【哲学】科学や歴史は、すべて現象をうまく説明するための仮説にすぎない?

「科学はすべて、自然現象をうまく
説明するための仮説にすぎない。」

昨日、読んでいた本に
そういう一文があり、
「そっか~、なるほど〜」と
唸っておりました。

万有引力の法則だって、
引力は目に見えませんからね。
ただ、引力があると考えると
色々な現象がうまく説明できる
有力な「説」ですね。

私には分からないけど、
相対性理論なども、
有力な「説」なんでしょう。

それから、その本の作者は
歴史だって、
現在の人間が一番納得しやすい、
または都合よく説明できる
「仮説」ではないか?ともいう。

歴史も?
歴史も仮説?

科学は仮説、というのは
割と納得しやすいですが、
歴史は本当にあった事実を
ありのまま書いてるんじゃないの?
といいたくもある。

でも、現代史であれ、
謎はたくさん残っていて、
解明されていない事象は多い。

例えば、ニ・ニ六事件。
半藤一利さんの本だったか、
対談だったかで得た知識ですが、
まず、誰が決行を最終的に
決めたかはっきりしていない。

また、あの日の朝も、
皇居に直行するはずが、
決行部隊は急に寄り道をするんですが、
その背景も、まだ推測で考える
しかないらしい。
今はまだ謎なんですね。

私はそんな現代史で、
まだ謎のままという部分が
あること自体にびっくりしました。

話は変わりますが、
徳川家康は本当にいたのか?
これも、統治者の徳川幕府が
そう古文書で書いていて、
また、そう書いてある古文書が
数も多いから、
一番みんなが信頼でき、
また納得できやすい「説」。
徳川家康は、じつはあんなに
高齢まで生きたわけではなく、
途中で影武者が家康として引き継いだ、
なんて話もあるくらいですものね。

今、日本史の教科書に書いてある話は、
これまでの「仮説」の
積み重ねだってことになるんですね。
明治以降のたくさんの歴史学者が
考えてきた説明の集合体、
それが歴史だって言うと、
身も蓋もないですが。

大事な事柄の多くは
案外、仮説なのかもしれない。
そう疑うことも、
ちょっと楽しいかもしれません。

科学であれ、歴史であれ、
これからまだまだ多くのことで
私たちもニュートンみたいに
仮説を「発見」ができるんですものね。

「仮説」というと
言い過ぎかもしれないけど、
歴史は有力な「説」である、
というのは確かな気がします。

冒頭の文章は
永井均『子どものための哲学』
講談社新書。

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