家族という概念に縛られない生き方〜トラブルから見えた依存と執着〜

娘が不登校の際に実家に預かってもらってから起きた家族との出来事です。

家族と気持ちが通じ合わず、お互いの思いが爆発したとてもつらい出来事でした。後々私にとって大事な学びとなりました。
私の中の「家族」の固定概念が変化していきました。

目に見える血の繋がりだけが大切なのではなく、目に見えない絆や大切な繋がり、魂の家族があるんだよ、と教えてもらいました。
これは私からみた私の家族のパターンなので、参考になる部分があれば幸いです。

家族のルールに外れてしまった私

娘の不登校の際、私が精神的に限界を超え、娘を実家に預けることにしましたが、そんな時に頼れる存在がいたこと、頼れる境遇にいたことに大変感謝しています。これまでもたくさん助けてもらい、支えてもらいました。家族で乗り越えてきたこともありました。

私は別居期間、崩れたメンタルを立て直すため、ヒーリング・内観・クリアリングに努めました。ヒーリングの好転反応がすさまじく、自分で自分を保つのに必死すぎて、周りを気にかけることができませんでした。落ち着くまで待ってくれるだろう、見守ってくれるだろうと期待し過信していました。
両親へのネガティブな思いが溢れ、こんなことは話せない、気持ちが沈む、死にたい、死ぬのは怖い、そんな気持ちを抑えるのに必死で、自分の状態を話すことができませんでした。
(好転反応が悪いわけではありません。変化するには必要なものです。)

両親と姉妹はそんな私にどんどん不満と怒りを溜め込んでいきました。もともと過干渉で心配性なので、この状況は相当厳しいものだったと思います。

連絡も寄こさず、娘を放ったらかしの私。
心配している様子のない無神経な夫。(ほんとはいい人なんですよ、うちと真逆の家庭環境で育ったので、うちの家族には理解できないところがとても多いのです…)
元気がなくなりYouTubeばかり見て、勉強もしなくなる孫、一体この子はどうなるんだ?
という不安と怒りと焦りを募らせていきました。

そして、とうとう私が娘にやってしまったことを両親と姉妹が私にやったんですね。(これぞDNA)私を見守ることができなくなってしまいました。

ルールに外れた私に非常に攻撃的になりました。

両親は完全に疲れてしまいました。孫を見ても不安だし、私が育児放棄したと勘違いして不安になるし、その不安に飲み込まれていきました。
そんな両親を見る姉も疲れ、一番大切な両親をこんな状態にした無責任な私を許せず、私のことなど一切共感できないし理解もできない、私を教育し直せと夫に言いました。
それでも妹はどちらの気持ちも分かると、家族の架け橋になろうと努めてくれました。

家族でも感謝すべきだろ
子どもを愛すべきだろ
連絡をよこすべきだろ
いい加減んどうにかすべきだろ

などなど、私が礼儀に欠けていたのは事実でその通りなのですが、この「~すべき」ルールを外れるともはや罪なのです。

家族の名誉のために言っておきますが笑、この出来事を起こしたのは私です。私に起こること全てに私の責任があります。

家族への執着の気付きと学び

詳しくは端折りますが(あまりに長くなるんで笑)、育った環境や背景もあり、「これはこうあるべきだ!」という思い込みが強い家族なので、ルールから外れたらダメだししちゃうんです。それでもってうちの家族は家族愛を謳ってきましたからややこしい。
けどやっぱり、その愛になんか違和感があったんです。周りに「家族愛が強いいい家族だね」、と言われる度「そうでもない」と思っていました。だから家族の中で一人、ちょっと違っていたのでしょう。

「愛されたい」「叶わないからトラブルを起こしてでも親から見てもらいたい」というわがままな赤ちゃんのように、私の欲しい愛をくれ!と、ずっと「家族」というものにしがみつき、殴られているのに必死で追いかける状態でした。(傷つくのに離れられない状態)

その出来事は、私に大きなショックを与えましたが大きな気付きをもたらしました。
自分たちのルールから外れたら怒りで支配するのは、無条件の愛ではないな。これがはっきり頭と心で分かった瞬間でした。

私は娘を無条件に愛せているのだろうか?学校に行けないありのままの娘を愛せていないのだろうか?

私はその「無条件の愛」を学ぶためにこの家族を選んだのかもしれない…と気付きました。
不登校の娘を、ありのままに受け入れ愛そう、と素直に思ったのでした。
そしてそれは、自分に対しても。

ありのままの自分を愛す、許す、受け止める。

家族という固定概念を手放す

「家族とは、助け合うべき、支え合うべき、愛し合うべき、裏切らないべき」、というような思い込みや常識、執着を手放す必要がありました。何も、助け合うべき存在は家族でなくてもいいのですから。
それまで、家族を壊してしまう気がしてそれを言い訳にやってこなかったのです。

家族の関係性を壊してはいけないというルールがあるのでしょうか?
自己犠牲をしながら耐えていかなければならないルールがあるのでしょうか?
それは真実なのでしょうか?

これを宇宙から問われ続けました。

これを聞いたら両親は失神してしまうでしょう。
姉妹からは縁を切られるかもしれません。
それほど家族の中で生きていますから。

良くも悪くもこのことがきっかけで、すぐに娘を迎えに行く決意ができ、行動を起こすことができました。こういうことがなければズルズルと長引いたかもしれません。宇宙は少々強引でしたがここまでしないと私が気付けなかったのでしょう。

家族の愛、家族のカタチはいろいろ~家族トラブルからの学び~

娘を迎えに行くまで、娘との共依存からの脱出であったり、自立をテーマに自分を見つめていたわけですが、家族トラブルにより、更に「家族への執着の手放し」つまり家族からの「自立」に繋がっていきます。かなりインナーチャイルドと揉めましたが。。。

まとめてみると興味深いです~当時は苦しくて悲しくて辛かったのに、こんな風にクールに説明している自分が誇らしいですwww

前回でも触れていますが、愛の学び方は様々です。私は両親と「無条件の愛」をこういった形で学んでいるだけです。人間なので、そこに悲しい、淋しい、憎い、といった感情が入りますが、すべて宇宙からすると「愛」なのです。

同じ愛のテーマを学ぶためにどんな時も支え合えるチームとして生まれてきたり、ばらばらな価値観の中で学んでいくちぐはぐな魂の集まりだったり…
家族関係で問題を抱える場合に大事なのは、この家族を選んだのは自分だと受け入れ認めることから始まります。中々受け入れがたいものだったりしますが、自分をクリアリングして満たしながら手放していくのが私のやり方です。

これから家族と健全な関係性を築くために

両親の愛が間違っているわけではなく、私と考え方が違うだけで、家族の中で1人だけ価値観が違い、その中で生きづらかったのは、自分のことをちゃんと分かっていなかったからでした。

親でも不完全ですので、失敗だってします。私が失敗したように、家族も失敗します。そこからどう反省して何を学ぶのか、本当によく考えさせられました。

今後はうまくバランスをとりながら心地よい距離感で付き合っていきたいと思っています。(これまでが近すぎました)
今は1年以上経ちましたが、一緒の空間にいるのはまだ疲れるし話すのもほぼできません。
娘は祖父母が大好きなので、娘の気持ちを尊重しながら私はできるだけ介入せず、好きにやらせています。

自立し、自分の状態を安定させること(幸せの状態)で健全な関係性を築く、もしくは「うまくやっていく」ようになりたいと今思っています。



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