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ウェストサイドストーリー変更点まとめ

Twitterで「何も足さない、何も引かない」という感想を見かけましたが、いやいやいやいや、結構変わってましたで?と思ったので変更点を中心に感想を書いておきます。

件のTwitterの人はサントリーウイスキーの有名なキャッチコピーを言いたかっただけなのか、違いが分かるほどの見る目がない人なのか、それとも観てないくせに感想を書いたエアプ勢なのかよく分かりません。しかし2作を「同じ」だと結論づけるのは暴論だと思います。

当然ですが #ネタバレ になりますのでご注意ください。

追加された要素=○
削除された要素=●

●序曲

1961年版の特徴といえば冒頭の暗闇での口笛と、謎の模様が描かれた舞台カーテンのような蓋絵が何度か色を変えながらいくつかの楽章に別れた主題曲が数分間鳴り響いて、その組曲の終わりとともに謎の模様の正体が実はニューヨークにゆかりがある壮麗なものだと判明する大迫力のオープニングです。(一度映画を観た後に再度観ると思い出補正が入ってとんでもなく良いものに見えます)

https://youtu.be/VG-VPZ1AyOc

2021年版はいきなり20世紀フォックスのマーチが始まったので「おや?」と思ったのですが、すぐに画面が真っ暗になってあの口笛が聴こえてきたので「キターーー!」と大興奮したのですが、そのまますぐに本編が始まったので序曲はバッサリ削除されました。「まあ今の時代ではそうなるよねー」と思いつつ、であれば上映時間がほとんど変わらないので何か足された要素があるはずです。

1961年版:2時間32分
2021年版:2時間36分

○都市の再開発の説明

1961年版では特に説明がなかった部分ですが、2021年版では最初にマンハッタン島の再開発のことが説明されました。これによりプエルトリコ人もアメリカ人も貧困層はまもなく街を追い出される運命にあることが示されます。

1950年代から60年代にかけてリンカーン・スクエア辺りは再開発されてリンカーン・センターになりました。つまり東京の六本木エリアみたいな感覚ですね。古い街並みがどんどん地上げされて、まとまった広さが確保できたら大規模な商業施設や文化施設が作られてヒルズと呼ばれるようになり、それまで安アパートに賃貸で住んでいた人々は移住を余儀なくされるのです。

https://www.lincolnsquarebid.org/catalog/frontend/item/product/1312/category/guide

これはニューヨークの歴史について不勉強だった私には新たな学びになりました。61年版ではこの時代背景は理解できていませんでした。まさかシャークスだけではなくてジェッツも居場所がなくなる運命だったとは。もちろん古き良き50年代のアメリカが今は失われていることは知っていましたが、それがまさに起きている瞬間の物語がこの映画の時代だったとは、目から鱗でした。

○洗練された映像美

これはもうスピルバーグと、『シンドラーのリスト』以降に彼の撮影監督を務めているヤヌス・カミンスキーのタッグが超絶技巧で作り出す極上の代物ですよ。大規模なセットと、CGの合わせ技だと思いますが、通りのずっと向こうまで開けた視界で、見事に在りし日のウェストサイド・マンハッタンを画面に蘇らせていたのではないでしょうか。

この屋外ショットでの画面の広がりと、屋内ショットでの繊細なフォーカスと、主に夜間のシーンでの照明の美しさは、21世紀の撮影技術だからこそ実現できたものですね。

●溢れ出る人間のエネルギー

こちらは失われた物になります。

これは映像美の獲得の代償になるのですが、映像が美し過ぎるだけに、人間のエネルギーやパワーみたいなものは(相対的に)感じられにくくなりました。61年版のダンスパーティのシーンなどは舞台のような見せ方で演者のダンスだけで観客の心を持っていくパワフルさが魅力だったし、何なら私はそこで一番感動したくらいなのですが、本作では美しい映像や演者にウットリすることはあっても、魂を掴まれたような感動は味わえなかったですね。

このためリニューアル版は、美しさや完成度などの品質面では61年版を遥かに凌ぐ大傑作になったのは間違いないですが、作品の持つパワーとかアートな面では私は61年版の方が「好き」ですね。

ただし2021版もパワフルであることには違いないです。あくまで61年版が撮影機材ではなく人間のパワーに依存していたと考えた方が良い気がします。

言い方を変えるなら、61年版の方が「舞台」を観ているような感覚を味わえますね。広い画角に多くのものが提示されて、そこから観客がどこを注視するのか選択する感じです。この場合は舞台上で「いま見るべき部分」を役者がパワフルに表現して観客の注目を惹くスタイルになりますから、人間のパワーが目立つようになるのは当然といえば当然でしょう。

https://www.imdb.com/video/vi1469563673/

○ドクがプエルトリコ人女性になる

これは最大の付け足しポイントだと思います。

しかも演じているのは正真正銘のプエルトリコ出身女優であり、61年版でヒロインの兄の婚約者アニタを演じたリタ・モレノ。彼女は本作で制作総指揮も兼ねているそうです。これは胸熱すぎるバックストーリーですね。

ちなみにモレノは61年版のアニタ役でアカデミー助演女優賞とゴールデングローブ助演女優賞を受賞しています。愛する男を別人種に殺されながらも義理妹の別人種への愛を認める、この映画のハートとも言うべき役柄であり、本物のプエルトリコ人である彼女が受賞していたという点でも素晴らしいと思います。

本作のアニタ役のアリアナ・デボーズもゴールデングローブ助演女優賞を受賞しており、このままアカデミー賞も受賞したら途方もない偉業の達成になりますね。

プエルトリコの女性とヨーロッパ系の男性が結婚して営んだドラッグストア、男性は先に他界して、残された女性はヨーロッパ系の若者の面倒を見てやる。この夫婦は異なる民族をつなぐ存在として大きな意味を持っています。

しかし、そんなドラッグストアもすぐ隣までリンカーンセンターの再開発は進んでおり、やがて壊されてなくなる運命にあります。みなまで言いませんが、この時代のこの店舗は現在はもう消えて無くなってしまった物なのです。事情を知る人だけが見れば分かる「語らない」演出。ここにスピルバーグの実力が遺憾なく発揮されていますね。

○ヒロインを演じるに相応しい女優

南米系の女優であるレイチェル・ゼグラーを起用した意味は大きいと思います。1961年ではガッツリ白人のナタリー・ウッドが演じていて、流石にそれは違うやろというか、ハリウッド映画ビジネスの限界が垣間見えて気持ちが覚めてしまう側面がありましたから。

日本人である私にはプエルトリコ人に見えたレイチェル・ゼグラーですが、彼女は母親がコロンビア系で父親がポーランド系なのだそうです。

…え、ポーランドとのハーフだったんですか?

なんかそう知ってしまうとちょっと微妙ではありますね。結局ヨーロッパ系とのハーフなのかよと。まあ私はこれ以上批判するようなことはしませんが、米国で面倒臭い人達に噛みつかれてないか少し心配になります。

またハーフにすることで白人にも好かれやすい顔になる効果を狙っているとも見えて、米国社会の人種差別の壁は透明になっているだけでまだまだ存在しているのかなと思いました。

○チノのキャラ設定

61年版で影が薄かったチノも説明が追加されて、人物像に深みが出ました。

真面目で真っ当な職に就いていて、だからこそギャング連中に負い目を感じる設定や、彼なりにハメを外そうと奮闘する姿や、ヒロインを一途に想うが故に犯罪に手を染める描写が切なかったです。

○ベルナルドのキャラ設定

ボクサーになりました。笑

○マリアからキスする

最初のキスは「どちらからともなく」ではなく、明らかに女性からキスしました。時代を感じます。びっくりしちゃうトニーがキュートでした。

○マリアが夜勤になる

これもリアルで良い変更だと思いました。当時のアメリカでは移民の女には高級デパートで接客業なんてさせてもらえません。ダンサーもしくは娼婦のような身体能力を活かした職業(ベルナルドがプエルトリコ女に言いよるヨーロッパ男へ剥き出しにする敵意や、アニタがジェッツに暴行されそうになったことからも推察できる)か、もしくは深夜の掃除係のようにあまり人気がない薄給な仕事で頑張っていたのでしょう。

●インターミッション

なくなりました。

○拳銃を買うエピソード

ナイフじゃなくて、拳銃なの?
スピルバーグよ、そんなアレンジを?

と驚いたのですが、そうではなくてチノに拳銃が渡ってしまう伏線でした。

若者に拳銃を売る大人達が憎いですね。

トニーとリフが拳銃を奪い合うシーンの桟橋にあった穴はCGで映像加工されていました。たぶん穴そのものは本物ですが、その下はすぐにグリーンバックになっていて、間違えて踏み入れても落ちないようになっていたと思われます。でも、あれ必要だったんでしょうか。笑

●クレイジーボーイの倉庫

なくなりました。
トニーが拳銃を奪い合うシーンに移されています。

●フェンスを超える大胆なアクション

なくなりました。
アンセル・エルゴートの一番の見せ場になると思い期待していたのですが。笑

個人的には61年版で一番好きなシーンの一つだっただけに残念です。

○悲劇の連鎖を止めたがるプエルトリコ人

チノを止めようとするシャークスの男達。
クレイジーボーイの倉庫の代わりですね。

プエルトリコ人がただの悪者みたいに描かれてしまっていた61年版からの適切なアップグレードだと思います。

○無理のない発砲

61年版で唯一かもしれない気になったツッコミ所なのですが、チノがゴルゴ13でも無理そうな位置からトニーを撃ちます。普通の男だったらマリアに当たってしまうんじゃないかと思って撃てない距離と角度です。

それが本作では無理がない位置に修正されました。スピルバーグも私と同じことを考えていたのでしょうか。笑

●エンドロールのアート

なくなりました。
代わりにウェストサイドの古い街並みを、太陽が登って翳るまでの時間を縮めてお送りしておりました。

太陽が昇って、やがて沈んでいく。
変わりゆくウェストサイドの街並みと
時の流れを感じさせる演出かしら。

それとも公共物に落書きをすることを良しとしない昨今の世相の反映か。笑

それとも80年代のブラックカルチャー台頭後に白人系のダサいグラフィティでは画にならないという美的感覚からの判断か。

▼総じて:

スピルバーグのウェストサイドストーリーは演出も撮影も素晴らしい映画でしたが、画面が綺麗すぎる気はしました。

無骨だが人間のパワーを感じられる1961年版の方が私は好きですね。ただし主演女優だけは2021年版の方が良いと思います。南米系の俳優が演じることに大きな意義があります。

余談ですが、本作がアカデミー賞に大量ノミネートされる一方で、同年公開の『シンデレラ』がアカデミー賞で1つもノミネートされないことに悔しがるファンが多いそうです。この気持ちは分かる気がします。

映画の品格とか格調みたいなものはウェスト〜の方が高い(セットや撮影にかけている予算が段違いなので当たり前)のですが、シンデレラは人種やジェンダーにさらに踏み込んだ内容になっていて、ファミリー層を意識した内容なのでライトな雰囲気こそありますが、メッセージ性は負けてない(むしろ優っている)と感じました。ただ音楽のパワーは正直クイーンやマドンナの既存曲に頼ってしまったかなとも思われるので引用方法は素晴らしかったですが、賞レース的には厳しかったかもしれません。

了。

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