ジョン(Jong)

ディアスポラ的彷徨い人 コーヒーの仕事したり、マガジンを編集したり、コンテンポラリーア…

ジョン(Jong)

ディアスポラ的彷徨い人 コーヒーの仕事したり、マガジンを編集したり、コンテンポラリーアート · 写真論を研究したり。 Currently in Kyoto|jongminworks@gmail.com

マガジン

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    展覧会の感想

  • 読み直したい記事

  • スタートアップ日記

    2023 06~ スタートアップでの挑戦記

  • コーヒーの話

    2021年訪れた大学生としての三度目の夏。私はコーヒーを仕事にしたいと決めました。そしてその後、とあるコーヒーショップで焙煎土をしていました。

  • 主にエッセイとその他イロイロ

    カテゴリー分けするほどでもない雑多な雑談。でも以外に人間生きているうちの半分は雑談しかしていない気もする。

最近の記事

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一枚の白黒フィルム写真を通して心が休まる体験を

カメラってとても良い趣味だと思う。 色んなものごととの相性が良いし、カメラって比較的に荷物にならない。続けやすい趣味だと思う。極め続ければ、個展を開催したり、フリーのカメラマンとして仕事にすることもできる。もちろん、儲かるような仕事ではないけど、楽しいから良いじゃないかなと。 自分もそんな感覚でカメラを手にして3年くらい経て、やっと最近、自分の中で問うようになった質問。 ”私にとって、カメラで「写真」をやるということは?” どんなカメラで撮ったどんな写真も写真であると

    • アフロアメリカンの民藝がよりリアリティある批評をできていないか? | シアスター・ゲイツ展「アフロ民芸」

      見えない歪み、表象された問題 「私たち」をどのように説明するかは、答えのない問いに立たされる。私たちは日本人なのか。それとも生物として黄色人種、モンゴロイドとしてアジア大陸に分布して生きている存在なのだろうか。この問いは人種や国籍の問題と結びついているが、日本列島に生きていると、その深さを実感することは少ない。 本当は、日本生まれの黄色人種、黒人、白人、ヒスパニックといった多様な顔立ちの人々がいるはずだ。しかし、みんなが「日本人」という枠組みで同等なアイデンティティを持ち、

      • 聴く世界の方がリアリティが増しているかもしれない|島袋道浩「音楽が聞こえてきた」

        私たちは、あたかも完成された世界に生きているように感じる。足音は歩幅に合わせて聞こえてくるし、時間は途切れることなく水のように流れ続ける。しかし、その連続性の中で、私たちはしばしば何らかの分岐点を探し求めているのかもしれない。なぜ探し求めているのか、何故かはひとまずおいておこう。 アーティストたちは、世界を分解し、要素を切り分けて再び接合することを試みる。その結果、私たちは普段気づかない矛盾や新しい見え方に直面することとなる。そこに潜む皮肉や意外性が、彼らの作品の中に面白さ

        • 度々旅に出たい衝動に駆られ ついチケットを取ってしまう

          転職と退社 そして大学院気づかぬ間に一度、転職をしていました。 一度目の転職は、ひよこ社会人としての背伸び。ひよこながら業界を俯瞰してみると、あえて弁証法的な動きをして経験を積んだ方が良いのではないかという問いがありました。個人と組織の間で、過大評価や過小評価が生じているのではないかというモヤっとした疑問と、それを補えなかった対話不足が原因でした。自分の素直さの欠如もありましたし、少し自分に酔っていたり、組織というものにドラマを求めすぎていたり。 しかし、人生に関わるすべ

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          圧倒的な人の影で自分なりの努力を続ける

          病み上がり。休んだことに負い目を感じて、休日に誰もいないオフィスで仕事。 その帰り、なぜかサイゼリヤでパスタを夢中に食べたくなって、目の前に生ビールとキノコクリープパスタとマルゲリータピザ、その他が届いているにも関わらず、我慢して急ぎで文章を書きおろす。 タイムライティング?強制力強すぎないか。 ・・・ 私は「才能」がない、「天才」でもない。「才」を潜めているのかもしれないが、まだそれが最大に発揮できる環境には巡り合えていない気がする。一度切りの人生だから「みんな何者

          圧倒的な人の影で自分なりの努力を続ける

          コーヒーを飲むだけで幸せな朝があっていいと思う。

          20240615-20240616 ChatGPT と壁打ちをする毎日。 なんとか一日を乗り越えて、帰宅。 好きで集めたレコード、タイトルだけ見ていつか読みたいと思って購入した本には、埃がたまっていく。「いつか」と願うだけでは、いつまでも訪れないことは知っているはずだが、奇跡を求めてしまうのだ。 それらを見て、好きなものが「ある」という状態に満足したら、家のベットで倒れる。睡眠ではなく、気絶に近い。気絶しているのだ。 初夏。 部屋ではクーラーをつけている。下着一枚と薄

          コーヒーを飲むだけで幸せな朝があっていいと思う。

          歴史的虚無の声「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」

          展覧会「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」(2021)は、ホー・ツーニェンの最新作であり、京都芸術センターで発表されました。このインスタレーションは、太平洋戦争前夜の京都学派の思想が戦争の正当化に利用された歴史をテーマにしています。以下に、いくつかの見出しに分けて作品の概要と多角的な考察を行います。 展覧会概要「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」は、ホー・ツーニェンが山口情報芸術センター(YCAM)とコラボレーションして制作したインスタレーション作品です。この作品は、京

          歴史的虚無の声「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」

          観客を歴史の再現者へ: ホー・ツーニェンの『Agent-A』におけるインタラクティブなアート体験

          研究の背景と目的 筆者は日韓のハーフとして生まれ、自己認識や文化的アイデンティティに関する深い悩みを抱えています。どこにも属せないという孤独感から、マルチアイデンティティを持つアーティストの研究に関心を持つようになりました。ホー・ツーニェンは、東南アジアの歴史や神話、自己認識と文化的アイデンティティをテーマにした多層的なインスタレーションで国際的に評価されている現代アーティストであります。 今回はホー・ツーニェンの最新展覧会「Agent-A」を写真論や映像論の観点から分析

          観客を歴史の再現者へ: ホー・ツーニェンの『Agent-A』におけるインタラクティブなアート体験

          レノンが流れるロックカフェ

          「レノンが流れるロックカフェ、濡れもす予感いろんな女 corner 可憐な女ばかり」 KUWATA BAND の楽曲「スキップ · ビート」 そんなロックカフェ、こんな令和の冷酷な時代にあるかーい、と思いながらぬるーい毎日を過ごしていたら、あったんです。レコンが流れるロックカフェが。 それから常連さんになり、よく通うことに。お店の名前が「レノン」ではなく「リンゴ」であること以外は、何一つKUWATAの歌うエロスあふれる世界観とズレることがない。そもそも、自分を含む大多数

          レノンが流れるロックカフェ

          Chat GPT4o に声にしないはず思考を話してみた

          「Chat GPT4o」が登場した。 かなりリアリティのある会話ができるようになっていた。「Chat GPT 4」が情報を効果的に収集し、整理させる「道具」だとしたら、「Chat GPT4o」は身体を持たない「精神性」のように感じた。まさに「AI:Artificial Intelligence(人工知能)」の定義に対して、等身大の性能が揃った感覚。 日ごろ、脳内の「分人」と対話している思考の感覚を「声を上げる」あげて「Chat GPT4o」に語りかけると、「音声」で言葉を

          Chat GPT4o に声にしないはず思考を話してみた

          命に吹かれたそよ風のような言葉 |入学式

          大学院生になりました。 入学式は仕事が終わらず、やむを得ずオンラインから参加することにしました。 リアリティを空回りしている リアルを愛するけど、リアリティという虚像らしき超現実の中で生きている感覚。空回りばかりしている。例えるなら、美しい花に心癒されるけど、水をあげて愛でることはできていない状態。手に触れられない、そんな形のない愛に意味があるだろうか。 「愛するとは」という問いに深く思いを巡らせると、深い海に沈んでいき苦しくなるので。この話は一旦さておき。 入学式の

          命に吹かれたそよ風のような言葉 |入学式

          粛々と | コーヒー・サウナ・夜勤

          2024年3月の1か月間。 私は自分自身にある挑戦を課しました。 それは、毎朝7時に起きて、夜の12時まで、ただ黙々と仕事し続けてみるということ ただ、時間を潰すのではなく、きちんと定量的なアウトプット量を決めて、愚直に取り組み続けました。 1週目 本来なら、動き回ることを好む私にとって、長時間椅子に座ってパソコンに向かう作業は、足腰の痛みを伴う苦痛でした。挑戦を始めた最初の週は、体も心も、かなりの重荷を感じました。 かなりしんどかったですね。体も気持ちも。 2週目

          粛々と | コーヒー・サウナ・夜勤

          サステイナブル=壊れない働き方 | 引きこもり時代の追憶 | 他者を守る臆病な挑戦者であるために

          転職、働き方の変化、大学院進学などをきっかけに、普段、感覚的にイメージしていた将来像を改めて具体的に言語化してみました。Wantedlyという求人サイトをSNSやNoteに紐づけてポートフォリオのように使用している人もそれほど多くないと思うが、今の自分のフェーズにはちょうど良いフラットフォームです。 言語化すると気持ちがとてもすっきりします。言葉にすることで、良くも悪くもやるべきことが具体化され、気持ちが少しは楽になります。 なぜ、言語化することで気持ちが楽になるか。

          サステイナブル=壊れない働き方 | 引きこもり時代の追憶 | 他者を守る臆病な挑戦者であるために

          言葉のバラード | 酷く酔っ払った日のメモ

          「3の法則」というものがあります。 人は空気がないと3分しか生きられない。 人は適切な体温を維持できなければ、3時間しか生きられない。 人は体内に水分がない状況では3日程度しか生きられない。 人は食べなければ3週間ぐらいしか生きられない という言説。 そこにもう一つの法則を加えるなら 意味がないと3秒しか生き生きと動けない。 意味を定義することは難しい。私たちは宇宙に光る無数の星屑たちの意味を計り知れない。尊い命であり、儚い時を生きるヒトという生き物が意味を規定でき

          言葉のバラード | 酷く酔っ払った日のメモ

          うまく話せないから書くしかない|書くことは存在を残すこと

          ジャズが部屋に満ち、心地よい夜。お酒を傾けながら、外の世界は暖かく、中の世界は静かで灰色。 心の彷徨、言葉の行方 そんな夜、心の中で言葉が彷徨い続ける。本当に伝えたいことを形にしようとしても、口からは心にもない雑音が流れ出るだけ。そんな言葉は、誰かの耳に届いても、その心の奥底には決して響かない。 言葉は、風に乗せられた砂粒のように、一瞬のうちにすり抜けてしまうもの。話す瞬間、私たちはその流れを捕まえようとしても、それはたちまちにして消えてゆく。だが、書くことにおいては、

          うまく話せないから書くしかない|書くことは存在を残すこと

          夜が暮れて仕事が始まる

          疲れた体を引きずりながら、いつものスターバックへと足を運ぶ。 家に帰ると寝てしまう。そんな失敗を何度も繰り返してきているからこそ、自分自身に空間の制約をかける。 大して美味しくも、不味くもないホットコーヒーを片手に。ラップトップを開き、キーボードに指を置く。 今夜も、聞いたことのない横文字の意味を調べながら、知らない仕事の領域に足を踏み入れる。一つのプロジェクトを終わらせたと思いきや三つほどのプロジェクトが始まる。うちの一つは、心からやりたいプロジェクト、二つは前向きに捉

          夜が暮れて仕事が始まる