「フォロワーといいね!が欲しいか」
わたしは、ブログ記事であったとしても、すべての「作品」は出来上がり、不特定多数の第三者へ提供された時から、わたしの「作品に対する目論み」は消え、読者の手によって、新たに「意味生成」が行われる。
わたしには、第三者がどう「作品」を読んだのは知るすべはない。
だから、「フォロワー」や「いいね!」が欲しいとは思わない。なぜなら、「提起された作品」とわたしは、「無関係」であるからだ。
逆に、「作品」がまだ、第三者へ「提起」されていないとき、作者の目論見通りに「機能している時」、「フォロワー」や「いいね!」は欲しいと思う。
そもそも、「書くという行為」が何のためにということはないはずだ。
だ。誰のために書いているとかさえない。
「書くという行為」は、継続されることに「意義」がある。