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幸せは自分の考え方しだい? 『幸せの自己責任』


いつも読んでいただいているかたも、

はじめましてのかたも、

ありがとうございます。

今回は、
みなさまの反感を買いにやって参りました。


では始めます。



幸せに生きるためへのアドバイスたち


この世の中、
生きづらく、苦しい思いをしている方も多いようです。

この“note”でも、
生きづらさや苦しさを訴えている記事が少なからずあります。
毎日のように目にします。

いっぽうです。

そんな生きづらさを感じている方への“アドバイス”も必ず毎日目にします。
みんなの優しさを感じます。

僕自身も、どちらも書いてきました。



さて、問題はその“アドバイス”たちです。

「自分のやりたいことに集中しよう」
「他人軸でなく、自分軸でいきよう」
「毎日、感謝日記をつけよう」
「“ない”ではなく、“ある”に注目しよう」
「自分の感情を大切にしよう」
「自分を褒めよう!認めよう!」
「自分に厳しくするのはダメ、優しくしよう」
「ありのままの自分を愛そう」
「嫌なことから逃げてもいいよ」
「自分の想いが幸せを引き寄せる」

キリがないのでこの辺で、、、

皆さま、どう思われるでしょうか?



幸せになるため、そんなに努力が必要?


僕がこれらから読みとれるのは、
“幸せは自分次第”、
つまり、

『幸せの自己責任論』

です。


批判的に書きましたが、
僕自身は、これらは正しいとは考えています。

人はどうしてもネガティブな部分に注目しがちなので、ポジティブな部分に目を向けるのは大切だと思います。


けれど、
『幸せの自己責任』には抜け落ちている部分があると思います。

それは、『社会』です。


極論で、
そんなことはないと分かっていながら、あえて書きますが、
もし、親が毒親でも、
もし、上司がクソ野郎でも、
もし、学校がつまんなくても、
もし、嫌なこと、悪いことがあったとしても、

もし『社会』が素晴らしかったら、
そんなに苦しまなくてもいいかもしれません。
もっと幸せに生きられるかもしれません。


僕たちは、
それほどまでに、自分の幸せに責任を負わなければいけないのでしょうか?

個人に幸せへの責任を押し付けすぎだと感じるんです。

なぜ、あなたはそこまで幸せになるための努力を強いられるんでしょうか?


自然に幸せがおとずれる世の中であってもいいと思います。




幸せは、半分"自分”、半分”社会”の責任


僕は、『幸せは“半分”自己責任』がいいと考えています。

たしかに、大人に育った人なら、
自分の幸せに責任を持たなければいけないのでしょう。

けれど、
もっとまともな世の中なら
それほど苦しむ必要もないと思うのです。

だから、

『幸せの“半分”自己責任論』

です。


私たちは、
幸せに生きる権利と責任もあります。
幸せに向かって歩んでいく必要もあるでしょう。

と同時に、
私たちが不幸なのは、自分の責任だけではありません。
不幸で自分を責める必要はないです。


幸せの責任は、
半分は自分ですが、
半分は社会にもあります。


重ねて書きますが、

今、幸せになれなくて苦しんでいても、
自分を責める必要は決してないのです。

だからといって、すべて社会のせいでもありません。

半分自己責任、半分社会の責任です。



なので、

「ネガティブはやめてポジティブに!!」

と言うのはいいとして、


同じくらい、

「社会をもっとよくしていこう!!」

と、

“こころ”や“思考法”と同じくらい、
”社会”への関心をもつ必要があると考えています。

どう思われますか?


お付き合いいただきありがとうございました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この話しは、
ほんとは“但し書き”がいっぱいつきます。
深堀すれば、あと10記事書いても足りないでしょう。

ただ、僕としては、
「幸せは自分の考え方次第」
があまりにも多い気がしているのです。
(僕自身も多く書いてます、すみません)

もっと根本的にみんなも僕も幸せに生きられる世の中になって欲しいのです。


(ただ、社会について考えるときは、かならず自己批判的視点が必要ですね。
でないと、心地よい考えに囚われてしまったり、自分と違う意見に攻撃的になってしまうので気をつけます。)



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