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小説『逃亡』の実話調査2

軽い気持ちでパラシュートを貸したら

最終列車に乗り遅れ、帰隊時間に間に合わないと苛酷な制裁受けることに怯えていたKは、「山田」という男に救われました。

これが縁でKは次の外出時、山田に食事をごちそうになり、その後もたびたび会ううちに、気を許すようになりました。そしてついに山田がKに言いました。また「雪の墓標」25-26ページの引用です。

「私は大の海軍好きだが、君がギア長(兵器保管責任者)なら頼みがある。ひとつパラシュートを見せてもらえないか」と言われた。別にあやしむ気持ちもなく、次の外出日に格納庫の棚からパラシュートを持ち出した。

えっ?悩むことなくあっさり持ち出してますね。小説では「それは無理です。員数も定まってますし、厳重に包装して格納してありますから・・・」と渋々なのですが。これは何か理由があるようです。

 パラシュートの持ち出しはむろん禁止されていた。だが、特攻隊員が首にまきつけた絹のスカーフもパラシュートを無断借用したものであるように、航空隊の中では、パラシュートは比較的無造作に取り扱われていた

しかし、この気のゆるみがKの人生を変えることとなります。

 一週間後に山田に返してもらったとき、すぐ元の場所に戻しておけば事件にならなかったのだが、その時期を延ばしているうちに、不意の検査でパラシュートの「員数」不足が露見した。しかし、搭乗員が戻さない場合がよくあるので、係は内々で進める模様だった。

そろそろヤバくなってなってきましたね。こうなると、またKは山田に頼ります。

 Kは、特別第四格納庫の自分用の抽き出しに入れておいたパラシュートの処置について、山田に相談した。山田の提案で、外出日に実家に持ち帰って小屋の二階にかくした。そのうちパラシュート係の高橋上等飛行兵曹からK自身も調べられたので、捜査の手が実家にまで伸びるのではないかと心配になり、夜も眠られないことがあった。

持ち出しをごまかすために戦闘機を破壊しろ!

さらに追い込まれたKは、やはり山田に相談します。

 日曜日に面会に来た山田に「このままでは自分の逮捕は時間の問題だ。なんとか名案はないか」と藁おもつかむ気持ちで頼んだ。山田はいった。「一つだけ手段がある。九七艦攻落下傘をとり出して、特別第四格納庫の棚におけば員数がそろう。そのあと飛行機を燃やしてしまえば、落下傘の紛失もわからなくなる。これ以外に、落下傘持ち出しの証拠隠滅の方法はないぞ。持ち出したことがわかれば、死刑は免れないのだから、度胸をきめてやってしまえ」

念のため若い世代の方々へご説明しておきますが、「落下傘(らっかさん)」とはパラシュートのことです。これまで「パラシュート」と書いてあったのですが、ここでいきなり「落下傘」に変わっています。

そんなことよりも「落下傘盗んだくらいで死刑はないんじゃない?」って思いますよね。当時の落下傘がどんなものなのか、調べてみると、古いものですから「高価」には見えませんので、実感がわきませんね。

では、今のパラシュートだと価格はどれくらいでしょうか?

これを見ると7万円から15万円といったところでしょうか。

まあ、当時としては「最新鋭」だったのかもしれませんし、軍のものですから、機密保持のためにも「重罪」になるかもしれませんが「死刑」はどうかと思いますよね。

では、この落下傘持ち出し事件は実際にどんな判決だったのか、戦後Kが自分で調べて分かったようです。「雪の墓標」46ページの引用。

 パラシュート事件のほうは、逃亡後の昭和19年6月に、窃盗罪として懲役八か月、執行猶予1年の判決になったようです。逃亡後3日以内に捕えれば、軍法会議に送らないで隊内で処理できる決まりになっていたので、必死に捜索したわけですね。三日たっても捕まらなかったので、捜索が憲兵隊に移ると同時に、私の兵籍も19年6月づけで横須賀第一海兵団に移籍されているんです。これは、厚生省援護局第二課の書類にも残っているそうです。

「懲役八か月、執行猶予1年」なら一年間真面目にすごせば懲役(刑務所に入る)もなかったはずなのに、18歳のKは山田に洗脳されてしまっていて「死刑は免れない」と信じ込んでしまったのです。

また、ここで書かれている「九七艦攻」とは戦闘機の略称で正式には「九七式艦上攻撃機」のことですが、まず「艦上攻撃機」(かんじょうこうげきき)とは、航空母艦(空母)に搭載して運用する攻撃機のことをいいます。

この戦闘機は昭和16年12月8日の真珠湾攻撃でも使用されたもので、当時(昭和18年)としては決して古くはないのですが、それほど「高価なもの」には見えないかもしれないので、パラシュートと同様に現代に置き換えてみましょう。

ただし、日本の自衛隊には空母はありませんので、昨年公開された西島秀俊主演映画「空母いぶき」(架空の話)で市原隼人が操縦していた航空自衛隊最新鋭機F35Aの艦載機型F35B(アメリカ軍にはありますが日本はまだ配備されていません)と置き換えることにします。


*航空自衛隊ホームページより出典

このF35の金額は一機150億円です!これほどのものを壊すことを決意するのは、やはり「死刑になる」という恐怖があったからでしょうね。

ここでやっとKは「山田に自分はうまく騙されたのではないか」と思い始めました。次に会ったときに山田が考えた破壊方法を聞いたとき、その思いは確信に変わったのですが、もはや後には引けない状況になっていました。「雪の墓標」26ページの引用です。

 このときKの心に山田はスパイではないかという疑惑が浮かんだ。しかし、すがりつきたい気持ちがそれを打ち消した。次の外出日に、人払いした料亭の二階で、山田はどこから入手したのか、九七艦攻の構造図を持参した。そしてそれを開いて、後部座席のバッテリーの横にある箱を指さし、「ここに照明弾が入っているだろう。その中にこれを入れれば、それでいいんだ」といって、ポケットから長さ10センチぐらいの黒い円筒状のものを出し、その端についているスイッチを手前にひいて、照明弾の中に入れるように教えた。「こいつが30分後に発火して照明弾に点火すると、飛行機も落下傘も焼失する。それで落下傘の持ち出しの嫌疑も消えてなくなる」といい、円筒状の発火装置をKのポケットに押し込んだ。Kは事の重大さに身体がふるえ、頭の中もかっかっとして、料理にはしもつけずに料亭を飛び出した。一人になって考えたが、山田のいう方法をとる以外に落下傘持ち出しの罪から逃れられないと、18歳のKはそう一途に思った。

戦闘機の構造図、時限発火装置などを持っているとなると、「スパイ」としか考えられませんね。ここまできてしまうとKは「スパイの手先」になったことで「死に至るような制裁が加えられて死ぬか」、「死刑になるか」としか考えられなくなり、言われた通りに実行するしか道はないと考えるのは無理もないですね。

しかし、そうは思ってもなかなか実行することができず、半月以上悩み続けていると山田から「持ち出しがわかれば、死刑は確実だ。今おまえは生きるか死ぬかの境目にいるんだ。実行しろ」と言われ、やるしかないと思い込みます。山田も軍に「スパイとして逮捕」されれば、やはり「死刑」になるかもしれないので、Kに実行するように仕向けます。

ついに戦闘機を炎上させる!が・・・

では、Kの証言を引用します。

(昭和19年)1月16日はちょっと小雪が降った日でした。日が暮れてから誰にも見られないように、特四格納庫に行ったんです。庫内には誰もいませんでした<中略>私は整備作業をするようなふりをして、九七式艦攻機に上がって、後部座席のバッテリーのそばにある照明弾格納ボックスに、発火装置を入れたんです。自分でも驚くほど、落ち着いていました。時計の針は午後5時25分でしたから、55分には爆発するわけです。落下傘を抱えて機上からおり、乱雑になっている棚に載せ、特四格納庫から出たんです。格納庫群の左端にあった兵器調整場の所で、発火の様子をうかがってましたが、55分になっても爆発音が聞こえず、午後6時になったので格納庫に引き返そうとしたときでした。とつぜん拡声器が鳴り出したんです。うわずった声でした。「特四格納庫、火災。防火隊急行!!

Kは消火を手伝い、しかも自分が火災現場にいることを上官に確認させようと思い、整備長に「電気をつけていいですか」と言ったほど落ち着いていました。

そして戦闘機は黒焦げになって、目的は達成したかにみえたのですが・・。

しかし、パラシュートの持ち出し事件の捜査は戦闘機の放火後も続けられ、Kの引き出しにパラシュートの一部が残っていたため、持ち出しがバレて禁錮室(牢屋)へ監禁されてしまいます。

手錠を外して脱走し、逃亡が始まる

戦闘機放火ついて、別の兵が取り調べを受けた際に「Kがやった」と密告されますが、それはその兵の言い逃れあるとされて、その兵は半殺しの状態になっていました。

「次は自分の番かもしれない」という恐怖から耐え切れず、Kは便所の帰りに拾ったガラスの破片で、左手首の動脈を切って自殺を図りましたが、発見され、未遂に終わりました。

小説では消化器(胃腸)を壊そうと、便所の帰りにわざと倒れて石を拾い、禁錮室に戻ってから呑み込んでみましたが、悪くならないので、断食しましたがこれも失敗したことになっています。

なぜ吉村先生は自殺の方法を変えたのか?

それはKの左手首に10センチほどの傷跡が3本残っているので、小説を読んだ人にわからないようにしたと思われます。

Kは自殺を図っても、発見されてしまうほど警戒が厳重なので、脱走はかなり難しいと考えていました。そのとき隣の部屋に入っていた一人の兵が、番兵のいないとき、針金を使って手錠を外していたのを見せたのです!

Kは寝るときに手錠がはずせれば、しびれた足もほぐせるし、血行も良くなるのでうらやましく思っていましたが、それで脱走することまでは考えていませんでした。

Kはその後さらに警戒厳重な「特設重禁錮室」移されました。それからほどなく便所で針金を持ち帰り、手錠を外そうと試みました。すると外れたので、感激するとともに「脱走」を計画し始めました。

Kは弱そうな番兵のときに便所へ行き、そこで手錠を外し、番兵の顔に手錠をたたきつけて、逃走しました。その際、番兵がKを見失い、追跡をやめて本部に行った数分の間に隊から脱出できたとのことです。

このことは小説に書かれていませんが、足の弱っているKを見失ったことで、その番兵は叱責されたらしく、その方の名誉のために吉村先生は書かなかったのかもしれません。

その後Kは忍び込んだ家から郵便配達の帽子と制服、自転車を盗み、郵便配達夫を装い、東京へ行き、運送業者として働くも、東京では軍隊に捕まる可能性が高いことから、千島列島に仕事を求め、北海道に向かうのは小説のとおりです。

さて、パラシュートを持ち出した罪だけでなく、戦闘機の破壊、隊を脱走したことで、Kの罪はどうなったのでしょうか。「雪の墓標」46ページの引用します。

 炎上事件や脱走の軍法会議の書類は、今までのところ見つからないんです。ある人の話では、軍法会議の欠席裁判は(昭和)20年の6月で、八つの罪状が認定され、未成年とはいえ許しがたい大罪だということで、死刑の判決だったといいます。八つの罪というのは、(1)兵器窃盗罪(パラシュートの持ち出し)(2)重要航空兵器損壊罪(飛行機炎上)(3)逃亡罪・加重逃亡罪(禁錮室から逃亡)(4)哨兵暴行罪(番兵に手錠を投げつけたこと)(5)官給品横領罪(郵便配達夫の制服、制帽)(6)住居侵入罪(郵便配達夫の住居)(7)窃盗罪(郵便配達夫の自転車)(8)放火罪、激発物破裂罪(爆発するおそれのあるものに放火した)の八つですね。

素直にパラシュートを返していれば、ここまでにはならなかったのですが、これからまた苛酷な逃亡が始まります。

次回は逃亡先の北海道での苛酷な労働について、報告させていただきます。(''◇'')ゞ今回も読んでいただき、ありがとうございました。

本日もフレンチトーストの美味しいお店より(意味のないオマケ)

#実話 #吉村昭 #読書 #読書感想

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