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小説『逃亡』の実話調査3

なおも逃亡は成功する

東京にいては軍隊に見つかると思い、Kは運送店を辞めます。その予感は的中し、Kがやめた数日後、この運送店主は警察の取り調べを受けたのです。これは小説に書かれていません。「雪の墓標」50ページです。

 Kがやめてから数日後、M運送店主は警察の取り調べを受けた。引っ越し荷物の運送を闇でやっているとの密告があったからで、そのあおりで、勤労動員署(今の職業安定所)を通さず人を雇ったことも統制令違反に問われた。辞めるのが数日遅れたら、Kは間違いなく警察にあげられていた

これはKが小説出版後に運送店主に会いに行き、知ったと思われます。では、同ページから

 1978(昭和53)年1月2日、Kさんと私(共著者の小池氏)は、元M運送店の店主を訪問した。運送店をやめ、もとの店から少しはなれた所に住んでいた菊池さんは、77歳をこえてなお矍鑠(かくしゃく)としていた。菊池さんが、Kさんの顔をしばらく見つめてから、「思い出したよ、あんときよく働いてくれたな。今も元気そうだな」というと、Kさんは「悪運が強くて、元気です」と答えた。

「悪運が強くて」と答えていますが、本当に奇跡的に運がいいですよね。手錠を外し、脱走するも番兵が見失い、たまたま入った家に郵便配達夫の制服と制帽があって変装し、身元を問われることなく運送店で働く。身の危険を感じて、店をやめると数日後に警察が来る。これがフィクションなら読者は「あまりも主人公に都合よすぎて、つまらん!」と思いますよね。しかし、現実なのだから「事実は小説より奇である」は本当ですね。

北海道での苛酷なタコ部屋労働

店を辞めたKは、たまたま電柱に貼られていた「千島・樺太行き軍属緊急募集」を見つけ、千島列島で働くため列車に乗りましたが、北海道の帯広で降ろされ、飛行機を爆撃から守る掩体(えんたい)格納庫を作ることになります。

しかし、そこは「タコ部屋」と呼ばれる苛酷な作業場でした。朝は5時から夜7時までの14時間労働で、掘った土をトロッコで運ぶ仕事でした。しかも休み時間は昼食時に30分しかなく、疲れて動きが遅くなれば「棒頭(ぼうがしら)」とよばれる監視役に木刀やスコップで殴られるため、仕事が終わると誰もが倒れ込んでしまうほどでした。

また、この苛酷な労働から逃亡する者がいても、犬に探させ、見つけ、見せしめのために他の労働者の目の前で、スコップの裏表で叩きまくり、血だらけになるまで続けるのも事実だということです。

タコ部屋労働についてはこちらを読んでください。

さらに恐ろしいことにタコ部屋労働は、現在もあるとのことです。

この地獄のタコ部屋労働からKは「村上」という男と共に、豪雨の夜に逃げだしました。幸い雨の音のため脱走する音が聞こえず、犬の嗅覚も消されていたために、捕まりませんでした。

苛酷な「労働者」から「監視役」に逆転!

Kと「村上」は帯広駅から根室駅行きの列車に乗り込み、千島列島での仕事探すため釧路で降りました。そこで労働者を集めている店の老主人に尋ねたところ、千島行きの仕事の斡旋は釧路にはないが鷹泊(現深川市鷹泊)にあるので、そこへ行くこととなりました。鷹泊もタコ部屋労働ではありますが、老主人の計らいで「労働者」ではなく、「棒頭」として働くことになりました。ナント帯広とは真逆の立場になったのです!

軍から追われ、その身を隠すために潜入したタコ部屋労働で、追う身になってしまうとは、なんという皮肉でしょうか。

「棒頭」になり、苛酷な労働はなくなりましたが、監視しなければならない労働者は自分より年上で、修羅場をくぐってきた猛者もいました。自分を鼓舞するために、まだ18歳のKも他の「棒頭」にならい、右腕に入れ墨をしました。生き延びるために必要とはいえ、生涯消えない罪をの証となってしまいました。これも手首の傷と同様に「小説」では書かれていません。

終戦となり、また人生が逆転する

1945年8月15日終戦になる
Kは終戦により、「戦闘機破壊と逃亡兵」の罪が無くなるのではという希望を持ちますが、確信が持てず、自分の父親宛にアメリカ軍に助けを願う手紙を送りました。すると警察が来て、Kを取り調べ、アメリカ軍が迎えに来るので待てとの指示を受けます。

数日後アメリカ兵が迎えに来て、旭川のアメリカ軍駐屯地で取り調べ受けますが、内容はKに戦闘機破壊の指示をした「山田」ことでした。そしてKは「山田」のモンタージュ写真を作成して、一週間後アメリカ軍情報将校から「全て判明した」と言われ、やはり「山田」はアメリカのスパイであることを確信しました。その後この情報将校はKの身の安全を保障し、仕事を与えました。

ナント!情報将校はKに旧日本軍人動向を探らせました。日本軍に追われていたKが追う立場に逆転したのです!

Kは旧日本軍が隠した大量の弾薬を発見したことから始まり、帯広飛行場付近に集団入植した樺太引揚者が、ソ連のスパイではないか調べる(小説では順番が逆)などして、情報将校からの信頼を得ました。

さらに麻薬に係るアメリカ兵の犯罪調査にも関わるようになり、その際には「スパイ映画」に使われるような武器を持っていたと「雪の墓標」227ページに書かれています。

 危険が伴う麻薬捜査には、精巧な武器や器材を携行した。腕時計に見せかけた小型録音器、写真を撮るふりして相手を狙撃できるカメラ型拳銃、レンズの向きと別方向を写せる特殊カメラなど、ドイツ製の品が多かった。引き金をひくと、撃った本人に弾が当たる特殊拳銃もあった。

これほどまでアメリカ軍情報部に信頼されたKですが、優しかった情報将校が交代し、傲慢な将校なったことから、退職を申し出ますが、何度も引き止められ、終戦から5年後にやっと退職することができました。

その後国内各地の工事現場を転々とし、東京の某市役所で公務員となって働き始めました。それから10年後、吉村先生と出会い、小説「逃亡」と「月下美人」が発表され、K自身もタコ部屋労働に係る本を出版しました。

「逃亡」者が過去の秘密を告白し、世間に出るまで

Kが書いた2冊目の本「続雪の墓標」173ページに、秘密を告白し、小説になり、タコ部屋労働の実態を調査するまでに至った経緯が書かれていますので、抜粋いたします。

暴露 私が役所勤めをしていることがどうしてわかったのか、元霞ヶ浦海軍航空隊のある上官が、私のことをとんでもない奴だと、市長から報道関係から言いふらして回った。それが吉村氏の耳に入り、是非真相を聞かせてほしいと私の家に訪れた。
週刊読売 昭和46年2月5日号に「帝国海軍最大の汚辱事件」、4月8日号に「ミステリー追跡・ついに全貌をとらえた帝国海軍最大の汚辱事件」として掲載された。
東京12チャンネル(現テレビ東京) 昭和49年4月26日午後10時「人に歴史あり」関東にて放送。吉村氏とKが出演し、Kの数奇な運命のあらましを語る。

このようにKは自分の過去を元上官に暴露され、吉村先生に会い、小説化を了承し、「週刊誌」に取材され、自らテレビ出演して自身の数奇な運命を語っています。その後、タコ部屋労働の調査と慰霊を行い、自身でも本を出版しました。

本当にKの人生は本当に事実なのか?と疑ってしまうほど凄まじいものですが、やはり「戦争」が要因であることは間違いありません。

戦後75年が経ちましたが、「スパイ」も「タコ部屋労働」は現実にあります。時代の波に人間は押しつぶされるしかないのか、苛酷な状況にあっても運命を自分の力で切り開いて生きていくのか、考えるよい作品だと私は思います。ぜひ「逃亡」を読んでください。

実話調査隊の第1冊目の調査報告は以上です。が、今回の主人公「K」氏にはまた登場していただく予定です。(ナントまだ続きがあるのです!)

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。m(__)m

#実話 #読書 #吉村昭 #読書感想


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