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閣下とcaca 愛国者学園物語 第223話

強矢悠里の文章には

「閣下」という言葉

が頻出(ひんしゅつ)する。それは、愛国者学園で教えられたとおり、大臣経験者や大使経験者などについて書く、あるいは話をするときは、@@大使閣下のように「閣下」の称号を付けよと、命令されていたことが理由にある。また強矢のような「接遇員」には、そういう敬語が必要だと、教師たちが念を押したこともあった。だから、強矢をはじめとする学園の子供たちは低学年でも「閣下」という言葉に違和感を持たなかった。


  そして、それが意外な機会に火を吹いたのだ。一連の対フランス暴動において、愛国者学園を中心とする日本人至上主義者たちはフランスを非難する動画を公開することに決め、それを制作した。そして、強矢が文章を朗読することになり、数分の動画のために、ほぼ1日かけて撮影し、編集したのであった。それは、フランス語訳の字幕も表示するという手の込んだものだった。

 動画は大急ぎで作られ、各種の動画サイトなどで公開されて、日本人至上主義者のみならず、日頃は政治や国際情勢に関心がない人々からも称賛された。それは、多くの日本人が、子供である強矢が堂々とフランスを非難したことに感動したからであった。


  だが、それを見たフランス人たち、また世界各地にいるフランス語話者たちは、違和感を隠せなかった。ある者たちは爆笑して、強矢とその仲間を馬鹿にした。また、ある者たちは、日本での対フランス暴動の報復と称して、強矢たちの言動を激しく非難するコメントをインターネット社会にばら撒いた(まいた)。そういう行動をしたのは、フランスの白人至上主義者ではなく、ごく

普通の人々

であった。


 彼らは強矢の動画に繰り返し登場する「閣下」という言葉に注目した。強矢は日本の偉い人々イコール閣下たちが、フランスを非難しているという文体で、その閣下を何度も使ったのだ。


 だが、フランス語の話者たちには、それが「うんこ」を意味する

「caca」

として、その心に届いたのだ。

日本人至上主義者の子供が、偉人や将軍の名前に、うんこ、という言葉を付け加えて話している。しかも、その子はそういう「言い方」が、礼儀正しいと思い込んでいるらしい。

だから、彼女のスピーチは、うんこ将軍、うんこ議員、うんこ総理大臣のオンパレードだ。強矢が読む文には「閣下」がたくさん使われているのだから、フランス人からそう思われても仕方がなかった。


 驚くべきことに、強矢の朗読動画が公開されてから数日も経たないうちに、そのパロディー動画が世界に広まった。それは、日本には閣下と呼ぶに相応しい(ふさわしい)人々が多数いて、彼らがフランスを非難しているという文を朗読して「閣下」を繰り返す強矢の周囲に、うんこの絵が次々降ってくるというもので、しまいには、彼女がその山に埋もれてしまうというものだった。あるいは、強矢の頭の上にうんこが乗っかっているカリカルチャーの絵も登場し、フランスの有名な風刺新聞シャルリ・エブドはその絵を紙面に載せたのだった。その題名は「彼女はカッカにとりつかれている」だった。偉い人に敬意を払ってそういう言葉を使う彼女を風刺したわけだ。


強矢はそれをネットニュースで知り、ショックを受けたという。普段は傲慢な(ごうまんな)子供である彼女がショックを受けたのだから、その驚きは相当なものだったと言えるだろう。そして激怒し、どうして教えてくれなかったのかと、周囲の人間に当たり散らした、と伝えられている。


評論家の田端彩子

は、この「カッカ事件」を注意深く観察し、やがて、日本の左派系新聞にコラムとしてまとめた。それは、強矢悠里を重用(ちょうよう)し、甘やかす人間たちへの批判であり、強矢のような人間の問題点について記述したものだった。以下は田端の文章を、許可を得て転載したものだ。

(中略)
 彼女は幼稚であった。それは彼女が小学生だからではなく、社会に向かって自分の意見を述べると、反論されたり、否定されることがあることを、良く知らないらしいからだ。愛国者学園という日本人至上主義者の塊の中で生きていれば、自分と同じような人間に取り囲まれるだけ。そして、同じ思考パターン、行動パターンを繰り返すから、自分たちとは「異なる」思考パターン、行動パターンを持つ人間たちと意見を交換することはない。

 もし誰かが学園を非難しても、学園を支える有名人たちが反撃してくれる。それに学園の教師たちは、学園を非難する人間は悪い人間だと、強矢たちに教える。その繰り返しだった。世界には、自分たちと異なる人間がいるということすら、学園生は学ばないのだ。彼らは日本人至上主義者として、愛国的で勇ましい意見を繰り返すだけである。世の中には自分たちと異なる考えを持つ人間たちがいて、自分たちは彼らと仲良くしなければいけないのに、

愛国者学園では、学園に異議を唱える人間を反日勢力と称して、敵扱いするのだ。


(中略)
強矢とその周りにいる日本人至上主義者たちは、日本のことしか頭にない。だから、自分たちの言動が別の社会でどう受け取られているのか想像することもないらしい。日本人至上主義や白人至上主義のような、特定人種や集団の至上主義は、

「他の文化や人間」について考えないのだから

。私たちの社会は、特定人種や集団だけで成り立っているわけではない。社会は多様な人々や文化によって構成されており、どれが良くて、どれが悪いという価値観は本来存在しないはずだ。だが、日本人至上主義は、社会のそのような実情を無視し、日本人と日本文化を自画自賛してやまない。そして、その背後には、自分たちと異なる人間や文化への強い憎しみと傲慢さ(ごうまんさ)があるのだ。

(中略)

ある言語では「まともな」意味の言葉が、別の言語世界では「汚い」言葉になりうる。

日本語の「閣下」の発音が、フランス語では「caca」という単語の発音と同じように扱われる。愛国者学園の子供たち、あるいは、この「カッカ事件」の主人公である強矢悠里は、この事実に驚くだろうが、このような「意味・解釈の違い」は、多様な人間社会では当たり前のように、毎日のように起こるのだ。

強矢と愛国者学園の子供たちは、このような「異文化交流」をすべきだ。日

本人至上主義者の自画自賛に満足していると、人間社会の多様さや良い意味でも悪い意味でも、様々な驚きを体験することもなく、極端な日本人至上主義に染まってしまう。

そして、その結果として、

彼ら愛国者学園の子供たちは、社会の多様性を理解出来ず、自分と異なる意見の持ち主を攻撃的な態度で排除するような人間に育つことだろう。


 田端はこのように書き、愛国者学園の教育を批判した。このコラムは大きな反響を呼び、ホライズンにも転載・翻訳されて、世界中で読まれた。結果として、これをまとめた田端は世界から称賛され、愛国者学園の教育は厳しく非難された。その反面、これは日本人至上主義者たちの怒りを買い、彼らが田端を恨んでいることが伝えられた。

続く
これは小説です。

次回第224話「愛国疲れ5」 
愛国者学園意は有名な生徒がいますが、なぜ彼らは有名になったのでしょうか。強矢悠里に負けない有名人がどんな人間なのか、その意外な理由は?
次回もどうぞお楽しみに!

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。