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感情を重視するか、理を重視するか?

こんにちは。かどやです。


今日のテーマは『感情を重視するか?理を重視するか?』です。


この2つの『考え方』の違いは、みんなの幸せに直結する非常に『重要な』人生哲学になります。


では、今日のテーマを進めていきますが、


人は『まったく同じ事柄』でも、抱く『感情』は『その人』によって『様々』です。


例えば、


知人に新鮮な『スイカ』をあげたとしましょう。


それで、スイカが大好物な人なら『嬉しい!』と大喜びしますが、スイカが大嫌いな人だと『こんなのいらない!』と逆に怒られてしまいます。


つまり、『スイカをあげる』というまったく同じ行為でも、受けとる側の好き嫌いなどの『個性』によっては、相手の『感情』は『天地の差』があるということを表しています。


その『天地の差』がある『他人の感情』を『大切』にし、『快くしたこと』や『不快にさせたこと』をお互いに『大切』にしていては、世の中の人口の数だけ、他人の『個性』に合わせて生きねばなりません。


そんなことは『不可能』ですし、それを無理に頑張れば頑張るほどに、相手も期待してしまい、『期待』を『裏切られる』ことが多くなりますし、自分も相手に合わせ過ぎて『軸(人生哲学)』が失われ、しまいには自分の言っていることに『矛盾』を含むようになっていきます。


これは、本当に『無益な争い』を生みます。


ですので、人の『感情』よりも『理(ことわり)』を明らかにすることを大切にすることをオススメします。


『理』とは、いわば『仕組み』です。


先ほどの例ですと、


そもそも、

①なぜあげたいのか?

②なぜあなたなのか?

③なぜスイカなのか?

です。


知人がスイカを嫌いな人だったとしても、それは『③なぜスイカなのか?』だけの話で、さらにそこには何か『理由』があるはずです。


人は『理由』を知れば、『怒り』は自然と静まる生き物ですので、それだけでも争いは避けられますが、さらには①、②の理由まで聞けば、それはもう『喜び』さえも沸いてくることでしょう。


このように、

私の『人生哲学』としましては、

『感情』よりも『理』を重視します。


今回は以上です。

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