6年間何もせずひたすら家に引きこもりだった私を変えたきっかけは断捨離(全捨離)だったという話。。

高専いって中退したので、中卒ですね。鬱になり、吃音で声もまともに出せなくなった頃に学校をやめる運びとなりました。

そんな自分がまともにやる気を出して何かに対して取り組めるということはなく、いわゆる廃人だったと思います。

すべてにおいて、無気力。鬱の初期症状ってわりと繊細さが際立つことが多くて直感が冴えるというか、そういう自分の感覚を大切にしたいみたいな感覚があるんですが、だんだんと躁状態が減っていって、要するにもう感情が上がっていかないんですよね。直感どころか何もわからなくなる。一体何をすべきで何をしたいのか。

やる気を出そうとしても体が何一ついうことを聞かない。

そんなわけだから頑張ることも諦めて。ただ、食事をとって、アニメを見て、寝る。やれたことと言えば受動的なことばかりでした。

でも、これは結果からいうと必要なことでもあったかもしれません。多くの時間を無駄にすることになりましたが、今まで抑えに抑えていたもう一人の自分と向き合うことにしたのです。

己の感覚に従い、生きる。もちろん生産的なことは何一つしていなくて、ただ時間が過ぎていくのに任せて、同じような日々をひたすらに送る。

そういえば、不安になってニートを続けられなくなるという話を聞くことがありますが、私の場合は3日目あたりでしょうか、不安とは違いますが、

ああ、こんな感じの日々がこれから続いていくんだなあ。。。

と最初にぼんやり思ったのが最後だった気がします。

今まで表面を漂っていた人格は、潜在的に眠るもう一体何を考えているのかすらも分からないもう一つの人格に支配される日々が始まるのでした。

一年あってやる気が出るっていうか、ちょっと体が軽くなるような日。いつもよりほんの少しだけ活動時間が伸びるそんな日。それが決まって満月の出ている日でした。でも毎回そうっていうわけでもなくて。2~3回に1回の頻度でしょうか。まあだから一年のうち、4,5日あるかどうかが唯一少しだけいつもと違って何か見出せそうになる。でも一日で変われるようなことは勿論なくて。そんな気がしただけで、また鬱々とした空白の数十日を過ごす。

そんなことを永遠と繰り返していました。その時ちょうど占いにはまっていてよくYouTubeで動画を見ていたのを思い出します。そこで言われていたことというのはまあネガティヴな内容のものばかりで、そういう精神状態の自分が引き寄せていたという面もあると思いますが、それらを見てやはり自分の流れが悪いのだと。だからどうすることもできないのだと。そう言い聞かせていたように記憶しています。

いつからか何かをしようとすること自体を完全に止めていました。ただ感じることにしたのです。人間の底ってどこにあるのかなとか考えたことがあります。それは大抵、もうこれ以上はないって思ったときに感じる場所とは違っていて上に上る気力が完全に尽き果てたとき、諦め受け入れたときに底があるんだって。いつしかそう思うようになりました。落ちようがないと確信できる。そんな場所が底にあたるようなところなのだと。


まあしかし、落ちようがないところまで来ることによってようやく虚無感を受け入れ、冷静になれたんですね。そうすると、波のないような傍からみれば怠惰以外の何物でもない生活にもいつしか些細な変化を見いだせるようになりました。

昨日と同じようでほんの僅か、本当に些細な違いを楽しめるような自分がいました。今日は窓から心地よい風が吹いたとかそういったことに幸せを感じられる。今までの根深く暗くて重たい何かがほどけ始めるような感覚…それはあまりにも僅かに過ぎないけれど。でもそれこそが確かに何かが少しずつ変わり始めるようになったきっかけでした。

そうこうしているといつしか自分の全てを管理したいという欲求が芽生え始めるようになりました。今迄親が作っていた食事を自分で作って食べるようになりました。自分の食べたいものや量、頻度、好きなタイミング。それは今まで私の中で潜在的なストレスだったのです。しかし自分で作るのが面倒だからそうしなかった。でもそこにストレスがあることを自覚して、取り除く。そういった作業が本格的に始まることになりました。

自分を変えたい。もうその一心で。自分を停滞させる原因は何か。今までのあらゆることを疑いそこを見直せる限りそうしました。

まあ結局のところそのほとんどが見て見ぬふりをしているようなところだったわけですが。最後に行き着いたのが過去の一切を手放すということでした。やはり、過去のものがそこにあるというだけでそれらが想起されてしまう。高校のときに買ったもの等は比較的つらいことがあるたびに自傷的行動の一種で捨てに捨てていたのですが、親に捨てないようにと止められていた、特に小さい頃の物はクローゼットに大量にありました。。。

ちょうどその時、某開運マスターのYouTubeで「全捨離」という概念に出会って。もうこれしかない!と思い至りそこからはもう一気にあらゆるものを捨て去りました。

そこからでした。今までアルバイトすらしたことのなかった自分が働きだすようになったのはそれから数か月後のことでした。


誰かに何かを言われるから。そうして覆い隠してきた思考は確実に自分が何であるかを分からなくさせ、結果として、自分を生きるという術をなくしてしまいかねない。


人を傷つけるのではないかと思いやることが自分を傷つけることになってはいないか。誰かを思いやるその気持ちは他の誰でもない自分が救われたがっているからではないのか。いつも頭の片隅で陣取っているもう置物になっているそれを残したままで本当に次へと進めるのか。

些細なことから大きなことまで、あらゆることに向き合ってきたように思います。その間、社会的には一切の前進を見せていません。全ては自分を取り戻すため。そうするしかありませんでした。10代と20代をまるまま不意にしたわけですが、何故だか悪くない気分です。もちろん同世代、或いは下の世代とさえ比べてもどうしようもない私ですが、まあ比べるまでもなく悪いことを自分が一番わかっていますから。それで良かったのだと。


まあでも本当に良かったといえるかはこれからの人生次第、ということで、自分に正直に生きていたいと思う今日この頃です。


それでは、また。

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