見出し画像

サステイナブル=壊れない働き方 | 引きこもり時代の追憶 | 他者を守る臆病な挑戦者であるために

転職、働き方の変化、大学院進学などをきっかけに、普段、感覚的にイメージしていた将来像を改めて具体的に言語化してみました。Wantedlyという求人サイトをSNSやNoteに紐づけてポートフォリオのように使用している人もそれほど多くないと思うが、今の自分のフェーズにはちょうど良いフラットフォームです。

言語化すると気持ちがとてもすっきりします。言葉にすることで、良くも悪くもやるべきことが具体化され、気持ちが少しは楽になります。

なぜ、言語化することで気持ちが楽になるか。

抽象とは無限の可能性を潜んでおり、可能性には人間の想像力や創造力が発揮される余地、余白が潜んでいます。だからこそ、抽象は美しいと同時に、現実として存在しないために漠然とした不安を人間に与えてしまいます。

一方で具体というのは、抽象よりリアルであります。リアルはときに残酷かもしれませんが、よくよく考えてみるとリアルなものに日々、愚直に取り組んでいる中、つまり、抽象を具現化していく作業の中でリアリティが生まれます。この「具体を通して抽象の実現に向かうプロセス」、つまり努力の繰り返しを「自己実現」とでも名付けたのではないでしょうか。

このような文脈の中でも言語化というのはとても重要な作業です。書くことは短期的には地味で生産性のない行為に見えますが、中長期的には実は自己実現へまっすぐ進み、行動が伴うことで生産性を上げる手段となりうる。

そう思うのです。

サステイナブル=壊れない働き方

さて、そういった考え事をした経緯もあり、直近で働き方、組織の中での他者と共生し共に成長できるHow toについて、考えたメモをまとめてみました。

まず、注目を浴び続けているワード「サステイナブル」、この真意を見抜き実践することは、とてもリテラシーが求められる、そんなややこしいワードだといつも感じているのですが、ひとまず働き方に絞って考えてみます。

現代社会において、サステイナブルな働き方とは単に表面上のバランスを保つことではありません。きっと、本来の意味でのサステイナビリティとは、限られた時間の中で質の高いパフォーマンスを維持し、自己実現へと繋がる働き方とでも定義できるのではないでしょうか。

しかし、これは組織や社会が提供する枠組みだけで実現可能なものではありません。自分自身で仕事の意義を見出しための個の成長と、時には枠組みから外れた働き方をしても、心地よく感じられる環境づくりがバランスよく伴う必要があります。

勉強や仕事に多大な労力を注ぎ込む人々が存在する一方で、重要なのは単に忙しさを増やすことではなく、一つ一つの案件に対する時間を有効に使い、パフォーマンスを高めることです。

しかし、組織的なサステイナビリティの追求だけでは、燃え尽き症候群のリスクを高め、個人の存在意義や自己実現につながる深い満足感を得ることは難しくなります。例えば、新卒3年目の悩みでよくありそうな以下のペルソナを想定。

どれだけサステイナブルな働き方の優良企業で努めたとしても、自己の会社における存在意義(それは、例えば自己実現と結びついた文脈などで)つらいときに、上司のプレッシャーや組織のイメージ、ブランディングにのせて、言い換えると自分起点だけで仕事をする人は、燃え尽き症候群になりやすい。結果的に転職につながる

組織的な表面上のサステイナブルではなく、本当の意味で壊れないとはなんでしょうか。

重要なのは、ビジョンに共感し、自己実現につながる「壊れない働き方」を見つけ、それを大切にすることです。法定労働時間の遵守だけでなく、フレームワークから自由に動き、周りへの配慮と自己配慮を兼ね備えた働き方こそが、真にサステイナブルな状態を生み出します。雑な言い方で信頼関係の基に、勝手に働いたり、周りを配慮して勝手に休める環境づくりのはずです。

引きこもり時代の追憶

これはちょっとした弱さの情報公開。

8年前、中学3年生のとき、単身で海外から帰国した私は、言葉の壁や文化の違いに直面しました。まだ「病院」という字が読めないほど、日本語がわからない頃の話です。

一般の公立中学校に転校することとなり、一人だけ違う制服を着て、同調性の高い環境に放り込まれる中で、目立ちたくないにも関わらず目立ってしまう「分人」としての自分。

この時期、私は勝手な過小評価や過大評価、文化的背景の無視という、固定されたルールに基づく善悪の判断を受けました。しかし、今思えば、この原体験が、私に世の中を斜めに見る疑問を持たせ、後の人生観を形成する重要な要素となりました。

周りへの配慮と自己配慮を兼ね備えた働き方とは、他者と自己のコンテクストをしっかり理解して、間を見出すこと。見出せるような柔軟な発想を繰り返し行える視点と試行錯誤を重ねられる勇気が必要なのではないか、そういう問いに至りました。

他者を守る臆病な挑戦者であるために

周りへの配慮と自己配慮を兼ね備えた働き方は、他者を守ることでもあり、自分を守る力を持ちます。しかし、それは押し付け合いではなく、「協業」ではないでしょうか。

そこに必要なのは、相互理解し合えている関係性。

周りへの配慮と自己配慮を兼ね備えた、簡単に言い換えて、頼り頼れる組織であること。逆説的に、頼れない人とはどんな人でしょう。

単純に考えて、知らない人には頼れない。知るとは何でしょうか。深さはそれぞれと言えども、少なくとも、そこに対話が生まれているのであれば、多少なりと「知る」という「知ったふり」はでき、思いやりの気持ちを持てるようになるのではないでしょうか。

よくない風潮として、表面だけで多様性を重んじるあまりに「人はみんなそれぞれ」を会話のゴール、つまり落ちにすることがあります。「人みんなそれぞれ」とは前提条件であり、これは他者の自尊心をリスペクトするために基本姿勢であり、自分を守るための防波堤として使うはず。
これを、会話のゴールにしてはいけないのです。「人みんなそれぞれ」を会話のゴール化すると対話が止まる。対話が止まると相互理解が進みません。相互理解が進まないと、とても抽象的だが、愛とか平和とか共創とか協業とか、そういう美しい化学反応が生まれる余地も余白も生まれないでしょう。

サステイナブルな働き方を追求することは、単に組織の生産性を高めるだけでなく、社会全体の持続可能な発展に寄与するものです。私たち一人ひとりが、自己実現へと繋がる「壊れない働き方」を見つけて、最後には他者と分かち合い喜び合いたいものです。

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,811件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?