強制終了がもたらしてくれるギフト
強制終了が現れる時
自身の経験上、それは、
無理しているものを手放したり、本来の自分の自然な在り方に戻してくれるサポートをしてくれているのだと思っている。
例えば、物事がスムーズに動かない。
モヤモヤザワザワ違和感がゴゴゴと襲ってくる。
そんな時に力技でまた無理を重ねてみたり(するのも自由)、
本当は気づいているのに認めるのが嫌で「いやそんなわけない」と抑えこんでみたりすると、
はい、そろそろ気づきましょう、と、
デッカイ強制終了さんがドドーンと現れる。
今月7月上旬から夫の実家アメリカに3週間帰省していた時に、まさにビッグな強制終了が現れた。
でも、表面上の現象はドタバタが凄まじかった一方で、その背後にはやっぱりたくさんの気づきや宝物のような瞬間が隠されていて。
その渦中、ブワーッと大量の言葉が頭の中に現れてきていたので、渋滞整理をするかのようにメモをとっていた。
フレッシュなうちに、その言葉の数々を整えながら、ここに文章として残しておきたい。
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今回の強制終了の流れ
3年ぶりに夫の実家アメリカへ帰省。
3年ぶりに会えるとあって、夫の実家に1週間ステイした後は、義父母や義兄ファミリーと共に、アルバという国へゆっくり旅行に行く予定だった。
が、フライト10時間前に、義父がベッドの上でうずくまるように倒れた。
夫が急いで病院に連れて行き、そのままER(救急救命室)へ行き緊急入院。
旅行はもちろんキャンセルとなり、そこからの流れがガラッと一変した。
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少し時計を巻き戻す。
3年前に義母は大病をし、手は麻痺し歩行も困難になり、サポートが必要である。日中はヘルパーさんが来てくれるけれど夕方に帰るため、夕方以降は義父がサポートしていた。
その義父も、長い間背中を痛めていたりと体も弱ってきていた上に、日中の仕事から帰宅した後は義母の介助をしていた。
なかなか自分で動けずフラストレーションや無価値感、そして罪悪感が溢れ出ている義母と、義母の代わりに動いたり色んなことを抱え心身共に疲れている義父。
帰省初日からそれがひしひしと伝わってきていて、アルバへのフライト数日前から旅行に行くイメージが私は全くわかなくなっていた。
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フライト前日。
全員のオンラインチェックインを試みるも、私だけなぜかチェックインできない。このスムーズにいかない感じも、一旦ストップがかかっているなと感じた。
義父の休息が一番でいったんドラスティックな仕切り直しが必要。
直感のメッセージが何度もそう私に伝えてくる。
夫には、「今回無理して行く必要はないんじゃないかな」とやんわりと伝えていた。
夫も、うん、、と何かを感じとっている様子。
ただ、残りの余生のうちに家族みんなで行きたい・連れて行ってあげたいと強く思っている義父母はなんとか行けるようにがんばってくれている。
こういう時はもう、「やめておいた方がいいのでは」と他人が言ったところで本人達にますます火をつけるだけだったり、本人達が今まで一生懸命やってきたことを否定されているように感じてしまいがちで、説得できるのは事象しかない。
それは、他人の課題を背負いすぎない、奪わないともいうのかもしれない。
その代わりに、相手の中にある無限の可能性を信じる。
そしてあとはお導きとでもいうような事象に委ねる。
だから義父が直前で倒れた時は、もう大いなる存在や力を感じ、こうきたか、と、ものすごく冷静に見ている自分がいた。
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夫と義父が病院にいる間、
家に残った義母と私と子ども達。
子ども達を寝かしつけた後、義母がいるダイニングに行く。
夜9時半。CTスキャンの結果を待っている義父と夫はまだ帰ってこない。
あと30分ぐらいしたら、義母が就寝前の最後のトイレに行く時間。
いつもは義父が着替えや排泄、寝床への介助をする。
が、あと30分で義父が帰ってくるはずはなく。
「お父さんの代わりにサポートするからいつでも言ってね」と義母に言う。
「大丈夫よ、お父さんは帰ってくるから」と義母は言う。
「わかってるの、あの人は帰ってくるって。今まで入院したこともないから」
あぁ、そう信じたいよな。ここは私がこれ以上出る幕ではない。
その直後、
「明日朝のフライトはキャンセルして、明日午後とか明後日に変更しておいた方がいいかしら?」
いや、ここは私が出る幕だ。
「(アルバ行き自体キャンセルです)」という言葉は胸の内にしまっておきながら、「お母さん、まだCTスキャンの結果が出てないから、出るまで決めるのは待とう」とだけ言う。
「そうね、わかったわ」と、義母。
キッチンの片付けをしたり2人で話したりしているうちに、時間は夜11時。
義母にもう一度声をかけてみる。
「帰ってくるまで我慢するわ」
さっきよりも表情がシリアスになっていた。
今日は帰ってこないとわかっていても認めたくない葛藤が伝わってきた。
とてもしっかりしていて、もともとなんでも自分でやっちゃうような義母。
こちらは義父に代わって着替えやトイレの介助をやるしかないと、両手を大きく広げどんなに受け入れ体制でも、目の前の相手は罪悪感や羞恥心や自尊心との葛藤。
私はまだ体験していないこの未知のステージ、
このステージで "ありのままを受け容れる"って、それこそ究極の手放しをしなければならないのかもしれないし、敗北を認めるような屈辱的なものなのかもしれない。
身近な人にほど頼る方が勇気いるのかもしれないな、、と感じながら、自立や老いってなんだろうと同時に考えていた。
午前0時を過ぎた頃、
夫からやっと連絡がきた。
「お父さんは今日は家に帰れない。検査の結果、結腸に問題が見つかって、しばらく入院が必要」
その瞬間、義母は泣き崩れた。
どうしても信じたかったものをおもいきり破壊され、そして次には、大きな壁がたちはだかっている。
泣きながらいろいろ話す義母の話を、ただ聞き続け相槌をうつ。
大きくてかたくて重いものを少しずつ打ち砕く・咀嚼していく準備が必要なのかもしれない。
私は "I feel your pain"とだけ言い、彼女から溢れ出てくる感情にただ寄り添うだけだった。
しばらくして少し気持ちが落ち着いてきたかなと感じた時、
私はおもむろにTシャツを脱ぎ、こう言っていた。
「私も裸になろうか。原始人や大昔の人たちってこんな感じだったのかな」
と。
義母は目を見開き、「オーゴッド!」と言う。
そして泣きながら苦笑した。
このクレイジーでイカれた子に敗北、という苦笑だった。
老いや美のベースにある恐れの破壊
義母が葛藤を消化しようやく降参した時に、着替えや排泄の介助をしながらゆっくりゆっくり体を見て触らせてもらった。
ここから息子2人の命を産み出し、育ててきたんだ。
その弱ってしわしわになった体も、命を使い尽くしてきた勲章のように見えてきて、なんて美しいんだろうと思った。
そして彼女なりの愛で一生懸命育ててきた人と私は今共にいる。
そんなことを感じていたら勝手に涙が溢れていた。
連絡多くてめんどくさいなとか思ったことたくさんあるし、これからも色々思うことだってあるだろう。
でも、あの時の畏敬の念みたいなものは、私の真ん中の軸に強力接着剤のようにガチっとくっついた。
全てを終えた時、重い重い鎧を横に置いた義母と、
私たちできたね、って2人で手をとって泣いた。
必死に何かにしがみついていた手は、力が抜けていて柔らかかった。
誰かが弱さや脆さを見せた時、救われる人がたくさんいる。
老い、老化、美とは。
今年私は45歳。
今後50代60代と、その時になってみないとその時の気持ちはわからない。身体の老化を感じるたびにうぇってなるのかもしれない。
けれど、あの時見たリアルな70代の美しさは目に焼きついている。
その時その時だけの自然な・ありのままの・独自の美しさを祝福していたいと思っている今の気持ちは真実。
もしかしたら、私の奥の奥深くにあった老化への恐れを、義母が破壊してくれたのかもしれない。
相手が自分を見せてくれる。相手の中に自分を見る。
全て繋がっていて、全て共同作業。
旅行に関する様々な手配のキャンセルなどを終えて、義母をベッドにそっと寝かせる。
私はというと、目の前で凄まじいスピードで繰り広げられていた出来事を終えボーッとしながらも、その出来事をスクリーンの外で俯瞰して見ていたもう1人の私が、今回の現象の背後に隠されていたものはこれだったんだねと感じながら、圧倒的なお導きに感謝していた。
自分が存在していることが既に与えていること
体や心をこちらが無理に起こそうとすると、相手も自分も辛くなる。
ただ一緒に喜びや笑い、悲しみだって共有する
助け合いながらただ共にいる
ということも、今回リマインドとして現れた。
子ども達が「これなんて読むのー?」などと色々質問すると、義母は嬉しそうに文字や言葉を教えている。
ボーッと見ていたら、新しい命にバトンを渡しながら、古い命は肉体がなくなってもその中で生き続けるように見えてきた。そして、お世話されるだけでは惨めに感じちゃうのかもしれないとも感じた。
自分が存在してきたことが既に与えていること。
その気づきと喜びが、残りの生を豊かに生きる光になるのかもしれない。
そこで、私は義母にお願いをしてみた。
イタリアの家庭料理を教えてと。
義母はイタリアがルーツでイタリア家庭料理をつくるのが大好きで、手が動かせずもう料理ができないことを悲しんでいたから。
スーパーに一緒に行き、義母は歩行器と共にゆっくりゆっくり歩いていた。たくさん買うからと顔見知りのマネージャーに値切ってもいた笑
帰りに、退院して3年ぶりに初めてスーパーに出かけたと教えてくれた。
帰宅後、義母が教えてくれる通りに作ってみる。
そのトマトソースパスタは、素朴だけど胸に染み渡る美味しさだった。値切り話をネタにして笑ったから楽しい味にもなった。
与えてもらった祖先からの母の味、娘たちにも繋いでいくね。
いのちの循環 を感じた。
私達が滞在中に義父が退院して帰宅できるとわかった時、子ども達はグランパへお手紙書こう!と楽しげにメッセージを書き出した。
そして家中にペタペタ貼る。
帰宅当日、義父は目を細めながらそれらを一枚一枚見ていた。
その貼られた紙を、義父は今もずっとそのままにしている。
この27枚の愛のメッセージは、どんな薬よりも効いてるんだと思う。
自分の意識が創った世界に生きている
帰省初日、夫の部屋に入った時に一番最初に目にとびこんできたもの。
『 和 - harmony 』
彼が大学生の時から飾っているもの。
今までも見てきたはずなのに意識が見てなかった。
こんなに目に飛び込んできてじーっと見たことは初めてだった。
たとえば、そこに綺麗なお花は前からあったのに、そこに意識が向いていなくて見ていないのに似ている。
そのお花に気づいている人と気づいていない人が見ている世界は全く別のもの。
だからこれを見た時、私は今この世界を選んでいると再確認できたと同時に、やっぱり自分の意識が創った世界に生きているんだと改めて思った。
滞在最終日の夜、丸テーブルを囲んで皆で食事が終わった後ふと思いついて、手を出してと言い写真を撮った。それが今回の見出し画像に設定している写真。
命の美しい循環や調和を感じて気に入っている。
今この写真が携帯の待ち受け画面でもある。
目に見える現象の背後には必ず、目に見えにくい本質や大切な気づきが在る。
大きな変化の時は、文字の如く大変に見えることが起きるけれど、でも目に見える現象の奥には、必ず意識拡大の気づきや新しいギフトが隠されている。
壮大なエネルギーシフトの中で、カルマの解消や抑圧からの解放、固定観念や思い込みの手放し、癒しや浄化、自分が愛であることを思い出すこと、内なる平和の創造、、など、世界中の人たちと共に体験しているんだなと感じている。
自分の真ん中の軸には愛と感謝と信頼だけをおいて、あとは柔軟に、軽やかに、オープンに、その時その時を味わいながらこれからも生きていこう。
そんな風に感じた、3週間弱の帰省旅。
義父母が新しい暮らし方や新たな食生活を整え始めたのを見届けて、帰国しました。
これまでの、そしてこれからの全てのプロセスに感謝して、
最後に、好きな言葉を。
"Life is a game, play it"
- マザー・テレサ
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