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【人体改造カラダコラムVol.16】

人体改造カブ式会社とは、札幌駅前通地区全体の健康=エリアヘルスマネジメントに取り組むプロジェクトです。16回目のコラムは事務局の仙波がお届けします。

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「テレビ断ちのすゝめ??」


僕はもうかれこれ5年近く家にテレビを置いていません。

テレビが嫌いで敬遠したわけではなく、単身一人暮らしの中で、自分の身の回りを整頓しているうちに自然と置かなくなったのですが、ワイドショーやニュースの中でネガティブな情報に受動的に触れることが少なくなり、広告も目にする機会が減り、なんとなく気分が落ち着きました。

日頃から情報にさらされていると、様々なことに詳しくなれる反面、情報疲れに陥りやすいのかなと思います。東日本大震災以降、なんだかテレビで報道される情報に疲れるようになりました。心身にかかる情報の重荷を降ろそうと思った時に、少しずつ見なくなったテレビを完全に手放したことは良い選択だったのかもしれません。

テレビ断ちをしていた期間の中で、2年ほど前に1年間実家で暮らした時期がありました。実家なので当然テレビは堂々と居間に鎮座しています。僕は食事中くらいしかテレビを目にすることがなくなりましたが、糖尿病で、かつ脚が悪くて歩けない祖母は、NHKの歌番組に合わせて楽しそうに歌っていました。キラキラの舞台に上がる歌手の園まりさんを観て「なんやこの人えらいオバハンになったなあ」とぼやく関西出身のオバア。…いやいや自分も歩けへんなるくらいにヨボヨボになってんねんで。

そんなこともあって最近は、テレビが家族のコミュニケーションの媒体になっていたことに気づき始めました。というよりはテレビの絵を思い浮かべたら自動的に実家のテレビと絨毯と、低いテーブルと、ビールを飲む父親とサザエさんがセットで追想されます。少しノスタルジーです。主張が矛盾しているかもしれませんが、それでも、テレビは子どもの僕にとって、そして大人になってからの僕にとっても良いものだったのでした。

ちなみに、僕がテレビを捨てた理由のひとつに、「ミニマリストに憧れていたから」というものがあります。「物なんてなくても生活できるんちゃーう?」という発想に端を発し、京都から東京への引越しを契機にテレビのほか、カーテンもソファーも洗濯機も、ついには冷蔵庫をも捨て去りました。寝具も枕だけしかありません。

極め付けは「ガスもいらん!」ということでガス会社とは契約せず、ガス代は0円。これぞ究極の節約でした。おかげでしばらくシャワーは冷水、ビールは常温。サムネイルの写真をご覧ください。当時、一体何が楽しかったんでしょうね…。

要はテレビに触れ合う時間も、物を捨てた暮らしをするのも、自身の健康状態に合わせて程々にするのがよろしいのだろう、と20代の8割を使ってようやく学ぶことができました。

なお、今のところテレビを家に置く予定はありません。

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