「おれ、変わった」。人気炭火焼店オーナーに訪れた変化。“スタート”に立った今| 有限会社エピセリー 黒木伸行
「今は模索したほうがいい時期。そのなかで成果が出れば確信に変わるはず」
その経営者は戸惑っていた。これまで自身が抱いていた信念が揺らぎ、心境の変化が訪れたからだ。しかしその変化をポジティブにも捉えているようだった。冷静に自身を見ることができ、得意なこと・不得意なことを見分けられるようになった。そして、改めて周りに支えられていることに気づいた。
個人、企業を問わず事業を行う者は成功も失敗も両方味わうだろう。楽しいことも苦しいことも経験するかもしれない。誰かに助けられる人もいるだろう。
「ずっとチャレンジし続ければ、絶対に物事は前に進んでいく」
それは経営者としての性(さが)かもしれない。しかし、いろんな経験を積んだ人が口にするこの言葉ほど心を奮い立たせるものはないだろう。
食をエンターテイメントに。人気炭火焼店に人が集まるわけ
JR宮崎駅から街中へ向かってまっすぐ伸びる駅前商店街通り。アミュプラザみやざきの開業が発表された数年前より再開発や新規出店が相次ぎ、2020年の開業から3年経った現在はますます賑やかな姿を見せている。日中はカフェを訪れる若い客層が目立ち、夜になると居酒屋の暖簾をくぐるサラリーマンが目立つなど、時間によってさまざまな人が入り乱れる。
日が刻々と沈んでいくのと歩調を合わせるかのように、人が次々に吸い込まれていくお店がある。店前ではそわそわと待ち合わせをする姿も見られる。ふっと開いた扉からは食欲そそる炭火焼の香り。「いらっしゃいませ!」と活気の良い声が聞こえ、店内奥から赤い炎が見える。
ここ、「粋仙(すいせん)」は地鶏炭火焼の名店として厚い支持を受けている。2018年に現在の場所へ移転するまでJR宮崎駅の高架下で営業を続け、今年で創業23年目。宮崎産の新鮮な鶏料理、150種を超える宮崎の焼酎に地ビールがお出迎え。
とくに、備長炭三大産地の一つである宮崎県美郷町でつくられる日向備長炭の高火力で生み出される炭火焼は一度食べたら病みつきになってしまう。ここへ行けば間違いないと県外客も多く、著名人のサイン色紙が壁を埋め尽くす。
「私たちの仕事は地元の生産者がいてこそ成り立つもの。おいしい料理やお酒を出すことはもちろんですが、その裏側にあるつくり手たちの想いも一緒に届けることに価値を置いています」
そう話すのは粋仙を運営する有限会社エピセリー代表の黒木伸行さん。伸行さんは2018年に先代である父・和美さんより事業承継した。ちょうど移転のタイミングとも重なり、先代とは異なる勝負の仕方を模索していた。これまで飲食という業種にとらわれない発想、大胆なアイデアで新しい事業を立ち上げてきた。本事業以外でも、飲食に関するものから街中でのカルチャーイベントまで企画したり参加したりしている。
2020年春には同じ駅前商店街に「熟成炭火焼S」をオープン。Sは日向備長炭を使った炭火焼という“魂”の部分は変えずに「串焼き」に特化させている。カウンター6席、テーブル4席の小空間の店舗。「熟成」という時間の生み出す味わいをコンセプトに鶏料理のほか、県内でも珍しいウイスキーやラム酒を提供している。盛り付けの器、空間を彩る内装、ジャズを基調としたBGMなど、食事の時間をエンターテイメントとして総体的に楽しむ演出にこだわっている。
「食をいろんな角度からお楽しみいただくことで、料理の背景にある食材のこと、関わる人々の想いなどをお客様にお伝えしていくことも私たちのできる大切なことだと感じています」
粋仙やSでは他店舗や生産者とのコラボレーション企画を定期的に行い、食べるだけではない地元の食材の魅力向上や、食をめぐる現状や課題の周知、啓発に取り組んでいる。
決めたら、やる
ユニークな発想で事業を展開していく伸行さんだが、そのアイデアはこれまでの人生経験が源泉となっている。とくに遊びから仕事まで若いときに蓄えた経験や人脈は今でも財産だ。
伸行さんが10代のころは90年代若者文化が花開いていた時代だ。大都市だけでなく宮崎の街中も例外なく活気のあったころ。街中の各ショップへ通い詰め、スタッフと仲良くなること、あらゆるカルチャーの知識を蓄えることは若者たちにとってある意味ステータスとなっていた。店舗を持ち、新鮮な情報を発信する大人たちは憧れの対象となっていた。
伸行さんもそんな若者の一人だった。当時は洋服や音楽が好きなことからアパレルショップで働いていた。その後、埼玉県へ転居しアパレルの会社へ入社。洋服の買い付けや販売管理を行なっていた。
ただ、生活は厳しく不安を抱える日々だった。そのタイミングで粋仙を開業していた父の誘いもあり24歳で帰郷。宮崎へ帰ってきてからはとくに将来の展望もなく、粋仙で働くことも「食い扶持にはなるから、ここをやりながら好きな音楽をやれたらいい」ほどの捉え方だったという。
当初は飲食店にまったく興味がなかったというが、生活の基盤を支えているのは何かと振り返ったとき、それは粋仙だった。もともと「決めたら、やる」傾向のあった伸行さんは本腰を入れて粋仙に専念することを決意。
「腹を括ってからだいぶ見えるものが変わりましたね」
調理師免許を取り、料理の勉強にも励んだ。父親直伝の炭火焼の技術も身につけた。いつの間にか飲食業が楽しくなっていた。
「自分で決めて飛び込んでいくのは大事。体験してみないと気づかないことってありますよね。それをとくに若い人たちにも伝えていきたいです。チャンスの数は若いときほど多いものですから」
そう話す伸行さんは自分よりも若い人たちと交流するのが好きだ。それは、10代20代の自分が憧れた大人たちと遊んでいたときの姿と重なっている。自分が受け取ったものを次の世代へ返していくように。
チャレンジし続ければ、絶対に物事は前に進んでいく
2020年にはじまったコロナ禍は外食産業に大打撃を与えた。感染への不安、外出自粛、繰り返される緊急事態宣言やまん延防止措置。生き残りをかけ業態を変えた店舗、惜しまれながら閉じた店舗もあった。
伸行さん率いる有限会社エピセリーも例外ではなかったが、コロナ禍にありつつも熟成炭火焼Sの開業や昼間のカレー事業の展開、またデザイン事業の立ち上げや物販の開始など、新たな一手として異分野へ挑戦を続けていた。
ただ、2022年は伸行さん、会社の双方にとっても転機となる年であった。コロナ禍や物価高騰のダメージは蓄積され続け会社の経営を圧迫。経営者判断として手放さざるを得ない事業もあった。出発点に立ち返り、軸である飲食業に照準を絞り、立て直しをはじめた。
信用を失ったかもしれない…。そう不安に思っていたが、一人、また一人と一緒にやろうと言ってくれる人たちが現れた。絶対に恩返しをしなければと思った。
「昨年は身の程を知ったというか、経営感覚の甘さに気づいた1年でした。切羽詰まって生きていませんでしたね。型に囚われないアイデアを出せて、それを実行に移せることが強みだと思っていましたが、安易にやると安易な結果しか生まれないことを身をもって知りましたね。
それでいったんダメになって自信をなくして、人も離れていって。そんな状態でも助けてくれる人たちがいて感謝しきれません。励みになると同時にプレッシャーでもありますね、返さなきゃって」
思いついたら突き進んでいくタイプだったが、昨年以降、立ち止まることが多くなった。今も珍しく迷うことが増えたという。
「迷うとか今まではなかった、変わりましたね。これまでも人のためにある会社でいたいと考えていましたが、方向性が変わりながらその想いもより強くなってきたというか。もちろん利益を上げて従業員に還元していくことは必要だけど、それ以前に価値ある事業をやっていきたい。それは何なのかと。会社を大きくすることが第一ではないなと」
自らの失敗を経て、かえって飲食業そのものには自信が湧いたという。自分たちは常においしいものを生み出し続けている。そこにブレはない。またコロナ禍のようなことが起きたら次こそ会社が立ち行かなくなるかもしれない。余力のある今、粋仙やSの運営に注力し、エピセリーの企業文化を形づくりたいと話す。
「この1年は勝負ですね。やっぱりチャレンジ精神がある性分なので学びを活かしながら攻めていきたいです。ずっとチャレンジし続ければ、絶対に物事は前に進んでいく。本気で物事に取り組めば失敗で終わることはないと思っています」
(取材・撮影・執筆|半田孝輔)
(写真提供|有限会社エピセリー)
(撮影協力:熟成炭火焼S)
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