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【哀悼】竹内結子さん

昨日は、とてもショッキングなニュースが飛び込んできました。
『半沢直樹』の最終回で盛り上がりましたが、それ以上にショックの残る竹内結子さんの訃報。

【道楽舎】でも、【緊急】として、コラムを配信しました。


芸能人による自死が続いていますが、あまりに異常な状況です。韓国の芸能界は自殺が多いと言われていますが、日本も人事ではなくなってきました。


人生に「道楽」を

「自殺はしてはいけない」とか、「その前に相談を」とか、自殺の是非や、誰でも言えることを言うつもりはありません。【道楽舎】が掲げる「道楽」に生きれば、「自殺」が良い悪い関係なく、「その必要がない」んですよ。詳しくは、コラムを読んでもらえるとありがたいんですが、楽しんでいる時に、「死にたい」なんて1ミリも思うことなんてないと思うんですよ。

それは決して、楽しいことをしているだけのことではなくて、苦難や困難でも、「楽しむ」という姿勢です。
「楽しむ」と言うのは、「遊ぶような楽しさ」というものではなく、「しっかりと味わう」ということです。しっかりと味わわなければ、記憶の彼方に忘却されます。「しっかりと味わう」ことで、後々それが思い出となったり、奮起するきっかけにもなるものです。

とは言え、加減を間違えれば、押しつぶされてしまうので、必要以上に苦しむ必要はありません「味わう」ことに捉われすぎることなく、自分の加減で距離を取ることが大事です。深く味わったり、無理だと思ったら距離を取る。その余裕を持つことが自由に生きるコツだと思っております。


抑圧の恐ろしさ

どうしても、「やらなければならないこと」に捉われてしまうと、どんどん不自由になり、抑圧され、押し潰されてしまいます。『リゼロ』では、ヒロインのエミリアが、抑圧に耐えかねて、「病ミリア」になってしまいました。

抑圧とは、かくも厄介なもので、病気を生み出したり、多重人格を生み出すこともあります。

冤罪で、48年も収監されていた方がいます。その方は、謂れのない罪を押し付けられ、収監されてしまい、48年後に、冤罪だとわかり、晴れて出所できたのですが、あまりにも長いその時間を生き延びるために、自分の中に「神」を作り出し、その「神」がいなければ外も歩けない、という状態になってしまいました。

48年とは、あまりにも長い時間ですが、人それぞれ、耐久力は違います。48年耐えられる人もいれば、1年で精一杯の人もいます。

私自身も、こちらのコラムで、苦しかった過去について述べています。

私は、新卒で務めた会社をわずか一年で辞める事にしましたが、続けていたら、間違いなく倒れていただろうし、会社に順応するためには、自分を殺さなければやっていけなかったことでしょう。その中で、何かのきっかけでもあれば、一線を超えていた可能性もあります。

辞めたことが、私にとっては大きな挫折となりましたが、今からすれば、それも「おかげ」だと思っています。ダメダメだった当時の自分に、「ナイスダメっぷり!」と言ってやりたいくらいです。


心の器の容量は人それぞれ

よく、人の心は器に例えられます。何か一つがきっかけで、キレたり一線を超えたるするのではありません。様々なことが器に溜まっていき、溢れた時に、一線を超えてしまうものです。全然大したことではなくても、ちょうど溢れるきっかけになることだってあります。

今の時代は、それが溜まりやすい時代なのかもしれません。

だからこそ、器から溢れそうになるまで、無理して耐えて、「まだ大丈夫」と思っていても、ちょっとしたきっかけで、溢れてしまうことがあります。

もしかしたら、竹内結子さんも、三浦春馬さんも、溜めに溜めたものが、何かのきっかけで溢れてしまったのかもしれません。

「そうなる前に」と言いたいのはよくわかりますが、自分では、中々気付けないものです。そして、「気付いた時にはもう遅い」ということも、往々にしてあります。


人の「死」とは

人はいつか必ず死ぬものなので、自分にとって「死」というものは、受け入れざるを得ないものだと思います。病気だろうが事故だろうが、老衰だろうが、自死だろうが、「死」は「死」です。

「死」とは、自分よりも、他人に与える影響の方が遥かに大きいです。自分が死んだ後のことは、誰にもわかりません。死んだら自分の人生は終わりですからね。そして、自分が死んだ後のことを、どうすることもできません。残された人が、その「死」をどう受け止めるかです。

『ONE PIECE』でDr.ヒルルクは、「人の死は忘れられた時」と言いました。


「死」が、人に与える影響や出来事の一つなのだとしたら、まさにそういうことだと思います。そういう意味では、竹内結子さんも、三浦春馬さんも、存在としては生きています。もう会うことも、姿を見ることもできませんが。でも、今までの作品の中で、確実に生きていると言えます。


竹内結子さんの思い出の作品を紹介

せっかく竹内結子さんへの哀悼のコラムですので、活躍した作品をちょっとだけ紹介致します。

『ランチの女王』

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言わずと知れた、竹内結子さんの代表作。
月9で放送され、モノマネをされるのは、いつもこの作品の「勇二郎さんのオムライス〜」ですよね。「ランチはワンコイン」というのも、その時代を表し、「ランチの価値」を提示した作品と言えるかもしれません。

竹内結子さんは当時22歳で、彼女の代表作にして、一気にスターダムに伸し上げた作品と言えます。江口洋介さんをはじめ、堤真一さん、妻夫木聡さん、山田孝之さん、山Pなどといった、錚々たるメンバーが揃っています。

また再放送で観られないかなぁ・・・


『黄泉がえり』

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草彅剛さんと共に主演した映画で、2003年に公開された名作。死んだ人が蘇ってくる(黄泉から帰ってくる)という内容です。
この作品には、伊勢谷友介氏が出演していた為、しばらく地上波では見られないかもしれません。ですが、人の命や愛を描いた名作ですので、観たことがない方は、ぜひ作品を、竹内結子さんの姿を、ご覧いただきたいと思います。


『ストロベリーナイト』

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映像化はできないと言われていた衝撃作。「サイコサスペンス」というようなドラマで、竹内結子さんは、「姫川玲子」という、闇を抱えた敏腕の警部補でした。
電話に出る時に、「姫川」と言って出るのが個人的に好きで、一時期は真似したものです。

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当時は32歳で、明るく、清楚で天真爛漫な役が多かった竹内結子さんにとって、ダークな役どころとなったこの作品は、彼女の演技の幅を大きく広げたのではないかと思います。

テレビドラマだけにとどまらず、テレビSPや映画化もしていて、二階堂ふみさんが姫川を演じ、再構築されたドラマも放送さえて、「ストロベリーナイト・サーガ」と呼ばれていましたが、もう竹内結子さんによる続編が見られないのは、とても残念です・・・。


『コンフィデンスマンJP ーロマンス編ー』

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主演ではありませんが、私にとってはとても思い入れのある『コンフィデンスマンJP』の劇場版で、「スタア」として存在感を発揮しています。「ロマンス編」では、香港の女帝ラン・リウ役でしたが、その素性は「スタア」という、ダー子も憧れる詐欺師でした。

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三浦春馬さんも、「ジェシー」として出演しており、ロマンスを繰り広げるのですが、なおさら、忘れることのできない作品となってしまいました・・・。こんなことにならなくても、忘れることのない名作なのに。

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また、「プリンセス編」にも出演していて、登場機会は減ったものの、その存在感や役割はとても大きく、驚かされました。

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次回作も制作が決定してはいますが、ジェシーとスタアがもう観られないのは、残念です。きっと、考えていた脚本も、変わってしまうかもしれませんね。

『コンフィデンスマンJP』は、私にとって殿堂入りしている神ドラマで、コラムにも取り上げていますが、その作品に竹内結子さんも出演していたことで、なおさら忘れることはできないですね。


日本を代表する女優として、数々の名作に出演しており、ここではその活躍や魅力を語りつくすことはできませんが、思い入れのある作品だけ、紹介させていただきました。


「過去」を受け入れるしかない

竹内結子さんと私は、誕生日が二週間しか違わず、竹内結子さんの誕生日がが4月1日なので、学年は違えど、ほぼ同い年です。やはり、年が同じ人というのは、ちょっと思い入れも強くなる分、今回のことは、とてもショックです。
昨年の2月に再婚された時も、【ウラヨミ】のコラムを配信致しました。


過ぎてしまったことは、変えることはできないし、どれだけ叫んでも、戻ってくることはありません。映画ように、「黄泉がえり」ができればいいのかもしれませんが、黄泉がえったところでいずれは消えてしまい、何かが変わる訳ではないかもしれません。

でも、やはり旦那さんはもちろん、お子さんにとっては、計り知れない心の傷になると思います。「せいをおかげに」と提唱している私ですが、そう簡単に「おかげ」にできることではありません。何年も、何十年も、辛く苦しむことになるかもしれません。

生きていれば、変えることができます。死んでしまえば、変えることはできません。もっと良くなる保証もないですが、悪くなる保証だってありません。


「せいをおかげに」して「道楽」に生きよう

できうるならば、「道中を楽しむ」という「道楽」で生きられたら、死ぬなんて勿体ない。

人生をテーマパークに例えるなら、閉園までまだまだ時間が残されてて、まだ経験していない楽しいアトラクションがいっぱいあるのに、ちょっと嫌なことがあったから、途中で帰ってしまうようなものです。帰らなければ、その嫌なことも、伏線となって、あとから倍返しのように楽しいことが待っている、かもしれないのに。「道楽」においては、「かもしれない」ではなく、絶対に、「倍返しの楽しみ」にすることができます。それが、「せいをおかげに」というものです。

辛いことや苦しいことは、沢山あります。でも、人間には「自由を求める心」があります。その自由とは、先にも述べましたが、やるもやらないも、好きにできる「自由」です。私は、本当の意味での自由は、「道楽」にあると思っています。

これは、道楽舎の宣伝でもなんでもなくて、こんな風に生きていたら、死ぬ必要なんてないし、どんなことでも楽しめて、乗り越えられるからです。

これ以上、自死を選ぶ人を増やしたくない。苦しみから逃げられない人を、見ていられません。でも、自分にできることなんてほとんどないし、私が代わりですることに意味もありません。自分の力で乗り越えなければ、意味がないんです。スパイスの効いた美味しい料理を、代わりに食べて、感想を伝えるようなものです。

自分が食べなければ、意味がないんです。

だから、その為のきっかけになればと思い、「道楽」を発信しているし、コラムにして配信しています。

私にできることは、ほとんどありません。だから、せめてこの思いが伝わればとは思います。

竹内結子さんも、三浦春馬さんも、芦名星さんも。もちろん、他にも沢山苦しんで自死を選んだ人がいますが、本当に勿体ない。人生良いことだけじゃないし、嫌なことや苦しいことの方が多いと思います。でも、絶対に「せいをおかげに」できるし、「せいをおかげに」することが人生だと、私は思っています。

自分の心の器の状態を、普段から向き合っていって、手遅れにならないようにだけはしてほしいと思います。

最後になりましたが、竹内結子さんのご冥福を、心からお祈りいたします。


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