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「好き」 と 「愛する」 は,相容れないのではないか.

自分の中にある「好き」とか「愛する」という感情について言語化してみようと思う.

前提

まず初めに定義しておきたい前提がある.
それは,(あくまで自分の中では)「愛する」ということと「好き」という感情や行為は全く別のものであり,自分の中では相容れないものなのではないかと現状では認識している.

上記を説明するために,「愛すること」と「好きということ」を定義していくとする.

「好き」とは何か

(自分の中での)「好き」という感情は以下のような特性がある.

  • 相手のことを強く独占したいという欲求がある.

  • 相手に対して性的欲求・感情があるかどうか.

上記の通りのように,自分の中での「好き」という感情は,極めて自己中心的な感情である.

「愛する」とは何か

(自分の中での)「愛する」という行為は以下のような特性がある.

  • 相手の人生に対して自分が存在することでより良い影響を与える.

  • 与えることは,無条件である.

  • 自己犠牲を前提とした貢献行為ではない.

  • 互いに自立して,互いが能動的に関わり合うこと.

上記のようなものではないか.と考えている.
自分の考えのベースになっている本に『「愛するということ」著.エーリッヒ・フロム』 という本がある.
この本の中で,自分の中の愛の価値観について影響を与えた言葉があるので,紹介しようと思う.

幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。
エーリッヒ・フロム. 愛するということ

この言葉の通りだと自分自身も考えている.

「好き」と「愛する」ことは両立できないのではないか.

(自分の中で)「好き」と「愛する」ことは両立できないのではないか.と考えている.

それはこれまでで述べたように.
「好き」とは,自己中心的な欲求というカテゴリーにあたる.
「愛する」とは,相手の感情や人生に対して貢献したい.関わりたい.という欲求にあたる.

もちろん「愛」を前提として,「好き」という感情はあると思う.
でのきっとそれは,尊敬・リスペクトが前提による感情なような気もする.

気づくと「好き」が先行してしまう時がある.
そもそも「好き」の真っ最中なんて自分が制御できない.
壊れるほど苦しくなることもあれば,少しのことで圧倒的な幸福感を味わうこともある.
そうやって,「好き」の対象に一喜一憂するのが「好き」という状態な気がする.

でもその状態になると,どうしても寂しくなると.
辛くなると.
不安になると.
安心を求めて,自己中心的な欲求によってしまう.

だから現状では「好き」と「愛する」は長期的かつ持続的には相容れないのではないか.という結論に至った.

実践における愛情表現の難しさ

通常,愛情表現するためには,「行動」と「言語化」のふたつがあると思う.
基本的には,行動するためには何らかの事柄を頭の中で言語化していることが多い.(相手に伝えるか伝えないかは別として)
なので,どんな状況においても言語化をしていくわけだけど.
そこに難しさが潜んでいる.

言語表現の認識を合わせる必要がある.
言葉というものは極めて抽象的なものだ.

ひとつに「好き」という言葉をとってもその人それぞれのゴールは変わってくる.

ある人は「好き」は,察して行動で示すことがゴールかもしれない.
ある人は「好き」は,思ったときに,感情(好き)を具体化して言語化して伝えることかもしれない.

多くの人は,これらの抽象的な言葉の前提の擦り合わせを行わずにコミュニケーションする.
それで果たしてうまく相手の望むことを.
相手がしようとしていることを.
理解できるのだろうか.

「好き」という感情の持続性

いくつか引用しようと思う.
基本的には「恋愛ホルモン(PEA)」に関することになる.

一般的に、恋愛モードの感情が持続するのは3年と言われています。 これは、脳内にいわゆる『恋愛ホルモン(PEA)』と言われるものが分泌され、ときめいたり、ドキドキしたりします。 このホルモンは、出逢って付き合っている時に一番分泌され、3年程でほとんど分泌されなくなると言われています。
結婚相談所なら日本結婚相談所連盟(IBJ)
・人は恋をするとホルモン分泌が活性化され、脳内に激しい変化を起こし、それが性格や感情にも影響していく。「女性が恋をするときれいになる」という通説もこのことが影響している。 
・人間は誰かを追い掛けて恋している時は PEA(フェニールエチルアミン)という物質が脳内 に分泌され、さらにその人を好きになるといわれている。この PEA は別名「恋の媚薬」と呼ば れていて追い掛けられると出なくなる。
2008年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文 「究極の恋愛論」

つまり脳内物質的には,3年くらいしか恋愛的な感情は保たないとされているということになる.

「好き」と「愛する」のスイッチングが大切である.

上記の恋愛的な感情は3年くらいしか保たないという結果を見ると疑問に思うことがある.
それは世界を.世の中を見回してみると.3年以上続いている人々は多く存在する.
その人たちは,自分の感情を殺して付き合っているのだろうか.

パートナーと一緒に知るのだろうか.
そうではないように思う.

ある番組でこう言っていた.
「恋愛的な感情が失われた後の夫婦は,どちらかというと仲間的に愛するという感情であったり,時間と共に絆的なものが生まれたりして,その人を愛することに能動的にポジティブに関わっているのだ.」と.
なるほど.
何となく理想論のような気もするけど.
自分の中ではすごく腑に落ちた.

話を戻そう.
このサブタイトルにある.
「好き」と「愛する」のスイッチングが大切である.について話そうと思う.

好きとは、自己中心的欲求だが,熱量がすごい.短期的に物凄い力を発揮する.
愛するとは,能動的に相手に関わりたい.貢献したいという欲求なので,短期的には養いにくい.

このふたつを並べてみると.
自ずと答えのようなものが見えてくる.
それは,長期的かつ持続的に相手と一緒にいたいのならば,初めの激しい「好き」という感情があるときに「愛する」ことについて互いに話し合い.
時間と共に消えていく恋愛的な欲求を「愛する」という能動的な欲求にすり替えていくというものだ.

このタイミングが大切なのだと思う.
表すならば,以下のようなグラフになるのではないかと思う.

「好き」と「愛する」グラフ

結論としては,錯覚かもしれない衝動的かつ圧倒的熱量の「好き」がある時から相手を「愛する」ためにどうすれば良いかということを話し合ったり,内省したりすることが大切なような気がする.
結婚や恋愛は,ひとりではないので独りで考え込むのではなく勇気を出して一緒に話し合うのだ.

これが現状の暫定的な答えになる.

最後に自分の好きな本の言葉を引用しようと思う.

共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。~~ 依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、ふたりがひとりになり、しかもふたりでありつづけるというパラドックスが起きる。
エーリッヒ・フロム. 愛するということ

終わりに

その感情のスイッチングを具体的にどのように行うかはまだ自分の中でもうまく落とし込めていない.
これらに対して、ネガティブケイパビリティ高めにして、今後も思考していこうと思う.

ネガティブ・ケイパビリティとは、「分からないものを分からないまま、宙ぶらりんにして、耐え抜く能力」のこと

自分の行動がうまくできるかはわからないけれど.
思考することは放棄せずに,向き合っていくことを続けていきたい.


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