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SNSや社会を不毛な戦場にしないために、、、 ルールや法について考えてみる

ルールを守らないやつってムカつくよね。

だから懲らしめてやりたい。

そんなふうに思うのは、当然ですよね。



ルールの目的は何?


みんなルールを守っているし、
あんなひどいことをしたんだから、
罰して懲らしめるのは当然。

そう、
そう思います。


でも、ちょっと考えたんです。

ルールや法って、
悪い奴を懲らしめたり、罰したりするためにあるんでしょうか?

世の中、よくなって欲しい。

「でも、そんな気持ちが裏目に出てしまっているんじゃないか?」

と思ったのです。


そこで僕は、

ルールは

「悪い奴を罰するため」

という考えをなくしたほうがいいと思ったのです。


じゃあ、
ルールなんのためにあるの?

被害者を守るため“だけ”」

に存在すると考えたほうがいいと思うのです。




「懲らしめたい」が作り出す不毛な戦場


今はインターネット、SNSの時代です。

そんなSNSで毎日のように繰り広げられているのを目にしませんか?

『正しさ合戦』

「悪い奴をやっつけたい」
と言葉の応酬を繰り広げています。


ルールとか道徳とか守らない悪い奴を

「やっつけたい」
「懲らしめたい」

さらに発展すれば、

「通報しました」
「訴えてやる」

そうやって、
悪い奴に制裁を加えたい人、たくさんいますね。


気持ちはわかるのです。

けれど、
その結果はどうなんでしょう?

殺伐とした空気が残るだけな気がします。


そして、
本来、人と人とのつながりを楽しむ場が、
自分なりの“正義”と“ルール”を武器とした『不毛な戦場』と化すのです。



ルールは「守るため」にある


SNS世界から、
現実世界にもどってみます。


僕は、
飲食店で働いています。

そこでも、
やっぱりルールを守れない人が出てきます。


つい、怒りにまかせて、

「懲らしめたい」

と思うこともあります。


でも懲らしめたところで、お店が良くなったとは感じません。

でも、
ルールを守らない人を放置してしまうと、お店が成り立ちません。
お店に被害がでてしまうので、指摘しないといけません。


そこで、ルールを指摘するとき、意識すること。

「このルールは、あなたを罰するためにあるのではありません」

「このルールは、お店を守るためにあるのです」

そんな意識です。


何を守るのか?

その商品を作ってくれた人。
そのために準備してきた努力。
それ以前に、商品の材料を生産したり、運んだりしてきた人たち。
一生懸命、接客をしている人たち。
もちろん、ルールを守っている他のお客さんや従業員さんたち、、、

そんな人たちを「守るため」だけにルールがあると思うのです。


でも、ルールに、

「悪い奴を罰するため」

が加わってしまうから、不毛な戦いが生まれます。

かえって、場を悪くするだけになりがちだと感じませんか?



よい雰囲気をつくるために


被害者のことを思うと、
加害者を罰して懲らしめたいという気持ちもすごくわかります。

被害者のことを思うとムカつきますよね。


けれど、
ルールの本当の目的は『被害者を守るため』だけだと思います。
『加害者を罰する』のは、その目的のための手段に過ぎないと思うのです。

でも、
いつの間にか『加害者を罰する』こと自体が目的になっていないでしょうか?


“被害者”の苦しみを和らげたり、救ったりする方法は、“加害者”を懲らしめるだけではないはずです。


なので、

「ルールや法は、加害者を懲らしめるためにあるんじゃない」

「ルールや法は、被害者を守るためだけにあるんだ」

と意識してみるのはどうでしょうか?


そのちょっとした意識の違いだけで、
場の雰囲気は大きく変わると思うのです。


いかがでしょうか?

もう、あの不毛な戦いは見たくないなぁ、
なんて思っています。



僕の個人的な考えでしたが、お付き合いいただきありがとうございます。


ただ、ルールを作ったり、行使したりする権力者と戦わなければならないときもあります。
権力がルールを振りかざしてきた時ほど、悲惨なことはありません。
歴史が物語っています。
権力者たちが自分を“守る”ためにルールを使ったときに悲劇が生まれやすいからです。


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