ひっくるめて「アーティスト」と呼ばれることもある。特にメジャーアーティストはファンのために曲を書いているわけで、これは本来の「アーティスト」とは意味が違う。

では「どこからがアイドルで、どこからがアーティストなのか」という問題。これはかなり長年、評論家が取り組んでいて、見解が違うものだ。いろんな人の定義を読んで、特に腑に落ちたのが以下の3点だった。

・音楽シーン外にも活動の幅を広げている
・過剰にキャラクターを作っている
・常にファンを意識している

なのでここでは、この3点に絞って話を展開していきたいと思う。では早速、代表的な女性アイドルとともに歴史を振り返ってみようではないか。

1970年以前 〜男性歌手のアイドル化・女性アイドルの萌芽〜

1970年以降から日本女性アイドルの歴史は始まる。ではどうやって「女性アイドル」は生まれたのだろう。

1950年代から日本では海外ロックが輸入され、男性ロックミュージシャンがモテにモテた。平尾昌晃、ミッキー・カーチスから始まり、西郷輝彦、三田明、またグループ・サウンズといわれるバンド、堺正章などがこのころ「アイドル」と明確にいわれはじめる。

いっぽう、女性シンガーは「日活映画の女優が歌も歌う」みたいな風潮だった。美空ひばり、吉永小百合、江利チエミが「三人娘」といわれ、その後継的に伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの「スパーク三人娘」につながり、伊藤エミ・伊藤ユミの「ザ・ピーナッツ」が誕生する。

三人娘、スパーク三人娘、ピーナッツともにバラエティタレントや女優としても活躍した。当時の男性タレントも同じで、この歌手としただけでなくマルチタレントとして活動することがアイドルを定義づけることになる。

1970年代 〜「スター誕生!」からピンク・レディー全盛まで〜

1970年代前半の代表的なアイドル

・ゴールデンハーフ
・天地真理
・南沙織
・小柳ルミ子
・アグネス・チャン
・麻丘めぐみ
・森昌子
・山口百恵
・桜田淳子
・キャンディーズ

1970年代後半の代表的なアイドル

・ピンクレディー
・大場久美子
・榊原郁恵
・石野真子
・BIBI

1960年代の女性歌手のヒットを受けて、女性タレントが次々にデビューする。なかでも現在まで続く日本のアイドル文化を作ったのは1971年デビューの天地真理である。天真爛漫なキャラクター、独特な衣装、曲に最中に飛ぶファンからのコールなどは天地真理から生まれた。天地真理がいなければ、現代のキモヲタも生まれなかっただろう。

また1971年から日テレで「スター誕生!」が放映され、オーディションから次々にアイドルが生まれた時代でもある。なかでも山口百恵・森昌子・桜田淳子からなる「花の中三トリオ」が前半に台頭する。日本はどんだけ3人で括りたいんだ……。

後半からはピンク・レディーが文化を作る。1976年にデビューシングル「ペッパー警部」を発売。それまでになかったセクシーな衣装と、独特な振り付け、またキャッチーすぎる曲と詞を含めて、1970年代前半のアイドル像をぶち壊す。

この勢いのままアメリカに進出するが、あえなく失敗。デーブスペクター曰く「ピンク・レディーって英語で売春婦を意味する。名前が悪すぎた」とのこと。まだ日本のアイドルは世界進出を果たせなかった。

1980年代のアイドル 〜歌謡から若者向けポップスが主流に〜

1980年代前半の代表的なアイドル

・柏原芳恵
・河合奈保子
・松田聖子
・松本伊代
・薬師丸ひろ子
・小泉今日子
・中森明菜
・早見優
・原田知世
・堀ちえみ
・松本明子
・森尾由美
・荻野目洋子
・岡田有希子
・少女隊

1980年代後半の代表的なアイドル

・おニャン子クラブ
・うしろゆびさされ組
・井森美幸
・河合その子
・斉藤由貴
・中山美穂
・南野陽子
・国生さゆり
・城之内早苗
・高井麻巳子
・西村知美
・新田恵利
・山瀬まみ
・渡辺麻里奈
・渡辺美奈代
・うしろ髪ひかれ隊
・工藤静香
・後藤久美子
・酒井法子
・森高千里
・ゆうゆ(岩井由紀子)
・生稲晃子
・ウインク
・西田ひかる
・CoCo
・宮沢りえ
・ribbon

1980年代に入ると、歌謡曲の雰囲気はなくなり、よりポップスに近づいていく。日本の音楽シーン全体を見ても、山下達郎、荒井由実、竹内まりやなどのシティ・ポップ勢が躍進。彼らがアイドルに曲や歌詞を下ろすことも多くなった。

ピンクレディーがアメリカから戻るころには、すでに聖子ちゃんが人気に。フリッフリの衣装にぶりっ子キャラを確立する。松田聖子を筆頭にソロアイドルがどんどん増えていった。特に小泉今日子と中森明菜がデビューしてからは「アイドル黄金期」と呼ばれる時代に突入。この辺りで「女性アイドル」という呼称が定着する。

ソロアーティストが活躍するなか、1985年に「夕やけニャンニャン」が放映開始。「アイドルを探せ!」という企画と連動して、秋元康プロデュースのもと「おニャン子クラブ」が発足する。番組は1987年に終了してグループも解散するが、1980年代後半にはメンバーのソロデビューが次々に決まり、しかもそれぞれがヒットを飛ばすようになった。

また1988年以降は宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさの「3M」を中心とする「美少女ブーム」も到来。これはおニャン子クラブが「普通の女の子キャラ」だったのに対して「高嶺の花」というブランディングで人気を獲得した。

1990年代 〜アイドル冬の時代とモーニング娘。〜

1990年代の代表的なアイドル

・三浦理恵子
・Qlair
・中江有里
・制服向上委員会
・大阪パフォーマンスドール
・永作博美
・SUPERMONKEYS
・黒BUTAオールスターズ
・桜っ子クラブさくら組
・C.Cガールズ
・東京パフォーマンスドール
・SPEED
・モーニング娘。

1990年代に入ると、嘘のようにアイドル人気が落ち込んでしまう。その背景にはさまざまな要因があるだろう。

1つはビーイングブームが来たこと。芸能事務所・ビーイング所属のTUBE、B'z、大黒摩季などのアーティストがオリコンの1〜10位までを占めることもあった。ビーイング系の多くは自分で作詞・作曲をするのが特徴であり「アイドル」という存在が急に恥ずかしくなった。

またTKブームもある。小室哲哉は篠原涼子、華原朋美、安室奈美恵ら美女たちを決してアイドルっぽくなくプロデュースし、アイドルの存在価値が薄れてしまった。

そんな状況を打破したのが1995年のSPEEDと、1998年のモーニング娘。だ。個人的にはSPEEDをアイドルの領域に含めることに違和感があるので、ここではモーニング娘。についてしか触れない。

モー娘。がデビューしたのは1998年。おニャン子と同じく、オーディション番組の「ASAYAN」がきっかけだった。サウンドプロデューサーはご存知つんく♂であり、今でもすべての作詞作曲を手がけている。

デビュー曲の「モーニングコーヒー」はいきなりオリコン6位入りを果たす。これがまず(SPEEDを除くと)「アイドル冬の時代」において異例であり、同時に5つの音楽番組と12種類の雑誌で大々的にプロモーションを打った。これで認知を得たモー娘。は2作目の「サマーナイトタウン」で4位、3作目の「抱いてHOLD ON ME!」でついにオリコン1位を取った。

モー娘。が発明したのは「卒業制度」だ。メンバーが卒業したら解散、ではなく新たなメンバーで補填する戦略を打った。その結果、現在でも活躍しているわけである。

なお「モーニングコーヒー」から最新シングル「純情エビデンス/ギューされたいだけなのに」まで23年間、すべてのシングルがTOP10入りをしている。これも卒業制度を発明したからこそだろう。23年間ファンを続けている人も、日本にはかなりいると思われる。

2000年代 〜ハロプロ・AKBによるアイドルのメインカルチャー化〜

2000年代の代表的なアイドル

・プッチモニ
・ミニモニ
・W
・カントリー娘
・°C-ute
・Berryz工房
・AKB48
・SDN48
・SKE48
・渡り廊下走り隊
・ノースリーブス
・アイドリング!!!
・Perfume
・ももいろクローバー
・私立恵比寿中学
・でんぱ組.inc
・Pabo
・9nine
・ゆいかおり
・恵比寿マスカッツ

2000年代に入ってもモーニング娘。を擁するハロープロジェクトの勢いは止まらず、さまざまなグループを結成。巨大勢力をなす。そこに食い込んできたのが2005年のAKBグループだ。

おニャン子クラブで一度成功を収めている秋元康がプロデュース。秋葉原に劇場を作り「会いに行けるアイドル」という新しい価値観を作り上げた。アイドルが「神聖な存在」から「身近にいて、成長する様を応援できる存在」に変わった瞬間である。ある意味で、この時点からアイドルは「憧れだけ」ではなくなった。

そして2000年代に起きた革命がもう1つ。2004年の「電車男」だ。2ちゃんねるの名スレッドを実写化したこの作品で、大衆から忌避されていた「アキバカルチャー」がグンと知られるようになる。

これで2007年の紅白歌合戦に「アキバ枠」として中川翔子、リア・ディゾンとともにAKB48が登場。ちなみに同年の紅組トップバッターはハロープロジェクトだった。この辺りから「アイドルオタクを公言してもいい」という空気が漂い始める。

またこの空気のなかで深夜アニメ人気も高まっていき、声優人気が後半から上昇。ゆいかおりなどの声優アイドルが生まれはじめた。

2010から2020年代 〜国内レーベルとK-POPの群雄割拠〜

2010年代の代表的なアイドル

・アンジュルム
・Juice=Juice
・こぶしファクトリー
・つばきファクトリー
・BEYOOOOONDS
・フレンチ・キス
・Not yet
・NMB48
・HKT48
・NGT48
・STU48
・乃木坂46
・欅坂46
・日向坂46
・チームしゃちほこ → TEAM SHACHI
・たこやきレインボー
・BABYMETAL
・KARA
・少女時代
・AFTER SCHOOL
・BLACK PINK
・きゃりーぱみゅぱみゅ
・SUPER☆GiRLS
・仮面女子
・ライムベリー
・さくら学院
・虹のコンキスタドール
・ベボガ!
・ラストアイドル
・BiS
・BiSH
・GANG PARADE
・神宿
・東京女子流
・=LOVE
・ZOC
・NiziU

2010年代に入り、アイドル好きはもはや閉鎖的なオタクにとどまらず、1980年代を思わせるほど大衆化した。依然、ハロプロ・AKBグループの2強は次々に新しいユニットを出す。

ハロプロ人気に少し翳りが出る一方、AKBグループはアジアの開拓をはじめ、ジャカルタ、バンコク、上海、マニラ、台北、ホーチミン、チェンマイ、デリー、ムンバイなどにアイドル文化を輸出した。

さらにきゃりーぱみゅぱみゅをはじめとしてkawaiiカルチャーとして日本のアイドル文化は、さらに海外に広まることになる。そこに最もハマったのがBABYMETALだろう。彼女らはレディー・ガガ、レッチリ、メタリカなどの大物のオープニングアクトを飾り、毎年のように海外の賞を獲得するまでに成長した。

また2010年のKARAをはじめとするK-POPが到来。少女時代などのアイドルグループが登場した。このブームはいったん収束するものの、2010年代後半から2021年現在にかけて、再度花開くことになる。After School、BLACKPINK、Brown Eyed Girlsなどが若年層に人気に。

さらに国内アイドル界隈は群雄割拠を極める。ももクロ、エビ中で飛躍したスターダストプロモーション、でんぱ組.incを輩出したディアステージ、そこに過激なパフォーマンスのWACKなどが食い込んでくる。またこの他、Maison book girl、ZOC、クマリデパートなどを抱えるekomsが、ここ最近シェアを拡大している印象だ。

2021年現在、アイドル業界はまさに混沌とした状態だ。しかしこれほどまでに産業が元気な理由は「パイが広がったから」である。もはやアイドルはオタク青年の文化ではなく、少年少女、大人の女性、下手したら高齢者層までのカルチャーとなった。

日本アイドル史には3つの発明があった

アイドルの音楽は「完全にセールスに振り切っている」のは間違いないだろう。プロデューサーに表現欲求があったならば、自分で歌うに決まっている。

だからこそアイドルはポジティブな意味で「偶像」なのだ。魅力がなければ務まらない。アイドルはみんな「愛される天才」なのである。

日本アイドル史をこうして並べてみると、アイドルを売るために、いくつもの発明があったことが分かるだろう。

1つは天地真理が「キャラクター」を作ったことだ。これ以降のアイドルのキャラは天地真理のものを崩すのが通常になった。松田聖子がぶりっ子に扮し、山口百恵や中森明菜が大人の女を演じ、BISHが何をするか分からないメンヘラ女になりきる。この「愛されるためのキャラクター」は今や欠かせない。

2つ目はハロープロジェクトの「卒業システム」だろう。これによって1つのアイドルグループで半永久的にセールスを上げるための下地が完成した。ただしアイドルとしての質がなければ、あっという間にほかのグループに食われる。ハロープロジェクトのプロフェッショナル精神には頭が下がる。

3つ目はAKBグループの「成長を応援する」という仕組み。これには感動した。それまでの「憧れの人をずっと見ていたい」という購買理由を、1つ上の次元まで高めたといっていい。「応援する」という動機だと代替品が生まれにくい。また性別や年齢の縛りがない。

最近ではNiziU、BLACK PINKなども、ブランディングとして「成長過程を見せる」を積極的に取り入れているのは一目瞭然。アイドルはもはや「かわいい」だけじゃない。「『かわいい』から『かっこいい』に変わっていく過程」に魅力が詰まっているわけだ。

これらの発明が、今のアイドル文化を作っているのは間違いないだろう。歴史を振り返ってみると、いろんなことが分かってくるものだ。

アイドルの方々には健康的に文化を作りつづけてほしい

今後のアイドル産業はどう変化していくのだろう。1つだけ今のアイドル界隈で危惧しているのは「当事者がちょっと健康じゃなくなってきている」気がしている。

地下でも地上でもアイドルにインタビューをしていた身として「アイドルは人気商売ゆえ精神的に不安定になりがち」というのは承知している。そりゃ売れるために、自分を消費しなければならない。

そして「寿命(時間)が短いこと」「今やライバルが無数にいること」が、メンヘラ化を促進させている気もしている。SNSが発達して誰もが発信できる今、毎日のようにアイドルは増える。常に「バズり続けなきゃ」という不安に苛まれることもある。その結果、精神的に辛くなる人も多い。つい、無理をしてしまうわけである。

個人的には講談社(しかも小林司)の「ミスiD」が世に広まってきたあたりで「大丈夫かこれ」と思っていた。イベント自体にものすごく濃密な承認欲求が見えたし、大人の汚いところもチラついた。参加者が漏れなくメンヘラ顔をしていたことが象徴している。

またWACKという会社が出た際に、急激にアイドル界隈が可哀想になったのも覚えている。「イタい」や「サムい」を通り越してなんか悲しくなった。何より「これがウケている」というのが問題だと感じて、私はインタビュー原稿を書いた後に、アイドル雑誌の仕事をすっかり辞めたわけだ。

こうしてデビューをした後に「承認欲求じゃない。ビジネスのためにバズってんだよ」と言い始めたらもう終わり。「キャラを演じてバズらないと飯が食えない」というのは、かなり不健康な人生だ。

「バズ」という言葉は、もうすぐ死語になる。また何が怖いって「バズマーケティング」は一発屋になりやすい。リズムネタと一緒だ。アクが強すぎると、すぐに飽きられる。

なので近年、NiziUが非常に健康的なオーディションを開催しているのを見て嬉しくなった。負けた人も讃えられながら去っていく。すごく健康的で、かつ敗者を含めて綺麗に見せている。グループ全体のブランディングを含めたマーケティングにも成功している。いいな、と思った。

なので2021年以降のアイドルは、ぜひ「精神的健康」をテーマにしてほしいわけである。もうそろそろ「アイドルはメンヘラ」というステレオタイプを払拭すべきだ。普通かつ健康に2021年以降も、アイドルの歴史を紡いでいってほしいものである。

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