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「ごめんね」「いいよ」以外の言葉があってもいいと私は思う【子育てエッセイ】

兄弟げんかやお友達間でのトラブルであるあるの場面。

「ごめんね」
「いいよ」

「かして」
「いいよ」

「ごめんね」と言われたら「いいよ」と許しましょう。
「かして」と言われたら「いいよ」と譲りましょう。



私が新卒で保育士として勤務し始めたころは、この手のやり取りが一般的だった。普通だった。

主任や先輩保育士たちがそんなふうに子どもたちの間を仲裁、仲介していたから。

でも、私は当時から何か違和感があった。
「かして」って言われたらすぐに貸してあげなきゃいけないのはなんで?
「ごめんね」って言われたら許してあげなきゃいけないのはなんで?
って。

でも、主任や先輩保育士たちがしている保育は経験に基づいているものだし、「こう対応するといいよ」と丁寧に指導されると、たとえ違和感があっても「そうですか。ありがとうございます。」と条件反射的に言ってしまって。



どんな対応が正解か。
保育に不適切はあっても正解は存在しなくて、毎日自分の行動はその時の子どもにとってよかったかどうかを考えていた。

考えてはいたけど、「これがよさそうだ」という対応の仕方は見つからなくて、なんとなく主任や先輩保育士の真似をしていたところがある。



母になって、保育士とはまた違う視点を得て、やっと思う。

「かして」
「いいよ」

「ごめんね」
「いいよ」

このテンプレートはひとつの解でしかなくて、すべてを解決するのは難しいことを。


ずっと「いいよ」と言えるような心を持つことが大事だと考えていた。「ごめんね」を言ってくれたんだから、「かして」って言ってくれたんだから、「いいよ」という気持ちになっていなくちゃ。みたいな。



でも、たぶん本当に大事なことはテンプレートじゃなくて、心からの言葉を言えることだと最近思う。自分の気持ちを言葉にのせて人に伝えられることはとても大切なスキルだ。



私は母として、
「お姉ちゃんだから、いいよって言おう。譲ってあげよう。」じゃなくて、「お姉ちゃんであってももっと使いたい時だってあるよね。」って言いたい。

「ごめんねって言われたら許してあげようね。」じゃなくて、「今はまだ許せなくてもいいよ。ごめんねっていう気持ちがあることだけ知っておいてね。」って言いたい。

感情を「いいよ」の言葉に押し込めてしまわないで、今実際に何をどう思っているのかを紐解けるような、そんな言葉をかけていけたらいいなぁと思う。


その過程で「いいよ」と言えたらそれはそれでいいしね。



「ごめんね」「いいよ」のやり取りに違和感を感じたら、「いいよ」以外のどんな言葉に子どもの感情があるか考えてみてね。



明日もいい1日になりますように。



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