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意思を持って選択をする【就職アドバイザー紹介-山下野乃花-(前編)】

今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジのアドバイザーとして活躍する山下野乃花。自身の大学編入や就職活動での経験を踏まえて、相手の目線に立ったサポートが好評な山下は、「意思を持って選択すれば道は拓ける」という想いで就職支援に携わっています。
前編では、そんな想いを抱くようになった山下の過去の体験を語ってもらいました!


幼少期から憧れていたウェディングプランナー

茨城県出身で、6つ上の兄と二人兄妹です。
母が結婚式の司会の仕事をしていたので、子供の頃は土日に母が不在で寂しさもありました。ただ、母が仕事から帰って来る度に「今日担当した新郎新婦がね」と聞かせてくれる話が毎回キラキラしていたので、子供の頃から「ウェディングプランナーになりたい!」と夢を抱いていました。



バレエに夢中な子供時代

子供の頃に1番夢中だったのはクラシックバレエです。友達がバレエを習っていて、レッスンを見学したことがきっかけです。小学1年生から高校2年生までの11年間続けたバレエが、自分がやると決めたことを納得いくまでやりきる性格を形作りました。


頑張りを評価された経験

11年間も続けられた理由は、もちろん踊ることや表現することが楽しかったからでもありますが、それ以上にやった分だけ成果が出て評価されることに充実感を覚えていたからです。
例えば、しっかり練習をして踊りが上手になることで同い年のクラスメイトよりも早く1つ上のクラスに上がれたり、トーシューズが履けるようになったり、先生にコンクールのお誘いをいただけた経験が、自分の頑張りを評価されて嬉しかったです。


練習を続けられた理由

しかし、決して努力が好きだったわけではありません。どちらかと言うと努力することが得意ではない私が練習をし続けられたのには理由があります。それは、バレエの先生が常に

「1秒でも頑張ることを辞めたら、すぐ他の人に追い抜かされるよ」

と口酸っぱくおっしゃっていたからです。
自分が1秒立ち止まっている間にクラスメイトは1回多くターンが回れる。ポーズが決められる。その1回分がセンターに選ばれる理由になる。
だから、頑張り続けなければいけない感覚が幼少期から刷り込まれていました。加えて、自分がやると決めたことはやり抜きたい猪突猛進な性格でもあったので、11年間続けられました。



夢中になった吹奏楽部

バレエの他にも夢中だったものがあります。それは中学の吹奏楽の部活です。
サックス担当で入部した当初、あまり練習に熱心でない先輩から指摘を受け、「自分はやるべきことをやっていないのに…」と違和感を覚えたことがありました。


団体競技の難しさ

しかし、自分は一生懸命に練習をしていても、

「サックスパート全体がうまくできなければ、山下さんだけがちゃんとやれていても意味がない」

と、先生に言われるのが悔しかったです。バレエは個人競技ですが、吹奏楽は団体競技なので当たり前です。
だから、「自分が3年生になったら『サックスパートが演奏を支えていた』と言われるくらい、レベルが高いサックスチームにしてやる!」と決めていました。



大変でもやりがいのあったパートリーダー

3年生になって、パートリーダーとしてチームを引っ張る立場になりました。やるべきことをやらない先輩から指摘されるのが嫌だった経験から、「メンバーに指示を出す立場であるからには、誰よりも練習をしてリーダーの仕事を率先して行う」と決めました。
だから誰よりも一生懸命に練習をしましたし、先生に積極的にアドバイスを伺いに行きました。そんな様子をメンバーも見ていてくれたようで

「山下がこんなに頑張っているのに、私達が一緒に頑張らないなんてダメだよね」

と声をかけてくれたことがあり、とても嬉しかったのを覚えています。


自分にも周りにも正直に

そうして頑張った結果、引退の際に先生から

「サックスチームが1番チームを引っ張ってくれていた」

と、リーダーになった時に目標としていた言葉をいただくことができました。だから「もうリーダーとしてやり残したことはない!」と清々しい気持ちで引退をすることが出来ました。
自分で決めたことはやり切る意志の強さや、自分にも周りにも正直でいたい性格は、当時から培われてきたのだと思っています。



将来の漠然とした不安

この性格が学生時代の進路選択に大きく影響しました。高校生になっても、ウェディングプランナーという子供の頃からの憧れは変わらず持ち続けていて、将来は母のように結婚式場で仕事をしたいと漠然と考えていました。
しかし、そんな憧れとは対照的に未だ具体的なビジョンは描けておらず、ウェディングプランナーの専門学校に進学することは、「将来の選択肢を狭めすぎてしまわないか?」と不安に感じていました。
そこで、専門学校よりも学べる範囲の広い短期大学に入学することにしました。


就活の挫折

しかし、地元を出て1人暮らしを始め、新しい新生活がスタートした矢先に、学校ではいきなり就職のガイダンスが始まりました。思った以上に学校側の就職準備の対応が早かったので、学校と自分の就職への温度差に衝撃を受けました。
加えて、実際に就職活動を進めてみると、募集要項に「4年制大学の卒業見込みであること」と書かれている求人が多く、「同じ学生で、しかも私の方が同世代よりも早く就活をしているのに、どうして短大出身というだけで応募もできないの?」と、悔しい想いを味わいました。


大きな決断と転機

しかし、説明会に数多く出席していくうちに、「短大出身だからこの会社しか受けられない」、「この業種しかエントリーできない」と決めつけているのは自分自身だと考えるようになります。
「どんな環境でも他の道は必ず存在していて、挑戦するかしないかは自分次第。自分の意思で選択したら道は広がるはず。」と、考え方を変えてみました。
そして、「4年制大学の方々と比べられて悔しい思いをするのであれば、4年制大学へ編入してしまえばいい!」と、ひらめきました。



上手くいかなかった大学受験

私が本格的に編入を決めたのは2年生の6月頃です。周りの学生はもう殆ど就職活動を始めていて、内定先が決まっている子もちらほら居たくらいでした。つまり編入するには遅すぎるスタートで、元々編入を想定して勉強していた同級生との温度差や学力レベルの違いをひしひしと感じていました。
そんな状況でも、自分が決めた進路のために受験勉強を進め、願書の提出時期になりました。私は学費面での負担を考えて、私立は志望候補から外し、国立のとある大学一本に絞って提出をしました。
熱心に勉強をしましたが、初めての大学受験は残念な結果に終わってしまいます。


必死の思いで喰らい付いた二次募集

今思えば非常にリスキーな選択ですが、私は国立大学の一校しか視野に入れておらず、願書は落ちた学校ひとつにしか出していませんでした。だから当然、このままでは進路が決まらないまま卒業する他なく、一度はフリーターになる可能性が頭をよぎりました。
しかし、それでは選択肢を広げるためにした決意と、これまでの勉強期間が無駄になってしまいます。何より卒業までまだ僅かに時間があるにも関わらず諦めている自分がとても嫌でした。
この悔しさを無視して卒業してしまっては、自分を許せず後悔するだろうと思ったので、最後まで足掻くことを決意します。


ここに賭けるしかない

決意してからは必死の想いで二次募集を出している大学を探しました。
その結果、私立ではありましたが、運よく自分の志望学科と同じ枠が1つだけ募集を出していたので、「ここに賭けるしかない」という想いで願書を出しました。



やっと終わった受験と新たな困難

そんなドキドキの受験の結果は「合格」でした。卒業1ヶ月前にやっと進学先が決まり、心から安堵したのを覚えています。同級生のほとんどが、進学先・就職先が決まっている最中での合格発表だったので、「最後まで諦めなくて良かった」と思いました。何よりも、ずっと頑張り続けた自分に対して「ありがとう」と強く思った、当時の気持ちを鮮明に覚えています。

しかし、嬉しかったのも束の間です。
楽しい大学生活が始まり、いよいよ本格的に就職活動を進めるタイミングで、新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延し始めたのです…。



【続編に続く!】

怒涛の受験勉強を乗り越えて楽しい編入生活がスタートするはずが、予期せぬコロナ禍に苛まれます。その上、就職活動にまで影響が及んでいました。
後半では、過酷な状況下で奮闘した就活でのエピソードと、ジェイックのアドバイザーとしての就職支援の想いに迫ります!


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後編はこちら!


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