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姉弟を育てるうえでの「平等」と「公平」について【子育てエッセイ】

「不公平だ…」
実際には言っていないけど、2歳の第一子ちびちーちゃんが口を尖らせて不服そうな顔を見て、そう言われたような気持ちになった。

「平等」と「公平」
意味は似ているようで違う。

「平等」は、偏りや差別がなく、均一で一様で等しいこと。
「公平」は、全員が同じとは限らないことを踏まえて認めること。

オレゴン州立大学のSusan K Gardner氏による次の言葉がわかりやすい。「平等は全員に靴を与え、公平は一人ひとりの足に合う靴を与える」。



今日のnoteでは子育てにおける「平等」と「公平」について考えていきたい。



姉弟を育てるうえで、年子だとしても差はどうしても存在する。2歳のちびちーちゃんは「いただきます」を言えるけど、1歳のちびにーくんは両手をぱちんとできればいい方だ。それぞれ成長速度も違うからね。

食事の機会は同じように与える(平等)
食事の挨拶はそれぞれができることを行う(公平)

を意識して、どちらかに甘すぎることないように、でも楽しく食事ができるように普段から心掛けている。



先日こんな出来事があった。

夕飯の時に、姉のちびちーちゃんは苦手な葉物野菜を食べてからおかわりをする流れだった。弟ちびにーくんは、その日のメインのおかずは食べず、握り潰してぽいぽい。でも物足りなくて「もっとちょうだい」と泣いている。

私は弟ちびにーくんにメインのおかずを食べられなかったからと別のおかずを用意した。それを、ちびちーちゃんは口を尖らせて、なんとも言えない表情で見ていた。「わたしもそっちたべたいのに。ずるい。」と思っていたかもしれない。



親としては、ちびちーちゃんは苦手な食べ物でも1口食べられることがあるので食べてもらいたい。保育園でみんなで1口チャレンジをするようになり、見た目で「食べない」と突っぱねることが減ったから。

でも、弟ちびにーくんは重度アレルギー児なこともあり、食べなかったら、親も先生も誰も勧めることはしない。それが1口食べていようと、食べていなくても。「食べない」という選択肢をすごく尊重されている。



親としても、保育園の先生も、どちらも「たくさん食べて、栄養を取って、健やかに育ってほしい」という願いは同じで、そのための機会は平等に与えている。
でも、ここに「平等」と「公平」について我が家なりの定義と線引きがあるかと言われるとちょっと自信がない。



公平の定義:全員が同じとは限らないことを踏まえて認めること。

とある。

それぞれの子どもに必要な対応は異なるということを、嚙み砕いてちびちーちゃんにも伝えていけたらいいのかなぁ。



ちびちーちゃんが大きくなって、食事で特別な対応をこれからもずっとされるだろう弟を見て「ずるい。どうしてわたしは苦手なものも食べなきゃだめなの?」と疑問に思うタイミングが来ると思う。

というか、言葉で言わないだけで、口を尖らせて不服そうにした表情がその気持ちをすでに物語っている。



この状況で、食事の機会は「平等」だけど、それぞれの体調と体質とを鑑みながら「公平」を探していることについて、正直に子どもたちがわかる言葉で伝えられたらいいのかなと思う。

ずるいわけではなくて、
どちらかが特別なわけでもない。



難しいけど、ちびちーちゃんもちびにーくんも人の違いを受け入れて、優しく、そしてサポートを受けたときは感謝できる子たちになってほしい。

たぶんだけど、私たち親世代が子どもの頃は「平等」ばかりフォーカスされて、「公平」についてはそこまで考えられていなかった。今思い返せば、「平等」に機会はあったけど、「公平」さはなかった場面がいくつか思い返せる。

なので、私は親として、「平等」と「公平」について心を尽くして伝えること、考えることをやめないでいきたい。



「サポートされている人はずるい。」

そんな価値観の人は、たぶん平等ばかりフォーカスして生きていたと思うから。自戒の意味も込めてだけど。



子どもたちには、違いを受け入れて、その上で手を取って笑いあえる世界で生きてほしいな。

これからも、子育てにおける「平等」と「公平」について考えていこう。



明日もいい1日になりますように。


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