実話調査隊

実話に基づいた小説や映画が好きです。 本読むことが苦手な方や、何を読んでいいか迷ってる…

実話調査隊

実話に基づいた小説や映画が好きです。 本読むことが苦手な方や、何を読んでいいか迷ってる方のお役に立ちたいと思っています。 特に戦争に関するものを取り上げますので、中高校生の方々に興味を持っていただけると幸いです。

最近の記事

小樽新聞 大正13(1924)年12月28日 日曜日 その2

保険会社の支払い  はないらしいが見舞金は出るだろう  爆発現場付近には雑穀、密柑(みつかん)等を満載中の艀船が多数あった。これら艀船に対する積み荷の損害等は多額になるだろうがこの損害金を保険業者が支払うだろうか。海上保険証券の付則約款(契約内容をあらかじめ定めた条項のこと)には「海上に停止漂流または浮いて漂っている爆発物が原因となる損害は、その発生場所にかかわらず当社は責任を負わない」とある。  また、火災および家屋の損壊の被害は火災保険証券約款中に「爆発物によって生ずる

    • 小樽新聞 大正13(1924)年12月28日 日曜日 その1

      では、この大爆発の状況を翌日の小樽新聞から読みとってみる。 なお、( )内に「漢字の読み」や「説明」を加えた。 また、記事は大正時代の文体であるため、わかりやすい表現に変えている。 小樽港内のはしけ船にて  火薬爆発の一大事     多数のはしけ船は粉々に砕け散った       死傷者数え切れず  27日午後1時27分小樽市手宮高架桟橋付近で衝撃的な大音響を発して爆発が起き、同時に全市3万戸の家屋に一大振動を与え、二階が落ちたり、窓硝子を破られたなど、被害は全市におよんだ。

      • 大正13(1924)年12月27日小樽手宮爆発事故

        <小樽港内艀船にて火薬爆発の大椿事 多数の艀船は木端微塵 死傷者算なし> 小樽新聞 大正13(1924)年12月28日 日曜日  二十七日午後一時二十七分小樽市手宮高架桟橋の方面に当たって天地も破れんばかりの一大音響を發して爆發したものがある、同時に全市三万戸の家屋に一大振動を與へ二階墜落したもの、窓硝子を破られたもの等全市に亘り續出して市民はいづれも戸外に飛出した。右は廿五日山口縣厚狭日本火藥会社から札幌三田火藥店及岩見澤川口火藥店に宛て發送したる火藥及ダイナマイト八百六十

        • 第二新興丸、敵潜水艦に反撃!

           『烏の浜』では潜水艦に攻撃を受けた3船のうち、「小笠原丸」の状況について詳しく書かれています。  吉村先生が「小笠原丸にしぼって調査した」ため、あとの「第二新興丸」と「泰東丸」についての記述が少なくなっています。  そこで関係書物や生存者の証言から「おおよそ間違いない」と思われる内容を要約し、お伝えいたします。 小笠原丸に続き潜水艦の攻撃を受ける「第二新興丸」は民間の貨物船であったが、海軍に徴用(ちょうよう:国が強制的に取り立てること)され、前・後部に12センチ旋回砲各

        小樽新聞 大正13(1924)年12月28日 日曜日 その2

          潜水艦は海に漂う子供に機銃掃射した!

          生存者と住民が語る「小笠原丸」の悲劇吉村先生は『烏の浜』の執筆経緯について、「小笠原丸」の沈没ー「烏の浜」(「月間ダン」昭和54年4・5号初出、随筆集『万年筆の旅 作家のノートⅡ』昭和61年8月文春文庫に収録)で詳しく書いています。  まず、「小笠原丸」がどのような船であったのか、また、いかなる事情で樺太から避難民を乗せることになったのか、さらに潜水艦に襲われた折の状況はどのようなものであったか、を知ることから手をつけた。  私は、船舶名簿をひるがえし、「小笠原丸」が逓信

          潜水艦は海に漂う子供に機銃掃射した!

          1700人は日本を目前にして命を奪われた

          小説『烏の浜』の実話調査今回紹介するのは吉村昭先生の『烏(カラス)の浜』です。 この小説は1971(昭和46)年別冊文藝春秋(秋第117号)初出、1972(昭和47)1月に文藝春秋より単行本「総員起シ」に収録、刊行された「短編小説」です。そして1980(昭和55)年12月文春文庫「総員起シ」にも収録されました。 ということで、前回報告しました『手首の記憶』と同じ文庫に収録されているのです。 この小説は1945(昭和20)年8月22日北海道の日本海側の増毛町、留萌市、小平町沖

          1700人は日本を目前にして命を奪われた

          うずく“自決の傷跡”

          文春文庫『総員越シ』に収録されています短編小説『手首の記憶』は1945年8月17日におきた、樺太太平炭鉱病院看護婦集団自決事件を描いています。今回はこの小説の調査報告をいたします! 吉村先生は自決の経緯を何によって知り得たのか?前回お伝えしたとおり、この小説は作者の吉村昭先生が取材していません。 では、誰が事件を取材したのか? 実はこの小説に新聞記者として登場している「金子」さんです。 金子さんは実在の人物で北海タイムス(1998年廃刊)の記者でした。 そして、小説の

          うずく“自決の傷跡”

          若き看護婦たちは自ら命を絶った

          小説『手首の記憶』の実話調査今回紹介するのは吉村昭先生の『手首の記憶』です。この小説は小説新潮1972(昭和47)年1月号初出、1973(昭和48)年2月に毎日新聞社より単行本「下弦の月」に収録、刊行。そして1980(昭和55)年12月文春文庫「総員起シ」に収録、刊行された「短編小説」です。 最初に投稿しました「実話調査隊出発!」にも書きましたが、吉村先生は『膨大な資料、数多くの関係者からの証言を取材し、徹底的に「事実」を追求』する作家です。 しかしこの小説については、吉

          若き看護婦たちは自ら命を絶った

          小説『逃亡』の実話調査3

          なおも逃亡は成功する東京にいては軍隊に見つかると思い、Kは運送店を辞めます。その予感は的中し、Kがやめた数日後、この運送店主は警察の取り調べを受けたのです。これは小説に書かれていません。「雪の墓標」50ページです。  Kがやめてから数日後、M運送店主は警察の取り調べを受けた。引っ越し荷物の運送を闇でやっているとの密告があったからで、そのあおりで、勤労動員署(今の職業安定所)を通さず人を雇ったことも統制令違反に問われた。辞めるのが数日遅れたら、Kは間違いなく警察にあげられてい

          小説『逃亡』の実話調査3

          小説『逃亡』の実話調査2

          軽い気持ちでパラシュートを貸したら最終列車に乗り遅れ、帰隊時間に間に合わないと苛酷な制裁受けることに怯えていたKは、「山田」という男に救われました。 これが縁でKは次の外出時、山田に食事をごちそうになり、その後もたびたび会ううちに、気を許すようになりました。そしてついに山田がKに言いました。また「雪の墓標」25-26ページの引用です。 「私は大の海軍好きだが、君がギア長(兵器保管責任者)なら頼みがある。ひとつパラシュートを見せてもらえないか」と言われた。別にあやしむ気持ち

          小説『逃亡』の実話調査2

          小説『逃亡』の実話調査1

          改めて調査作品の紹介 吉村先生の小説「逃亡」は1971(昭和46)年8月に文藝春秋の月刊誌「文学界」で初出、翌9月に文藝春秋より刊行されました。文庫は1978(昭和53)年4月に刊行。ただし、上記写真は2010(平成22)年の新装版です。 「軍用飛行機をバラせ・・・・その男の言葉に若い整備兵は青ざめた。昭和19年、戦況の悪化にともない、切迫した空気の張りつめる霞ヶ浦海軍航空隊で、苛酷な日々を送る彼は、見知らぬ男の好意を受け入れたばかりに、航空機を爆破して脱走するという運命

          小説『逃亡』の実話調査1

          最終列車を逃しただけなのに・・・

          さて第1回目に紹介するのは吉村昭先生の『逃亡』です。 時は太平洋戦争の最中の1943(昭和18)年秋。 主人公は霞ヶ浦海軍航空隊三等整備兵の望月幸司郎。 望月は外出許可を得て、兄に紹介された女性の実家を訪問したが、その帰りの最終列車に乗り遅れてしまった。 当時軍隊の規則を破った者に対する制裁はすさまじく、骨を折られたり、歯を砕かれることも日常的だった。それに耐えかね自殺する者もいたほど。 帰る手段がなく、門限に間に合わず制裁を受ける自分を想像し恐怖に震えていた。

          最終列車を逃しただけなのに・・・

          実話調査隊出発!

          皆さん初めまして、実話調査隊隊長です。 本日から実話を基にした小説を紹介し、それがどの様にしてか書かれ、どれだけ本当なのか探っていきます。 何故こんなことをするのか? 私の読書歴を交え説明します。 小説を読み始めたのは中学生。 長編は無理なので、SF作家の星新一のショートショート(短編小説)がスタート。 そして北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」でなんとか長い本を読み切れるようになりましたが、その後も随筆(エッセイ)ばかり読んで、なかなか小説を読む気になれませんでした。

          実話調査隊出発!