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生きるために死ぬ

20240522

私たちは2億回死んだ
少なくとも2億回死んで今生きている

正確には、2億回の死の上に、生きている。
私たちの生の前には、2億の精子が死んだ。

それは少なく見積もってもだ。
できちゃった結婚なら、まだしも、セックスしたからって、中に出したからって、できるわけじゃない。
だから、2億じゃない、5回なら10億、100回なら200億だ。

どのくらいかはわからないけど、私たちが、生涯稼ぐ金額より上なのは確かだ。毎日一生懸命働いて、一生働いて、稼ぐ金より多い。そんな貴重な世界の上に立っている、生きているだけで。生の価値とは、尊い。

次に、人間に生まれ変わる可能性は、1/200,000,000よりは低い。2億より低い。数学的には、2億の全部が死ぬし、人間じゃない生物の可能性もある。蛇かもしれない。ゴキブリかもしれない。魚かもしれない。草かもしれない。養豚場の豚かもしれない。石かもしれない。生とは尊い。

だからと言って、生を、正しく、生きようとはならない。生まれ変わった後のことは、誰も知らないし、生まれないことが、一番だと、仏教の創始者は言っているくらいに。

正しく生きないで、どう生きるのか。
もがいて、あがいて、みっともなく生きようか。

どうせこの世界は、マリオのゲームで、死んだときに「あー、この人生は、ゲームだったんだ。人生ゲームだったんだ」と気付く人生でしかない。

2億分の1は、この世界の、このゲームのルールで、実は、ゲームリセットしたら、別のゲームが始まるかもしれない。それは、人に殺される運命のゴキブリかも、食べられるための豚かも、泳ぎ疲れて死ぬ精子かも、しれないが。

死を前提として生まれるよりは、今の生の方がいくらか、マシだろう。死ぬために生まれるよりは、いつか、死ぬであろうと生まれることに。

生きることに意味はない、死ぬことに意味はないように。泳ぎ疲れて2億回死んできた。そして、1回生きただけのもの。狭い檻の中の豚より、生きるためのパスポートがある。

私は、あなたが好きだし、
私は、やりたいことをいつでもできるし、
私は、セックスだってできる。

生きている。
生きることを許されている。
生きてていい。

2億の精子を殺し続けて、生きる。

死ぬために生きている気はないし、
死ぬために生きているわけじゃない。

生きるために死ぬ。
よりよく生きるために死ぬ。

死なないとよりよく生きれないから。
死なないと生をまっとうできないから。

死なないなら、退屈で死んでしまう。
死という生の消費期限が、生の意味










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