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私たちは100%死ぬ


2022/2/21

黒澤明「 赤ひげ 」

飢え

① 社会システムは、経済活動が基盤となっている。
② 経済活動の根本となっているのは食糧である。
 生存のために必要な食糧を確保しなければ人は生きていくことができない。
③ 経済活動が成長していかなければ、安定的に食糧を確保していくことはできない。
④ 経済成長の恩恵が人々に実感されなければ、誰も「 宗教にすがろう 」とは思わない。
⑤ 経済と宗教は手を組み、表裏一体となって、発展してきた。
⑥ この2,000年、経済は成長を続けてきたし、宗教も途絶えることはなかった。

そして、人類史上、飢えを克服したはじめての時代が現代である。

80年前の戦争を知る人々は、飢えを知っている。しかし、それ以降の世代は、飢えを知らない。私たちは、飢えを知らないし、これからもきっと、飢えることはないだろう。

娯楽

そんな中で、人類のひとつの到達点に辿り着いた私たちは、食糧は生きるための術ではなく、食事を娯楽とした。

娯楽?

娯楽は楽しい反面、悪影響もある。

糖質は、体の栄養補給のためではない、むしろ、体に悪影響を与える、だから、娯楽だ。

私たちは「 食事をしないと体に悪い 」と考えているが、食事と娯楽を混同しているに過ぎない。食事には、体に必要な栄養素を補給する役割りと、体に悪影響で「 ただ食べて美味しい 」という娯楽の役割がある。糖質:ご飯やパスタ、デザート:ケーキやチョコ、甘いクリームがのったコーヒーは、体に悪い、ただの娯楽である。

飢えることがなくなった私たちは、食事を栄養補給のためではなく、娯楽という遊びに変えた。そして、娯楽の悪影響は成人病として体を蝕む。私たちは、娯楽で体に悪影響を与えて消費していかないと、「 死ねない、長生きしてしまう 」という世界へと足を踏み入れた。

別に死にたいわけじゃない。
じゃあ長生きしたい?

それは、死んだらどうなるのかわからないから、怖いだけだ。
死ぬのが怖いのではなく、死んだらどうなるのかわからないから怖いのだ。

『 死んだら、そこは天国で、すべてが満たされていて、どんなものもタダで手に入って、何でも食べられる、酒は飲み放題酔い放題、目の前には美女だらけで、性的な快楽も無限大で、酒池肉林である。毎日を、何不自由なく、過ごすことができる。』だとしたら、死ぬのも悪くない。むしろ、現世に不満がある人たちは「 死んだ後の天国の方がいい 」と感じるかもしれない。

ただ、それが真実がどうかは、わからない。現世に、死んだ人はいないからだ。今、現世にいる全員が100%死ぬことは、わかっている。だけど、死んだ後どうなるかだけは、絶対に、わからない。どんなに科学が発展しても、空を飛べるようになっても、宇宙に行けるようになっても、絶対にわからない。

その答えは、仮説である。現世には、仮説しかない。
2,000年以上も語り続けられてきた仮説が宗教である。
宗教の役割のひとつは、死というものへの回答である。

科学は死を説明できないし、宗教は仮説でしかない。

私たち人類に残された最後の課題は、死である。

私たちは、普段の生活の中で、死について、思いを巡らせることはない。「 まだ、死なない 」と思っている。「 近い将来、死なない 」と思っている。「 明日も死なない 」「 来月も、来年も死なない 」と思っている。とりあえず、それ以上先のことは、心配しなくていい。しばらくは、死なない。いつか死ぬことだけは、わかっているけど、死を意識しながらなんて生きられないから、死ぬことを考えない。

私たちは、いつか死ぬことを理解しながらも、その死について、夏休みの宿題のように、先延ばしにして生きている。今は、考えなくてもいい、人生のゴールは、もっと先だ。

私たちは、「 意思を持って生きている 」と考えている。私たちは「 意思を持って人生を過ごしている 」と信じている。私たちは、いつか死ぬことがわかっているけど、それまで、何となく生きている存在に過ぎない。私たちは、ヒトだ、ホモ・サピエンスだ、ちょっと賢い動物に過ぎない。人間と猿のDNAは96%同じだ。私たちは、そんなに大層な生き物じゃない。

私たちは、ただ、生きている存在である。
私たちは、死ねないから生きている存在である。
死ぬのには意思がいる。
生きるのには意思はいらない。
死ぬためには、死ぬための行動が必要だ。自分を殺さなければならない。
生きるためには、生きるための行動は不要だ。いつもと同じ毎日を、毎日の習慣を繰り返すだけでいい。
私たちは、能動的に死ねないから、受動的に生きている存在に過ぎない。
生きるのに動機は必要ない。死ぬのには動機が必要だが。

生きたい、生きねばならない、生きる
すべては、まやかしに過ぎない。

私たちは、生かされている存在である。
私たちは「 この世界に生まれよう 」と思って、生まれたわけじゃない。
ただの偶然でここにいる。

私は、気が付いたら、ここにいた。
私は、生まれた時の意識はない。
私の意識は、気が付いたらあったのだ。
そして、寝る時のように、気が付いたら意識がなくなっているのだ。
それが死だ。

私たちは、生まれることも、死ぬことも、意識があることも、意識がないことも、何も自分でコントロールできない存在である。私たちは、ただ、ここに在る、生かされている存在である。


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