「子どもの性別は女の子がいい」という社会の闇② ~自由主義は女の子がお好き?~

なぜ女の子は人気か


 ①では、女の子が人気という事実をデータで確認した。では、なぜ女の子が人気なのか。例えば、マイナビウーマンのサイトでは、アンケートから、「かわいいお洋服を着せてみたい」「将来を考えたときに、女の子の方が頼りになる、孫ができたときに心置きなく手伝える、嫁姑問題が起こらない」といった声が紹介されている。

 しかし私は、信念として、人の意見というのは、その人がゼロから考えて選んでいるものではなく、遺伝や環境、守るべきものなど、その人を形作る外的な構造がそのような意見を持つに至らしめているということが多いのではないかと考えている(もっとも、我々はそれを「自分で思考して決めた意見」だと信じて疑わないが)。

 では、なぜ女の子が人気なのか。その外的な構造を私は、「我々が今、社会に不安を感じているから」であると考える。

 理由について、少し本論とは違う2つの観点から考えてみたい。

○ 男女の産み分けに関する研究

 男女の産み分けは、1で述べた問題とも相まって、長らく人々の関心を集めてきた。「野菜を食べれば体が酸性になり女の子が生まれやすい~」といったような都市伝説はあとを絶たない。しかし、この産み分けについて、本当にランダムなのか、何か子どもの男女比に影響を与えるような要因があるのではないかという研究が数多くなされてきた。ネットでいくつかみられたので、中には眉唾なものもあるが、それぞれ簡単に紹介したい。

・ トリヴァース=ウィラード仮説
 環境に恵まれているときには親は食物や世話などの資源を息子に投入し、環境が厳しいときには娘に投じるという。この「トリヴァース=ウィラード仮説」によると、多くの資源を得た息子は配偶者獲得競争に勝つことができ、一方、娘の場合は生殖パートナーを惹きつけるのが男子よりも一般に容易なので、手持ちの資源が少ない親は娘に投資するようになる(無駄になるかもしれない息子への投資よりも優先する)。トリヴァースとウィラードはさらに、親の状況が出生の男女比にまで影響しうると唱えた。
・フロレンシア・トーチの報告
 人間の事例でも、自然災害や政情不安など、強いストレスを引き起こす出来事が、性別決定に影響するという研究報告が増えている。たとえばニューヨーク大学の社会学教授フロレンシア・トーチは、妊娠3ヵ月目にチリで地震に遭遇した妊婦の間で男児の出産数が減少したと報告した。
・ルワンダ共和国での調査
 新生児の男女比は母親が富裕であるか否かによって偏りがあり、生活環境がよい母親ほど男児を産む割合が高い
 「経済状況・生活環境がよく健康な子どもが期待される場合は、母親が次の世代(孫の世代)まで遺伝子を残すには娘より息子を持つ方が有利だ」というもの。強く健康な男児はライバルとの競争に勝ち潜在的には数百人もの子どもを作る可能性を持っているためです。
 逆に母親が病気や栄養失調の場合、息子を持つことは遺伝子を次の世代に伝えるには不利となります。弱く不健康な男児は子どもを持つ年齢まで生存することすら危ぶまれるうえ、将来的に競争に勝ち子孫を残す可能性が低いためです。この場合は厳しい競争に勝たずとも妊娠できる娘を持つことの方が進化論的には合理的とのこと。

 以上、いくつかの記事(ソースが信頼性の高いものではないが)を紹介したが、ここで抑えておきたいのは、子を授かる際、夫婦を取り巻く環境が厳しい場合は、女の子を授かったほうが、より確実に自分たちの遺伝子を残すことができる、という動物の本能があるということである。
(そもそも環境の厳しさを抜きにしても、母親から生まれる子どもは確実に母親の遺伝子を受け継ぐのに対し、必ずしも(社会的な)父親の子どもとは限らない。このことから、自分の子が女児であれば、孫は確実に自分の遺伝子を受け継いでいるという構造がある。)

○ 橘玲氏のコラム

 「言ってはいけない」などの本で有名な橘玲氏は、コラム「乱射、放火…世界の「凶悪事件」の犯人は、なぜ「男性」ばかりなのか」において、現代が過酷な自由恋愛市場に変わっていると指摘している。

 そして、金持ち男性は人生で1度以上結婚するが、低所得の男は未婚率が高いことを指摘し、「時間差の一夫多妻」という概念を提示している。また、次のようにも述べ、男性の稼ぎとモテが連動していると主張している。

 男にとっての問題は、「(カネを)持てること」と「モテること」が一体化していることだ。逆にいえば、「持たざる者」は「モテない」。これが「無職+非モテ」で、社会からも性愛からも排除され、人格のすべてを全否定されてしまう。
 それに対して女は「持てること」と「モテること」が分離しているので、「バリキャリでもモテるし、ニートでもモテる(この逆も同じ)」。このため、「性愛を断念して仕事で頑張る(仕事を断念して愛するひとと暮らす)」という選択が可能になる。誤解のないようにいっておくと、これは恋愛市場において「男が不利で女が有利」ということではない。男女の性愛の非対称性によって、男の場合はオールオアナッシングで、競争の結果がよりあからさまに突きつけられるということだ。

 さて、これまで「男女の産み分けに関する研究」と「橘玲氏のコラム」を挙げた。この概念に加えて、客観的なデータをみてみたい。次の表5は、平成27年版厚生労働白書の図表「生涯未婚率の推移(将来推計含む)」である。

 1970年は女性の生涯未婚率のほうが高かったが、1985年に差が縮まり、1990年には男性の生涯未婚率が女性を超えていることがわかる。つまり、1990年以降は、自らの遺伝子を残すのであれば、女性の方が有利であるということだ。

 ここで重要なのは、1で述べた、夫婦が理想とする子どもの性別において女児が男児を上回ったのも1987年~1992年であり、男性の生涯未婚率が女性を超えた時期と重なっている

 以上の情報から、私は次のような結論を出す。

 なぜ近年、子どもの性別は女の子がいいという人が多いのか。それは、限られた男しか子孫を残せないという自由恋愛・恋愛格差社会が、自分たちの遺伝子を残したいと願う夫婦に対して「男の子」を授かることへの不安を抱かせ、より子孫を残すことができる可能性が高い「女の子」をほしがるよう無意識に働きかけているからである。

 自由主義は、社会構造、経済、思想の自由化に始まり、ついには我々の恋愛をも自由化した。その結果、多くの男達が子孫を残す機会からあぶれることとなった。それに飽き足らず、自由主義は、生まれる前から男を見捨て、女を求めるよう我々の深層心理に訴え始めたのだ。この世はかくも男には生きづらい。

 ちなみに、今度生まれる2人目も男の子だそうだ(笑)
 頑張れ、2人の息子たちよ。

(以上)

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