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生きづらさを輝きに!NO.22 急に親離れしていった思春期の娘。これは、娘ロスというものか。

思春期で、13歳の娘は、今にして思うと、小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたけれど、いつの間にか、心は少しづつ少しづつ大人へと成長していたんだろうなと思う。

上の息子2人は、今はもううちには居ないが、息子たちの中学生の頃を思い起こしてみても、浮かぶのは、あまりその時期は親子で話さなかったような、親と子どもの間に距離があったようにも思う。
逆に今の方が気持ちは近く感じる。

思い出すことは、バドミントンの試合や、合同練習の応援に月に数回は行って、ほぼ一日費やすということや、部活と、ジュニアの練習の間に、おにぎりやパンなどの捕食を、持っていっては、観覧席に脱ぎ捨ててある、制服の近くに、こそっと置いてきて、時間になると迎えに行っていた記憶しかあまりないのである。
もちろん、そこにはいつも娘の姿もあった。

長男は反抗期らしきものはあまりなかったが、すこーしあったのかもなって程度、次男は反抗期が長かった。
そして、娘は次男に似ているところが多いように感じる。

持って生まれた性格とか、気質的なものはあるにしても、子どもの性格的なものも、歳とともに成長し、変わっていくのかもしれない。

親は未熟、人間もみんな未熟者だとも言うが、歳を重ね、ずいぶん変わったなと、人を見ていても自分を見ていても、家族を見ていても思う。

娘はきっと、少し早いのかもしれないが、ある程度親から離れたいのだとは思う。

コロナ禍や、部活に入っていたことで、生活に制限されるということは、誰にとっも、大なり小なりのストレスでもあるのかもしれないが、娘にとっも、時期的に難しい思春期であったのもあり、今は気持ちが晴れ晴れしているのかもしれない。

娘は、中学2年生になる4月の始業式の日に、退部届を出して、本当はその時初めて、バドミントン部を退部したことになる。
娘は鳥籠の中の鳥だったのかもしれない、まだ、自由になるには早すぎる気はするが、いつかは、親元を離れ、巣立っていく。

そのことを考えると、普通のことかとも思う。
長男が県外に就職した時も、次男が県外に就職した時も、ロス感がしばらく消えなかった。

納得した子育てだったり、そうでなかったりしたが、いずれにしても、親元を離れていく子供のことを思うと自然に涙も流れ、立ち直るのに少し時間がかかったような気がする。

長男も次男も、今では年に数回帰省することが私の楽しみであり、家族の楽しみである。

しかしまだ娘は中学生である。
今しかやれないことを今やってほしいと母親の私は思う。

確かに、部活を辞めた娘のために、いろんな場所に行くことがなくなり、その分時間もできた、畑もあっという間に形になった。

しかし、私の気持ちはやっぱり子供のことを1番に考えてしまう。

親の気持ちはわからないのが子供だろうが、遅かれ早かれ、気づいてくれる日が来れば良いなとはやはり思う。

バドミントンコーチがおっしゃっていた『4月からのスタートが楽しみですね』と娘のことを100%思ってくれた、コーチの、前向きなLINEでの言葉。

コーチも残念だったと思う、しかし、気持ちは切り替えて、娘のことを思い、応援してくれている。

『私も応援しています』のコーチのLINEも凄く嬉しかった。

母親の私も今の気持ちではいけない。
頭で思っていることと、行動が違う。

昨日も2回目の、夜の時間、お菓子のやけ食いをしてしまった。
せっかくの2食しか食べてないことが意味ある?という行動である。

しかし、このやけ食いは、その時は効く。
馬鹿馬鹿しいテレビを見ながら、一人、お菓子のやけ食い。
と言っても、昔みたいには食べれないから限られてはいる。

昨日も、野菜の苗を買いに行くと言いつつ、近くの桜の名所に花見に夫と2人ほんの少しの時間行ったのであるが、あー、結婚当初に戻ったなあと、1人心の中で思ったのであった。
歳をとるってそういうことか。


(今日の相田みつをさんの名言)

『捨身』


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^






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