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消えた天才に見る「名前を呼ばれることの意味」

山田哲人が勝てなかった天才「勧野甲輝」

高校野球の目的地は、ご存知「甲子園」です。「夏の甲子園」は、高校球児の目的地であり、毎年夏には色んなドラマがあります。そして、甲子園において、その名を刻み残した「清原和博」は、甲子園で通算13本のホームラン記録を持っており、今尚その記録は破られていません。その後はプロへと進み、西武、巨人、オリックスで活躍して引退した後、麻薬の使用により、凋落してしまいました。

今回はそれが言いたいのではなく、高校野球に今尚輝く「清原」の再来と言われた「清原2世」と言われた男がいたことをご存知でしょうか?

清原に憧れ、PL学園に進学し、現在ヤクルトスワローズで「トリプルスリー」で有名な山田哲人選手が、絶対に勝てないと思った天才「勧野甲輝」その人です。その名前も、「甲子園で輝く」という思いが込められて付けられました。
小中と、恵まれた体格を生かし「エースで4番」として、山田選手を簡単に打ち取り、何本もホームランを打ち、その活躍を期待されていたのでした。

PL学園に進学し、1年生で4番を任されるなど、その期待は高く「清原2世」と呼ばれていました。しかし、春のセンバツは甲子園に進むも、夏の甲子園に出場することはありませんでした。
スカウトの目があり、ドラフトでは楽天イーグルスにドラフト5位でプロ入りするも、3年後に戦力外通告を受け、トライアウトによってソフトバンクに入団しましたが、2年後には引退することとなりました。

「清原2世」と呼ばれるほどの期待をされながら、甲子園で活躍できず、プロにはなれたものの、プロでも活躍することなく戦力外通告を2度受けることとなりました。

天才が輝けなかった理由

勧野本人も、「一番輝いていたのは高校1年生の時だけだった。あとは地獄だった」と語っているのですが、なぜ輝けなかったのか?

それは、憧れている清原の「2世」と呼ばれ、そのプレッシャーと、自分の名前を呼ばれなかったことが原因だそうです。期待が高ければ、要求も高く、PL学園といえば、今でこそ数々の不祥事によって廃部になってしまいましたが、甲子園常連で、4回の優勝を誇る名門中の名門でした。高校野球ファンも多く、大阪ということもあり、ヤジも多かったそうです。それも、「勧野」という名前ではなく「清原2世」と呼ばれ、酷くヤジられ続けたのです。そして、腰を痛めたこともあり、調子を崩したことも影響し、調子が上がらず、その後は活躍して輝くことはありませんでした。

今となって振り返ると、一番辛かったのは、「名前を呼ばれなかった」ことだそうです。どれだけ活躍しても、「清原2世なら当然や」と言われ、活躍できないと「清原2世のクセにしっかりしろやボケェ!」と言われるわけです。

「名前を呼ばれる」という承認欲求

名前を呼ばれない、覚えてもらえないということは、どれだけ辛いことでしょうか?人間にとって、名前とは「アイデンティティ」そのものです。人には「承認欲求」があり、最たるものが、「名前」だと言えるでしょう。名前を言わなければ、誰かだと伝えることは難しいものがあります。「名前」を言えば、すぐにその人のことを伝えることができます。「名前」とは、それだけ影響力や、承認欲求を満たすものなのです。
自分を認めること、自分を認めてもらうことは、とても重要なことです。わたしは、「承認欲求最強論者」なんですが(笑)、承認欲求が得られなければ、生きていないのと同義だと思っています。人間の三大欲求が「食欲・睡眠欲・性欲」と言われていますが、「四大欲求」として追加した方がいいと思うくらいです。

圧倒的な才能を持ち、輝かしい活躍がありながらも、その天才を苦しめた「名前を呼ばれなかった」こと。勧野甲輝さんは、今では結婚し子供が一人いて、三菱自動車で仕事をされているそうです。そこでは、「勧野さん」と呼ばれ、充実して仕事をしているそうです。

「名前を呼ぶ」そんな簡単なことが、とても大事なことで、人を幸せにすることなんだということを教えられました。少なくとも、自分の周りの大切な人の名前は、忘れることなくちゃんと呼んであげたいですね。そして、出来たなら「出来た」と認め、出来なかったら出来なかったことも認め、叱咤しながらもしっかりと応援していくことができれば、その名の通り、甲子園で輝いていたのかもしれませんね。

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