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人が「一人」では生きていけない理由

ドラマなどでよく言われている、

「俺は一人で生きて行く」

私はこの言葉が本当に嫌いで、「一人で生きていけるわけないやん」と常々思っております。無人島で生涯誰とも合わずに孤独で生きて行くならまだしも、仕事をして、生活して、人と関わる以上、一人で生きて行くのは不可能です。なのに、「一人で生きて行く」とは、どういう意味で言ってんだろうと思えるのです。

一人で生きて行くことは、「人間」を辞めるという意味です。人と人の間と書いて「人間」です。つまり、二人以上いないと「人間」ではないのです。
仮に無人島で一人で生きて行くとすると、それは「人間」と言えるでしょうか?人との繋がりを断ち、誰もその存在を知ることはありません。それは最早、集団社会で生きる「人間」ではなく、人という生物です。
たった一人の世界を生きているのです。

それも生き方なので否定はしませんが、現実的ではありません。

そろそろ本質に迫ろうと思いますが、人間の根本にあるものとして、人には「承認欲求」があり、誰かに承認されないと生きて行けません。それは実は相当根深いものだと思います。最早「承認欲求」「人間」を形成する性質の一つだと言えます。

一人では「人間」ではないと言いましたが、「他者」という存在がいないと、「人間」ではないのです。

以前、「観測することで存在する〜その①」 「観測することで存在する〜その②」というコラムを配信しましたが、「承認」とは「観測」ということです。誰かが自分を観測し、承認するから、自分という存在はこの世界で存在しているのです。無人島で一人で生きていても、自分の世界にだけは存在していますが、他の誰の世界にも、その人は存在していないでしょう。芸能人でテレビで見なくなると死亡説が流れるようなものです。いや、死亡説が流れるということは、少なくとも存在はしています。ただ、テレビという観測媒体で観測できないから、いなくなったと思うわけです。

ちょっと話が逸れましたが、「承認欲求」は、人間として生きて行く以上、欠かせない欲求です。人の三大欲求として、「食欲・性欲・睡眠欲」があり(「性欲」は、他人がいないと満たせませんが・・・)、ある意味生物の持つ根本欲求と言えますが、「承認欲求」は「人間」としての根本的な欲求と言えます。

なので、もしあなたの知り合いて、「俺はこれから一人で生きて行くよ」と言ってる人がいたら、ぜひこう言ってあげてください。

「そっか。人間辞めるんだね。」

それで考えを改めるかはわかりませんが、人間を嫌いになったとしても、人間である以上、他者と関わっていかなければなりません。人間にも良いところと悪いところ、光と闇があります。闇だけを見て、「もう嫌だ。関わりたくない」と思うのもわかりますが、それで全否定するのではなく、「人間」として、他者との向き合い方、距離のとり方を考える方が、よっぽど意味があると思います。

「承認欲求」というものについては、相当奥深いものなので、また別の形で掘り下げていきたいと思います。


ー追記

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