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自分らしく生きる|祖父の借金と両親の苦労【過去と向き合う】

あなたふとした時、子供の頃の記憶を鮮明に思い出すことはありませんか?

そこには今の、
そしてこれからの自分のための、重大なヒントが隠されているのかもしれません。

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はじめに

この記事はこんな方におすすめです。

■子供の頃辛い思いをしたことで、自己肯定感が低いと感じている方。
■子供の頃に深く傷ついた方。
■自分のルーツを深く考えたい方。
■これから子育てに向き合おうとしている方。

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私は現在妊娠8ヶ月。
今年の12月頭に出産予定です。

おかげ様で妊婦生活は良好で、お腹の子供も元気な状態。

ですが、妊娠初期はつわりがひどく、寝ていることしか出来ませんでした。
仕事も家事もできない、初めての妊娠で不安な日々。

日がな一日ベッドの中で過ごしていると、お腹の中にいる「小さな存在」と向き合い続けることになります。

そんな中で、なぜか、大人になってからすっかり忘れていた「幼い頃に感じていた気持ち」を鮮明に思い出すことが多かったです。

妊娠初期で精神的に不安定だったこともあり、その「幼い頃の自分」との対峙は、なかなかに辛いものでした。

でも、自分が母親になる今、その対峙体験は必要なことだったのだと思います。
今回はその時のことについて綴っていきたいと思います。

少し長いので、いくつかの記事に分けてお付き合いください。

祖父の借金

自分らしく過去と向き合う


まずは私自身の話をする前に、若かりし頃の両親の話をしたいと思います。


父方の祖父(2018年に逝去)は、よく言えば自由奔放、悪く言えば借金大王でした。

甘いマスクに巧みな話術で、ずいぶん色々な女の人を泣かせてきたようです。
元々、地方の豪農の次男坊でしたが、甘やかされて育ったのか元々の性質なのか、一つの仕事が続かずに、ずいぶん色々な職を転々とした…と聞いています。

その中には結構危ない仕事もあったり、怪しげな人と付き合ったりしていたようです。

しかし、昭和初期に生まれた男の人にしては進んだ考えを持っていたようで、小さい頃に仕事で忙しかった母の代わりに、私と妹の面倒をよく見てくれました。

祖父は料理が上手で、彼の作った手作りハンバーグが大好きだったのを覚えています。

そんな祖父と私たちの関係が一変したのは、2000年に祖母が癌で亡くなった直後のことでした。

祖母はとても我慢強い人で、祖父が愛人の元に行って数年帰って来なくても、一人で仕事をして父と伯母を育て上げたような人でした。

その苦労がたたったのか、若いうちに癌を発症し、わずか59歳でこの世を去ってしまいました。

そして、その祖母が生前、祖父の作った借金を返済していたのです。

それを誰にも言わなかったのでしょう、祖母が亡くなった後、両親が彼女の遺品整理をしていると…たくさんの督促状が見つかったのです。

それはすべて、祖父の作った借金でした。
その額は数百万円にも及んだそうです。

当時、私の両親は念願のマイホームを建てたばかり。
さらに美容師だった母は独立して、自分の店をオープンさせた直後でした。

伯母に関しても、結婚・出産を終えて乳飲み子を抱えた状態。
当の祖父に支払い能力があるはずもなく、家庭内は大騒ぎになったようです。

しかも祖父は、結構危ない筋からもお金を借りていたようで…。

当時、小学校低学年だった私と妹は、母から
「もし怖い人が来ても玄関を開けてはいけないよ」と言われたのを覚えています。

ここから、両親の長い苦労が始まるのです。


母の苦しみ

自分らしく過去と向き合う

この件でいちばん苦労したのは、やはり母だったのではないか?と思います。

母の実家は決して裕福な方ではなかったようですが、母方の祖父は大手の会社に勤め、兄2人も堅実なサラリーマンとして生活していました。

母は小さい頃から、「手に職をつけること」「一生懸命働くこと」の大切さを両親に説かれて暮らしてきたようです。

そのことが、母自身を縛る呪いの一つにもなっているのでは…とも思いますが、とにかく彼女は、そのような実直な家庭で育ってきました。

娘の私から見ると、とても信じられないくらいに我慢強い人なのです。

だから、祖父の借金が分かった時も、母は自分の家族を守るために「自分たちで返済しよう」を決意したそうです。

そうして美容院の運営と子育てをしながら、祖父の作った借金を返済していきました。

しかしどれだけ借金を返済しても、気づけば祖父がまた借金を繰り返し、返済は一向に終わりません。

貯蓄のなかった祖父のために、両親の名義でマンションを借りたり、生活費の面倒を見ていたのに…。

祖父はとても社交的な性格なのですが、その一方でいわゆる”ええかっこしい”。
気分がよくなると、お金もないのに「ここは俺が奢るよ!」と、つい見知らぬ人にもお金を渡してしまう始末。

そんな祖父のしりぬぐいをしなければならないなんて、当時30代半ばだった母の苦労はいかばかりでしょう。

この時の記憶が鮮烈に残っているので、私は未だに母に甘えることが出来ません。

特にお金の無心はできません。


父の苦しみ

自分らしく過去と向き合う


父はとてものんびりした人ですが、繊細なところがあります。

祖父の借金に関しては、母目線からの話しか聞いたことがありませんが、父からよくよく話を聞いてみれば、彼も相当若い頃から、祖父に振り回されてきたということがわかります。

父は中卒で、以来16歳の頃からずっと働いてきました。
今では会社の重役になり、収入も少なくはありません。

私はそんな彼のことを、母のことと同様、とても尊敬しています。

しかし、彼が10代の時にこんなことがあったと言います。


それは父が19歳の頃、車の免許を取り、当時働いていたガソリンスタンドのお給料をコツコツ貯めて、初めて自分の車を買ったそうです。

するとある日、職場に人相の悪い人たちが訪ねてきて
「お前、○○(祖父の名前)の息子か?」と尋ねられたのだとか。

そこで嘘をつけばよかったものの…
若かった父は「はい」と正直に答えました。

するとその人たちは

「お前の父親がウチに借金しとるんじゃ。これは借金のカタにもらっていくぞ」

と、問答無用で父の愛車を持って行ってしまったのだとか…。

さらに20歳頃には、なぜかわからないけれど、
「仕事の終わりにスナックで働かされていた」時期があったそうです。

よくよく聞けば、実はそこは祖父の愛人の店。
おそらく祖父の支払いが滞ったのでしょう。

代わりに父が無給で働くことで、祖父は事なきを得ていたそうです。


父は、祖父の借金から母と私たちを守るために、母に離婚を切り出したこともあったそうです。
母はそれには応じず、結局、祖父や借金取りの前で「偽装離婚」をしたのだとか。

これも大人になってから、聞いた話です。


その後…

自分らしく過去と向き合う


その後も両親と祖父との戦いは続きましたが、祖父は祖母が亡くなってからまもなく、新しい彼女とお付き合いを始めました。

そこからは私たち家族と祖父の交流は縁遠くなり、亡くなる前の2017年頃まで10年近く、祖父と会うことはありませんでした。

元々腎臓の悪かった祖父は、2018年に腎臓の病気で亡くなりました。

本当に嵐のような人でしたが、いざ彼が亡くなってみると、母は「なんだかんだ憎めないジイさんだったわ」と言っていました。

私自身はどうだったかというと、祖父に対してどんな気持ちを持っていいものか…。

彼が亡くなってから3年経った今でも、よくわからないままでいます。

ただ、祖父と両親のことは、
記しておきたいこと
誰かに伝えておきたいこと
として強烈に残っているのだ、と思っています。


自分の過去を振り返るにあたって、まずは私の両親の壮絶な体験をお話しました。
次回は、幼少期時代、私の自己肯定感に影を落とした人々についてお話します。

次の記事は、こちらです。



最後までお読みいただきありがとうございました。
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