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観測する事で存在する 〜その②〜


観測することで存在する 〜その①〜

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「観測する」ということは、「存在を認識する」ということになり、認識されることで存在していることが証明されるわけです。逆に言えば、観測できないものは、存在していないのと同じということです。

存在は、観測する者と観測されるされる者がいて、成り立つということですね。

そして、観測する者と、観測される者では、世界が全く違うのです。

例えばアニメやドラマを見ていて、その中にいるキャラは観測されていることに気付いていません。しかし、観測することで私たちはキャラの存在を認識し、私たちの世界に現れます。言い方を変えれば、二次元のキャラは、観測されるために存在していると言えるかもしれません。それは、私たちにも言えることかもしれません。私たちも、他人を観測することで、存在を認識します。つまり、観測する前はお互いの世界は繋がっていません。観測しなければ、自分の世界には存在しないのと同じです。観測し認識することで、他者の世界と繋がるのです。

他者の世界を認識することはできますが、自分では、自分自身を観測するのはとても難しいものです。つまり、ペンカチカチじゃないですが、自分の行動は、周りにどのような影響を与えているか、わからないのです。どれだけ「自分はこういう人間だ!」と言っても、一人一人感じ方や見え方は違います。大多数が感じるものが、周りに見える自分の姿なのかもしれません。しかし、それだけでもありません。

大事なのは、「誰にどう思われるか」です。誰だか知らないどうでもいい人に、自己認識と違うイメージを持たれたからって、どうでもよくないですか?それこそ、それを観測しなきゃいいんです。

大切な人ほど、よりマッチする自己像を認識し合いたいですよね。その関係においては、それが自分であり相手な訳です。

人が一人では「人間」ではないように、誰を観測し、誰に観測されるか、ということはとても重要です。
「観測する」ということは、ある意味では「愛」でもあります。ぜひ「愛」ある人と、観測し合って、認識し合って、自分を、相手を、肯定していけるといいですね。

というわけで、量子力学的に「観測する」ということを「愛」でまとめてみました(笑)
私たちが認識している世界は、人によって見え方は違います。この世界、宇宙は、認識の数だけ存在するというのが、量子力学の世界です。偉そうに言ってますが、そこまで詳しいわけではないですが、量子力学を知ることは、考え方を変えるものかもしれませんよ!

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