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【作家】作家と戦争。作家と震災。

今日はちょっとシリアスで…汗。

ロシアがウクライナに侵攻して以来、
どんな作家が何を言うか?
気にかけてみているのですが、
ウクライナやロシアの文化や風土、
宗教に余りに関心が薄いため、
ロシアの武力行使を非難するしか
ないみたいですね。

ウクライナといえば、
中欧のような、
中央アジアとも言えるような、
西ヨーロッパとちがう地域の人々が
ヨーロッパにあこがれ、
ロシアとはサヨナラして、
「ヨーロッパ」ブランドに
加わりたかったのでしょう、、、。

それがもう何百年もの積年の
葛藤になっていたことが、
根っこにあるのは確かですね。

それはまた、
ロシアはヨーロッパではないという、
積年のロシアのコンプレックスを
刺激したのかなあ。
ロシアはドストエフスキーの時代から
何の進歩もしていないんだな…。
自分の劣等感が一周して、
他人に怒りを向けるとは?

だからと言って、他国に
侵攻していいはずはありませんね。

さて、時はさかのぼりますが、
1990年、湾岸戦争が起きた時は、
日本は、ブッシュ率いる
悪しき時代のアメリカから、
お金も出せ!人も出せ!軍隊もだせ!と
いいようにねだられっぱなしで、
とうとう戦後はじめての
自衛隊派遣まで行ってしまった。

この時、作家・中上健次は、
脂の乗り切った頃でしょうか、
哲学者・柄谷行人を担ぎ出し、
高橋源一郎や田中康夫や津島佑子、
いとうせいこう、島田雅彦らを集め、
発起人にして、
1991年、討論会の末、
「湾岸戦争に反対する文学者声明」を
発表しました。

中上さんとしては、
日本の作家は黙ってないぞという
想いを見せたかったんでしょう。
なあなあな文壇や社会全体に
イッパツぶちかましたかったんですね。

発起人たちも、正直言って、
顔ぶれがみんな尖った人ばかり。

発起人はさらにヒートして
アメリカの新聞
「ニューヨーク・タイムズ」に
戦争反対の意思表明広告を出しました。
これには、文面の抽象性から、
反対する声も文壇から多くありました。

でも、なんだかすごいなあ、
文学者もこんなことをするのか!
と、20代の私には凄く衝撃的でした。

また、時代は少し戻って、
2011年、
あの東日本大震災の折。

私は当時はまだ編集者でした。
それで、そうだ、
担当している漫画家さんに
被災者へのエールを送ってもらえないか?
もちろん、あくまで漫画家の意思です、
私が「お願い」することではない、
ということは重々承知で、
色んな漫画家さんに
イラストを一枚、どうですかねえ?
といった話を電話でして回ったことが。

会社には、軽く?話はしてありました。
が、イラストが作家さんから
届きだした辺りで、
これはあいつがボランティアをはき違え、
作家に「強制」してるんじゃないか?
と問題になりました。

たしかに
「被災者のためにこんな応援サイト、
作ろうと思ってるんですよ~」
といってまわるのは、
聞かされる作家の身にもなると、
それなら私も書かないとなあ、、、
と、ならざるを得なかった面も。

しかし、そんなサイトを
用意するんだというのは、
私には「告知」のつもりでしたが、
日本の「ボランティア」はまだ難しい
ニュアンスがありますね。

「告知」しなかったら
一枚も集まらい訳で、、、。

この時に、何人かの漫画家は、
明確に、私は書けないかな、
とおっしゃいました。

それはなぜかというと、
そんなサイトで、
社会的メッセージを出すことで、
自分の作ってきた
作家イメージ、作品イメージが
損なわれる方がいるんです。

たとえば、ですよ、
私も一度もお顔も観たことないですが、
大島弓子先生が、仮に今、
ロシアの侵攻、反対!という
メッセージを何かで発表されたら、
どうでしょうか?
まず、ファンはビックリですね。
大島先生どうしたんだろう?
と疑問に感じるかもしれない。

大島先生が50年以上
作りあげてきた作品イメージが
にわかにブレるというか、、、

創作家、とくに幻想的な作家、
儚い世界観や、人間の内面を
追求する作家たちは、
社会的な発言は非常に
難しい場合もあるんですよね。

大島先生の例はあくまで仮想です。

ただ、文章を書くということは、
正しいことを書いていればいい、
という訳でもないんですね。

今、ウクライナ問題では、
誰がどんな風に言葉を発するか?
と同様に、
誰がどんなふうに沈黙してるかも、
色々なことがわかるアングルでしょう。

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