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【自己紹介】僕が遺書を書いて学習塾を辞めた理由

こんにちは。元塾講師のストームです。僕は東大経済学部出身の30代。大学を卒業後に就職した学習塾を退職して,今はフリーの身です。このブログでは以前勤めていたブラック学習塾での経験を告発していきます。

記事の内容は事実に基づくフィクションです。匿名性を担保するためにいくらかの修正をエピソードに施していることは許してください。告発記事ではあるものの,具体的な人名や企業名を出すことは加害者だけでなくその家族や関係者にも危害を加えてしまう可能性があるためです。Twitterでも発信していく予定なので,もしよければフォローお願いします。

さて,タイトルの通り,塾講師だった僕は遺書を書いて勤めていたブラック学習塾を辞めることにしました。遺書を書くほど追い詰められた理由はシンプル。

会社の中にしか居場所がないと思っていたから

具体的なイメージをもってもらうために遺書を書いて会社を辞めようとしたときのエピソードを一つ。

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僕には直属の上司が一人いた。その人は塾長で取締役。会社の創業メンバーで,社長と同じくらい頭がいいと言われて,会社の中でも崇拝されていた。その人の名前は,うーん...九州男児っぽい感じだったから「九州」さんにしよう。お酒が大好きで大学時代もラグビー部に入っていたバリバリの運動会系!

九州さんは数学を担当していたこともあってとにかく論理的。全体のミーティングでも明晰な分析をして,常に会社を正しい方向に導いてくれる。「社長と九州さんがいるからこの会社はつぶれない」と僕たちは固く信じていた。

そんな九州さんが僕の直属の上司になってくれた。めちゃくちゃ嬉しかった。これから毎週ミーティングをしてもらえるんだ。嬉しいなぁ。当時はそんな風に考えていたと思う。

けれどもその後,この九州さんが僕を追い詰めることになる。多分九州さんに悪気はない。僕が会社を辞めた後に,九州さんが他の取締役に「ストーム(僕)には本当に悪いことをした。申し訳なかった。」と言っていたと聞いた。(できれば直接言ってほしかったし,もっと早く気付いてもらいたかったけど)

九州さんが僕を追い込んでいく様子は今後の記事で詳しく書いていくとして(ちなみに辞めたのは九州さんからの追い込みが直接的な理由だったけど,それ以外にも理由はたくさんある),そんな九州さんに僕が勇気を出して「会社を辞めます」と言ったときのエピソードを書いてみる。

その日は秋に入りかけていたものの,まだ残暑で長袖のワイシャツをめくりながら九州さんと定例のミーティングをしていた。お昼だったこともあり,会社の近くのパスタ屋さんで食べながらミーティングをしていた。

僕はすでに「母親が病気になった」という理由で退職する旨を社長に前日伝えていた。この日は九州さんに退職の理由を伝えないといけない。パスタに2口ほど手を付けたとき,僕はこういった。

僕「母親が癌になってしまいました。今まで親不孝なことばかりしてきてしまいましたが,最後の最後に母親のそばで一緒に時間を過ごして恩返しがしたいです。大変申し訳ないのですが,半年後に退職したいと考えています。」

ちなみに社長には退職することを前日に伝えていた。社長は「それは心配だな。お母さんのそばにはいてあげろ。でも俺たちはお前を必要としている。地元に帰るならお前の地元に教室つくってやる。そうすればお前も会社を続けられるだろ。」といった。

さあ九州さん,僕はあなたが追い込んだせいで会社を辞めることにしましたが,果たしてなんとおっしゃるのでしょうか...!?

九州さん「おまえ,それ嘘だろ。本当の理由を言え。」

うーん。仮にも母親が癌になった人に対していう言葉なのかなぁ...ちなみに母親に腫瘍が見つかったのは事実で,会社を辞めて地元に帰ろうと思ったのは実際これが理由の一つだった。それでも九州さんの追い込みは止まらない。

九州さん「そんな嘘が俺に通用すると思っているのか?本当の理由を言え。これまで俺がランチミーティングでお前に奢り続けてきたんだから,それを聞く権利ぐらい俺にあるだろう。早く言え。」

僕「...(沈黙)…本当にそうなんです...(沈黙)...母親のことが心配で...」

九州さん「嘘をつくな。早く言え!!!!!」

これまで九州さんがランチミーティングで僕に奢ったから,「母親が癌になりました」という人間に対して「本当の理由を言え」と詰めることのできる権利があるなら,その場でそれまで奢られた分の金額を全額支払いたかった。「そうやってあなたに追い込まれたせいで僕は遺書を書くほどまでに心が病みました。もう限界です。お願いですから会社を辞めさせてください。会社を辞める原因はあなたが僕の上司だからです。」と言わなかったのは,九州さんが僕を追い詰めながらも,でもきっと根はいい人で,その裏には愛情があって,だからこそこれまで僕に厳しく接してくれていたんだろうと思い,僕からの最後の恩返しのつもりでもあった

九州さん「意味がわからねぇ。絶対それが理由じゃねぇだろ。」

僕「...いえ...本当に...そうなんです...」

こんな押し問答が40分ほど続いただろうか。このお店のカルボナーラが僕は大好きだった。でもこの日は全く味がしない。九州さんも全く食べていない。運の悪いことにこのお店のランチ営業の時間は長く,少し時間がズレていたのでお客さんもまばらで退席する必要がない。

九州さん「いい加減本当のことを言え。」

僕「...(沈黙)...」

地獄だった。地獄に落ちたことはないが,「これまでにあなたが経験した地獄を教えてください」と言われたら,この瞬間はトップ5に確実に食い込んでくるだろう。(ちなみに残りのトップ5もブラック学習塾での時間)

どれくらい時間がたっただろうか。よくわからないまま涙が出てきた。この会社に勤めていた時にはよくあったこと。涙が制御できない。自分では泣くつもりは全くないのに,涙があふれてくる。いや,正確に言えば初めの頃はまだ制御できたり,悔しさや悲しさを感じるから涙が出てきたりしていた。

でもそんなことが何度も重なるうちに,感情は無なのに生体反応として涙が出てくるようになった。もしかすると,度重なる怒号を会社で浴び続ける中で,精神的なダメージを受けないように感情を無にコントロールする技術は身に付けたものの,それでも僕の身体だけは人間らしく振舞おうと必死の抵抗をし続けていたのかもしれない。これで涙まで出なくなったとき,人はいよいよ感情も生体反応も失い,ロボットと同じようになるのだろうか。

僕「(泣きながら)…あの…実は遺書を書きました…でも親が悲しむので自殺はしたくないです...力不足で申し訳ありません...もう限界なんです...会社を辞めさせてください...」

蚊の鳴くような小さい声で吃りながら,そして泣きながら九州さんに伝えた。遺書を書く原因になった人に,「遺書を書いたので辞めさせてください」とお願いするのはなんともつらい気持ちだったけれども,この押し問答が延々に続くのもさすがに身に応えるし,思考した結果というよりも,これも生体反応的に,何も考えずに口から出てきた言葉だった。そしてなんだかよくわからないけれど,僕を追い込んだ相手に対して「遺書を書きました」っていうのは,差し違える覚悟でいう言葉にしてはあまりにも弱々しくて,自分への情けなさに涙さえとまってしまいそうだった。言い終えた後,九州さんを直視しようと思った。「あなたのせいで僕はこんなになったのですよ。そんなヤツの目をよく覚えておいてください」これくらいしか最後にやり返すことはできないなと思ったとき,こんな声が聞こえた。

九州さん「は?意味わかんねぇ。」

耳を疑った。

九州さん「意味わからねぇからとりあえず遺書見せろ」

僕はいつも心の中で,「九州さんは本当はものすごくいい人で,愛情をたくさん注いでくれているのに,僕の力不足でこの人の時間を無駄にとってしまったり,成長できないことで迷惑をかけたりしていて本当に申し訳ない」と思っていた。でも「意味わからねぇからとりあえず遺書見せろ」という九州さんの言葉を聞いたとき,ひょっとしてこの人はただの「とんでもねぇクソ野郎」なんじゃないかという疑問がわいた。自分が追い込んで遺書を書かせた相手に対して「遺書を見せろ」というのはイカれているとしか思えなかった。この時初めて顔をあげて九州さんの顔を直視した僕は思わず少し笑ってしまった。それはこんな人のことを信じていた自分への情けなさに対する嘲笑だったのかもしれないし,はたまた置かれた状況を分かっていない九州さんのことがなんともおかしかったのかもしれない。そんな僕に九州さんは言った。

九州さん「絶対にあげないけど,今の給料の10倍出すといったら会社に残る?」

先述の通り僕は東大の経済学部卒だ。またいつか記事にするけど,この時の月収は額面で28万円。税金や家賃,生活費を差し引くと自由に使えるのは10万くらいだった。「フレックスタイム制」という名の下で馬車馬のように働かされても残業代はなし。そしてボーナスも支給されない。休みは週に1日あればいい方で,大学の同期はもちろん,高校の同期と比べても条件面では圧倒的に劣っていた。それでもこの学習塾に入社したのは夢を託していたからだった。

僕「残りません...そういう問題じゃないんです...」

どうやら九州さんは僕が給料に不満があり,会社を辞めると思っているらしかった。そんなことはない。また記事にするけれど当時の待遇は明らかに労基法に抵触する。それでも九州さんからの追い込みに比べれば当時の僕にとって給料は些末な問題だった。

「この人は何もわかっていないんだな」とやや呆れながら,それでも涙が止まらない僕に対して,九州さんは間髪入れずに再び問いかけた。

九州さん「じゃあ絶対にあげないけど,今の給料の100倍だったら?」

こうして僕の中での「とんでもねぇクソ野郎」なんじゃないかという九州さんへの疑惑は確信に変わったのだった。

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当時の僕にはもちろん,大学時代の友人も少なくなかったし,悩みを聞いてくれる人もたくさんいた。それでも僕は遺書を書かざるを得なかった。

僕は弱い人間だ。ミーティングで上司から詰められたくらいで落ち込んだり,会社に居場所がないからと言って遺書を書くのは甘えているといわれるかもしれない。そういう批判ももっともであるし,反論するつもりは全くない。それならば反面教師にしてくれればいい。

批判を覚悟でこれから数多くの告発をしていくのは,「自分にもこういうことあるな」と共感して少し心が安らいだり,「こんな弱い人でも会社を辞めてから幸せに生きているんだな」と安心感を得てくれたりする人がいるのではないかと信じているから。それはブラック学習塾で追い詰められていた僕が何よりも欲しかったのは「会社を辞めても居場所がある」と思えることだったから。そんな人の心に少しでも刺さればいいと思う。

これからの記事を通して

①なぜ人はブラック学習塾にのめりこんでしまうのか?

②なぜそんなブラック学習塾に人が集まるのか?

などについて考えていきたい。もしよろしければお付き合いください。

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