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生きづらさを愛と光へ!NO.15 90歳の義母が、肺炎と心不全状態で入院中。色々な想いが巡る・・・

先週の金曜日から、いつものように、ショートステイ先の施設へ、車で義母を送って行ったのだったが…

次の日の土曜日、本当は私は、福岡の大きなイベントに参加予定だったのだけれど、朝の5時頃、施設から、携帯に電話があった。

いつものように、目覚まし時計が鳴ったのだと思ったが、どうやら施設からの電話。

寝ぼけていたので気を取り直して、数分後施設に電話をかけた。

義母の息が苦しいらしく、酸素濃度の数値が低いからと、施設の方が救急車を呼んだようだ。

しばらくするとまた、数値は良くなったらしいが、一応、搬送して、診察をしていただき、大丈夫なら、施設に戻ることもあると救急隊員の方は話していたということを、介護士の方から聞いて、電話を切った。

先に、搬送された義母なので、付き添っていただいてたまだ若い介護士の方が、再び電話をしてくださった。

肺炎で入院になりました。

そう聞いて、搬送先の病院へ、夫と2人向かった。

結局、心臓内科の先生が、心不全と肺炎を起こしている状態なので、今すぐどうのということはないと思いますが、急変するということも、年齢が年齢なので、無いわけではないですし、今すぐ家族を集めてと言うことでもありません、と仰った。

義母は、点滴をしてもらっていて、今まででは1番顔が浮腫んでいた。
寝ている状態で話しているというのもあるだろうけど、あまりはっきり話さず、ろれつも少し回っていないなと感じた。

一度家に帰り、車で片道1時間15分程の距離にある病院へ、準備するものを持って、書類を書いて、再び行く…

夫、娘、私で面会したが、3人のことはちゃんと分かった。

また、1日おいて、面会へ行った。
義母は、今度は酸素チューブが鼻に付いていた。
ご飯もほとんど食べて、リハビリをするため、理学療法士の方が丁度来られていて、足の上げ下げから、足踏みできるかなど確認していたが、さほど問題はなさそうだった。

入院前に義母は、水曜日のデイケアも、金曜から行くショートステイも、どこへも行かない!と言い張った。

言い張ったが、夫が仕事前に、義母の枕元で少しの間、話をしていた。
その内容は全て聞いていた訳ではないが、俺たちも生活があるから、ずっとは看れないし、足も弱っていくというような話や、施設を勧める話もしたようだった。

そんな話から、たまたま、義母が救急車で運ばれる2日前に、ケアマネがうちに来られた。
夫が義母に話した日と同じ日だった。

その時、私は義母に、もうどこへも行かないんだよね?と確認をした。

デイケアも行かないんやろ?と確認して、ケアマネに相談しようとしていたら、半分キレた感じで、行かんばやろー!!と言った義母だった。
本当は行きたくないというのが顔に書いてあった。

2度くらい確認して、ケアマネに今まで通りで、と言いつつ、ここ最近の様子を話し相談した。

そうこうしていた、このタイミングで入院した義母。

元々、9年前に、大腿骨の骨折からの心臓のバイパス手術、足の血管移植手術などもあり、入退院を繰り返した義母だった。

9年間の間に私たちも、地区の役員などが重なりとても義母までは看れないという状況になり、しばらく施設に入っていた。

その後私も一時期、パートに出たのだったが…
結局は仕事を辞めることになった。

義母が施設に入っていたしばらくの間、病院へ連れて行ったり、必要なものを持って行ったり、面会に行ったりはしていた。

その後、義母が家に帰りたいと言って大騒ぎになり、夫婦揃って同情してしまった。

今思えば、そこが大きな分かれ道だった。
しかし、その時はその決断しか、私の中にはなかった。
家族全体のことを考えた結果だった。
家族の考えをまとめた結果。
その時はそれで良かったのだと思う。

しかし今、状況は違う。

ケアマネも言うように、同情すると、自分たちも最後まで看ることになるし、それができるのかと言われれば、それはできないと思うところである。

家と、デイケア、ショートステイを行ったり来たりする中のどこかで、家に帰りたいと思う義母を、病院なり施設なりにお願いすることが良いことだと納得する時が来る。

一度は入院先から、他の病院へ転院、施設にと、家には帰ららない方向でと話してはみたものの、そこで同情?今まで看てきたのもある、いろんな想いがある。
気持ちが揺れる。

いやいや、しかし、と、私の気持ちもまた揺れる。
氷か?冷たいか?薄情か?氷結か?とさっき夫とも話したばかり…
色々思わない訳ではない。
一度決めたことでも、大きな決断をする時、とても大きな波が押し寄せ、凄く揺れる。

義母の実の娘(夫の姉)も、見舞いに来て、うちにも寄ったので、昨日話をしたが、私たちの大変さも分かってくれたようで、「大変よ、自分たちの生活が出来なくなったら元も子もないから」と、納得はしてくれた。

本当に、介護に答えはないのかもしれない。

人の命って本当にわからない。
なので、これから先のことも、あと数日で今の病院から次の場所を決めることになる。

私は私で最近、色んなことを始めたので、そこそこ、時間はハードスケジュールではある。

やるべきこともたくさんある。
一つ一つクリアして、毎日毎日を大事に生きていくしかない。

今年は、色んな波が既に押し寄せているが、まだまだこれから色々ありそうである。

前向きに考え、生きていきたい。



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^




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