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デザイン経営を学び、地方創生を目指したい——JBAのクリエイティブディレクターが目指す、利他主義を突き詰めた先にある未来とは?


「 “圧巻の人財“ を育てあげ、なくてはならない存在であり続ける」

これがJBAのモットーです。JBAでは、“圧巻の人財” を目指し、年齢も専攻もさまざまなインターン生たちが日々奮闘しています。インタビューを通じて、仕事や目標だけでなく、その裏にある想いまで率直にお話しし、 “圧巻の人財“ を紐解きます。

今回インタビューするのは、JBAでデザイン経営の能力を身に着け、地元福島を含めた地方創生を目指しているという、クリエイティブディレクターの鈴木さんです。(ライター:九州大学3年 古本)

鈴木勇輝 / 2023年入社
クリエイティブディレクター
大手物流企業の社内コミュニケーション施策を手掛けたり、クリエイティブチームの採用を担当している。「デザインはユーザーの課題解決、上質な体験を生み出すためのツールである」という考えの元、インターン生として入社早々に組織デザインなど、概念的なデザイン領域を担当し、現在はクリエイティブディレクターとして活躍している。JBAクリエイティブの主要メンバーになっている。

1.私は総合力で戦う——一番になることができない葛藤、クリエイティブディレクターへの軌跡


——鈴木さんの青春時代について教えてください。

 
青春時代は陸上漬けでしたね。中学生の頃から陸上競技部に所属していました。初めのころは100m走をやっていたのですが、女子にも負けてしまっているような部内最弱の選手でした(笑)。幅跳び、高跳びなどいろいろな競技を転々として、最終的に四種競技の選手に落ち着きました。高校生になってからは同じ混成競技というカテゴリーの、八種競技という種目をやっていました。
 
——八種競技ですか、珍しいですね!どうして種目の転向をしたのですか?

きっかけは、監督の一言です。かなり強烈だったので未だに覚えているのですが、「お前は一番にはなれないから全部やれ」と言われたんです。100mや400mの短距離中距離のタイムも遅かったですし、かと言って1,500mくらいの長距離のタイムが早いわけでもなかった。だから、監督が全部やれと言ってきたわけです。

私は一番になれないことが凄く悔しかったのですが、総合種目に切り替えると、段々と結果が出てくるようになったんです。中学2年生の頃には地区大会で入賞できるようになってきて、中学3年生の最後の大会では、福島県の記録を塗り替えて種目一位に。最終的には高校2年生で福島県高校生新記録を塗り替えて、インターハイに出場しました。ある競技に特化して一番になれなくても、総合力で勝負すれば自分も戦えるんだということに気づいた瞬間でした。

陸上部時代の鈴木さん


——そんな鈴木さんがデザインを学ぼうと決めたきっかけは何だったのですか?
 
私がデザインに出会ったきっかけは、大学のオープンキャンパスです。高校生の頃は陸上競技に没頭しつつ、父親が経営する自動車整備の会社を継ぐつもりだったので、工業高校の機械科に在籍していました。ただ、父は私が会社を継ぐことに猛反対していて、「今の時代で大学に行かないのは、将来を考えると勿体ない」と言ってきたんです。
 
私は父の気持ちに応えて大学へ行こうとオープンキャンパスへ向かいました。当時は車について学べたらいいくらいの軽い気持ちで工学部の工学科を見に行ったのですが、そこで建築の模型を見たことがデザインに興味を持つきっかけになったんです。
人が作ったとは思えないほど、小さくて緻密な建築模型を見たときに、「0→1」でなにかを生み出す仕事って、かっこいいなと思ったんです。もともと目指していた車の整備の仕事はどちらかというと1を10にする仕事。それよりも、「0→1」で価値を生み出す方がワクワクするし、楽しそうだなと。だからこそ、世の中に価値を生み出す人になりたいと思って、そこでデザインに目覚めました。

そこから猛勉強し、私の大好きなカーデザインと、人生を変えるきっかけになった建築を同時に学べる千葉工業大学に合格。進学を決めました。
 
――なるほど、鈴木さんの大学時代についてもお聞かせください。

大学一年次から三年次にかけては、カーデザインと建築という二つの分野を中心に学んでいました。興味のある分野だったため、毎日の勉強や制作が本当に楽しかったですね。七か月間毎日カーデザインをしていたこともありました。



3年間学ぶ中でカーデザインを生涯の仕事にしたいという気持ちが固まり、このままカーデザインを極めるぞと思っていた矢先に、就職活動に失敗。そして、カーデザインのコースに落第してしまうという2度の大きな挫折を経験しました。自分の夢が絶たれ、目の前が真っ暗になったような気分でした。
 
――そんなことがあったんですね。

はい。そのときは本当に、食欲も睡眠欲もなくなるほど落ち込んでいました。

行く先がわからなくなって、尊敬していた教授に相談しに行ったところ、「君がやりたいことは、本当にカーデザインなのか」と言われたんです。デザインは「誰かの課題を解決する、人に上質な体験を与える」ためにあるものだから、鈴木さんが目指しているのはカーデザイン以外にもきっとあると思う。焦らず、もっと広くデザインを学んだらいいと背中を押して頂きました。

カーデザインという一つの専門を極めることはできなかったのですが、その経験をきっかけに自分のやりたいことを考え直しました。考えていくうちに、自分のやりたいことの本質は、「デザインで人の体験をよくしたり、課題を解決する」ことだと気づいたんです。そこから、人の体験を生み出すUXデザインなど、より抽象的で広義のデザインに足を踏み入れることになりました。
 
——八種競技を始めたときと、背景が似ていますね。
 
そうなんです。この2つの経験の中で、専門分野で一番になれなくても、いろんなことをやって総合力で勝負する、という選択肢を知ることができました。専門分野で一番になれなかったことはショックでしたが、これらの経験が結果的に今の私の根幹を作り上げてくれたと思います。 
 
——JBAにはどのような経緯で入社したのですか?

JBAに出会った当時、私は大学院の一年生で、モンゴルへの短期留学から帰ってきたばかりでした。モンゴルで一番頭のいい高校生たちが集う学校で一か月間日本語教師になるというプログラムだったのですが、そこで出会った高校生たちが衝撃的で、全員が夢を持って本気で生きていたんです。
モンゴル初の女性大統領になるために三か国語をマスターし、政治について勉強している子や、EVが少ないモンゴルに、EVを導入するための工場をつくろうと物理学を勉強している子など、「本当にこの子たちは自分より4つも下なのだろうか」と衝撃を受けました。自分の人生に対する覚悟みたいなものが、全く違ったんです。

悶々と将来に不安を抱く自分と対極的な人生を歩む高校生たちを見て「このまま生ぬるい環境にいては未来はない。何か行動を起こそう」と考えました。そんなときにJBAをみつけたんです。「大手500社をデザインで支援する」というメッセージを見て、「ここでプロとしてプロジェクトに従事して、日本社会に貢献できるようなデザインの仕事をしよう」と決めて飛び込んできました。 

モンゴルに留学に行ったときの一コマ


2.一流基準のデザインが備わった瞬間——自分がつくりたいものを作ること≠トップクライアントに対するデザイン


——JBAでデザイナーとして働いてみて、どのような変化がありましたか?

JBAに入ってからは、デザインに対するパラダイムシフトの連続でした。

デザイナーになる学科に通っている学生は、基本的に企業と合同で実際の案件を通じてデザインをさせてもらえる機会がたくさんあるのですが、JBAの長期インターンに入ってから手掛けたデザイナーとしての案件はこれらとは全く異なりました。

まず、前提としてJBAが相手にしているクライアントは、誰もが名前を知っているようなトップ企業ばかりです。私たちはインターン生のうちから、これら一流企業を相手にした案件を任せて貰うことができます。
私も実際に案件を何度か任せてもらっていますが、大手物流企業の社内コミュニケーション支援の案件を担当させていただいたときに、大きな挫折がありました。

——どのような挫折だったんですか?

自分がベストをつくして提案した内容があっさり却下されたんです。個人的に「もうこれ以上のものはつくれない」というほどこだわり抜いた、完璧なサイトデザインでした。しかし、結果は呆気なく却下。社員の方から厳しいフィードバックを頂きました。

「デザインをやりたい気持ちは凄く良く分かるけど、お客さま目線で、自分が良いと思うものをデザインすることと、お客さまが求めているデザインとは全く違うからね」と言われてしまいました。

「自分の価値観で『良い』と思うものなんて、トップクライアントからしたら、言い方は良くないかもだけど、無価値だから」

——凄く厳しい、でも現実的なフィードバックですね。

このとき、何も言い返せなかった自分が凄く悔しかったんです。自分なりにも大学時代からデザインは好きで学んでいましたし、JBAに入って来てからもトップデザイナーになってやろうと意気込んで、かなり広く深くデザインについて勉強していたつもりでした。しかし、それでも「全然甘いよ」と言われてしまったんです。

「見るなら、一流のものを見よう。勉強をするんじゃなくて、一流基準を導入しよう」と言われました。そこから、徹底的にトップクリエイターが作った作品や、一流企業が表現するクリエイティブを全て文字通り片っ端から吸収していきました。

——一流基準のものに触れていく中で、どのようなことを感じましたか?

自分がデザイナーとして実力不足であるという認識からスタートしましたが、一流基準のデザインを見ていく中で、不思議と劣等感はあまり感じなくなっていきました。逆に、「これで自分もデザインの良し悪しが判断がつくようになってきた」という実感が湧き、逆にトップクライアントに大学院生の年代で対等に仕事ができるようになっていくことへの興奮が止まりませんでした。

——だから、鈴木さんは毎日インターンでオフィスに来られているんですね。

それが、実は私は大学院を既に辞めているんです。もともと辞めるつもりは無かったのですが、JBAのデザイナーとしてトップクライアントと仕事ができるようになっていって仕事に没頭していくうちに、大学院の研究は一体何に役立つのか。疑問に思うようになったんです。大学院で研究していた内容も組織や人間関係資本のデザインだったこともあり、研究で発表するのではなく、本気で実ビジネスに活かしたいという気持ちが強くなりました。気が付いたらJBAに専念していましたね。

——えっ!?そうだったんですか!でもそれほどJBAの職場環境は、鈴木さんにとって魅力的なものだったということですかね。

私にとって魅力的というよりも、全てのデザイナーや意欲的な学生にとってJBA以上に魅力的な環境なんてないと思っています。あんまり広めると自分の案件が無くなってしまいそうで声を大にして言えないですが、JBAはトップクライアントの案件に、学生にもかかわらず上流設計から携わらせてくれる稀有な職場です。全てのデザイン学科に通う学生に、JBAはおすすめです。本気でデザインを極めたいという意思のある人にとっては、ですが。

クリエイティブディレクターとして活躍する鈴木さん

——鈴木さんは現在、表層のデザインの仕事ではなく、クリエイティブディレクターとしての仕事に専念していると聞いたのですが、これはなぜですか?

一言で説明するなら、「自分が作るだけじゃダメだ!」となったからです。

JBAにはグラフィック、Web、プログラミング、さまざまな領域において、一流のデザイナーたちが揃っています。JBAで働いていると、彼らの過去の制作物や、新しく入ってきた人たちのポートフォリオをたくさん見ることになり「この人達には叶わない」と痛感させられることが多かったです。自分の実力が足りないことに悶々としていた時もありましたが、ある日ハッと気づいたんです。

それまでデザインは自分という枠の中にある能力で最適解を出すことだと思っていました。けれど、その思考を変えて、周りの人間が持っている能力も自分の能力として活かすべきだと気づいたのです。お客様にとって大切なのは成果物がいいものかどうか。それを一人で作ったのか、複数人で力を合わせて作ったのかはお客様にとってはどうでもいいこと。そう気づいてからは考え方が変わりました。だから、私は彼らを統括して、一流のプロダクトをつくれるようになろうと決めたんです。

——総合的に戦う、鈴木さんのスタイルが活きますね。

その通りです。私はクリエイティブディレクターとして全体を見渡せる仕事に就くことで、トップクライアントの案件を回せるほどの仕事をすることが出来るようになってきました。

今は、トップクライアントに大学院生の年代で対等に仕事ができるようになっていくことへの興奮が止まりません。最近は休日でオフィスに行けないと落ち着かなくなるほど、JBAでの仕事に没頭しています。

デザインの魅力を語る鈴木さん


3.デザインで地方創生を達成する——JBAで経営を学び、実現すると誓った未来


——鈴木さんは現在JBAの仕事にのめり込まれていると思うのですが、現在目指しているもの、もしくは実現したい未来はありますか?

あります。明確に一つあって、私はJBAでの仕事を通して「経営」の能力を手に入れ、いずれはデザインの力で地方創生を実現したいと考えています。考えているというより、地方創生を「誓った」出来事があるんです。

——それは何だったんですか?

私が大学三年生の頃の話になるのですが、長らく帰省していなかった地元の福島に帰ったとき、中学卒業以来ずっと会っていなかった親友たちに会ったんです。幼稚園の頃から気を許せる仲間みたいな存在で、みんな高校進学からバラバラの進路に進んだのですが、自分にとって凄く大切な存在でした。

大学に入ってデザインにのめり込み、長らく帰省していなかった地元へ帰る、ずっと会っていなかった親友たちに会えることを楽しみにしていたことをよく覚えています。

——親友たちには、会えたんですか?

はい、会えました。久しぶりの地元で、かつての街並みを歩いて、旧知の仲で飲み歩いて凄く楽しい時間を過ごしました。そこでお互い会えていなかった間に起こっていたことを話して、凄く幸せだったんです。「なに、お前デザイナーやってるの?!」みたいな話って楽しいじゃないですか。「お前陸上ゴリゴリのやつだったのに、デザイナーってすげえな!」みたいな。

——確かに、偏見かもしれないですが、体育会系の人は営業職に行くみたいな風潮はありますよね、、笑

でしょう?(笑)その流れで、そのグループのなかで一番頭が良かった二人に「いま何してるの?」と聞いてみたんです。中学生の頃、「なんでこいつらこんなに勉強できるんだろう?」と思って密かに羨ましく思っていた二人でした。

彼らは凄く優秀で頭脳明晰だったので、「大学で研究している」とか、「地元の会社で2年でマネージャーに昇格した」とかいうんだろうなと思っていました。ただ、想定と反して彼らは「俺ら工場で働いてるんだよね」と言い出したんです。どちらも旋盤を回したり、機械の流れをコントロールするためのボタンを押し続けたりする仕事とのことでした。

「それ、どういう仕事なの?」と聞いたら、「俺も良く分かんない(笑)」といって笑っていました。職業に貴賤はないのは大前提なのですが、彼らふたりを良く知っている私からすると、少し納得がいかなかったんです。

二人とも、高校卒業以来、地元の福島から出れなかったということでした。彼らがどう思っていたのかは分かりませんが、私は悔しかったんです。

二人とも心から尊敬できる優秀な友だちで、「俺なんかが大学行くより、こいつらが大学へ行って研究した方がよっぽど良かったのに」と本気で思いました。地元福島の田舎には、彼らの頭脳を存分に活かせるような環境はあまり揃っていなかったんです。

彼らは生活に特に大きな不満は持っていなかったみたいですが、私は彼らに自身の能力を存分に活かしてほしかったんです。中学生の頃、凄く彼らの頭脳が羨ましかったから。

私はこのとき、「地方創生をしよう」と固く誓ったんです。彼らが能力を活かせるような環境は、僕がつくろうと。

いつか必ず、地方創生を実現する

——友との絆が地方創生を志すきっかけになったのですね。しかし、なぜ地方創生を目指すためのルーツが、デザイン経営なのでしょうか?

私は基本的に、人に価値貢献できる、より良い事業をつくることが出来るのはデザイナーだと思っています。そして、経営者は全員究極のデザイナーだなと思うんです。厳密に言えば、デザイナー特有の徹底的な相手視点に立って、クライアントの体験をつくることができる人です。デザインの神髄は「相手の課題を解決すること、上質な体験を相手に提供すること」なので、デザイナーは極めていくと経営者になると思っています。

——非常にユニークな考えですね!

でしょう。でも、意外と突飛なことは言っていないんですよ。私はJBAの職場環境は本当に魅力的だと思っていて、トップクライアントの案件に携わって各業界、企業について深く知れるというのも勿論大きな魅力だと思っているのですが、本当に貴重なのは「コンサルタントやライターと働けること」だと思っています。

単なるデザイン会社では案件の上流から、トップクライアントを相手にするような優秀な頭脳を持つ人材と一緒に仕事なんて一生できませんから。

私は彼らからデザイナーが本来持ちえないような「論理的思考力、ロジック」であったり、「言語化能力、人の心の琴線にふれる言葉の使い方」を吸収していくことで、あらゆる領域を統括できる経営者になることが出来ると思っています。

私は、人の体験をつくりだすデザインをJBAで極め、いずれ地元福島の親友たちまで届くような、良いウェーブを社会に作っていきたいと考えています。ただ、口でいうのは凄く簡単で、地方創生を本気で実現することは至難の業だと思っています。

今の自分では力不足なので、これからデザインを極めていくだけではなく、ライティング、コンサル、経営的な視点など、たくさんのものを吸収していかなければならないと思っています。


4.自我を超越した利他の人間こそが、圧巻の人財である


——鈴木さんにとっての、圧巻の人財とはどのような人ですか?

私にとっての「圧巻の人財」は、少し堅苦しい言い方ですが、「自我の超越をした利他の人間」だと思っています。私はデザインでの経営を習得し、地方創生を目指しているので、最終的なゴールが他者貢献になっています。

ですので、自分が手掛ける事業が本質的に人に良い価値を提供できないのであれば、やらないと固く決めています。まだ経営者としての能力を養えていない段階にいることは否めませんが、近い将来、自分の事業を手掛けるにあたって、利益のためだけに事業をつくることをせず、徹底的な利他主義な経営をしていきたいと考えています。

綺麗事だといわれてしまうこともあるのですが、折れずに「僕は、利他主義で生きていく」という姿勢を貫いていこうと考えています。デザイナーの極地である経営者、それは利他主義で相手のために動ける人だと私は確信しています。

自我を超越した利他の人間——圧巻の人財を目指して、私は今日も仕事に励んでいます。


Interviewer: Komoto(Consulting Writer)


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