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生きづらさを輝きに!NO.64 noteの世界で、noterさんの記事に毎日出逢うのも、心の大きな支えになっています「介護編」


私が義母の介護に携わるようになって、8年目を過ごしている。

ちょうど8年前のその頃と言えば、長男が県外に就職していったり、長男と一回り違う娘が小学校に入学したりで、何かとバタバタした時を過ごしていたのだと思う。

その2年前くらいから、義母と一緒に住むという話になり、と言うのも義父は、その数年前に他界しており、義父は私たちが家を建てた時に一緒に住むか誘ってはみたが、「一緒には住まん!」と言い、同居はしなかった。

それに引き替え、1人になった義母は何故か私たちと一緒に住むことを急かすように、「まだ一緒に住まれんとね?早よう一緒に住むごとしてくれんね」という言葉を数回口にしていた。

義母が住んでいた家は、もう古くなり、雨漏りなどもしていたが、家のあちこちにガタがきていた。

義父の葬儀をする時代までは、斎場ではなく、家でお通夜、お葬式という風習だった。
その為、家のあちこちを修善したりして、どうにか葬儀に間に合わせたのだった。

どちらかと言えば、義母は、私たちに頼りきっていて、と言うよりも、孫と一緒に住みたかったのだとは思う。

しかし、私の息子2人は、高校を卒業すると、県外に就職していった。
娘はそれと同時進行で、思春期へと進んでいく。

義母の住んでいた夫の実家から、仏壇の供養(御霊抜き)をしてもらって、お位牌と遺影を私たちの住む家に持ってきた。
その日に、元住んでいた家の玄関先で尻餅をついた義母。

その数日後、住民票の手続きなどで、総合支所に夫と義母で行き、車から降りる時、もう一度尻餅をつき、そこから立ち上がれなくなった。


義母は結局、大腿骨を骨折していた。
そのことをきっかけに、入退院を繰り返すことになる。
それからが色々な病気が明るみになった。

入退院を繰り返し、色々な病院を転々とし、家に帰ってきては、次の病気が見つかったりして、数年が過ぎていった。

デイサービス、デイケア、ショートステイ、色んな所を転々とした。

ショートステイも、初めは機嫌良く行くが、途中から、色々なことを言いだすので、行かないと言って次のところを探すの繰り返し。

私たちも、地区の役員や、学校の役員、子どもの部活の役員や応援なども一生懸命やってきたつもりである。

どうしようもこうしようも、家のことが回らないとなった時、夫から義母に事情を説明してもらい、施設に完全入所したのである。

義母は糖尿病で、その時からバルーンカテーテルを付けていたが、足腰は元気になっていた。

義母は見かけがとても元気なので、いつも元気と言われるが、本当はそこまでではない。

施設に2年半入所していたので、初めのうちは、病院に連れていったりもしていたが、月1度か2度着替えを持っていったり、面会に、月に2回くらい行ったりしていた。

その頃は私も一年したら役員の仕事も楽になったのでパートに出ていたのだけれど、夫と2人ホームセンターへ、レモンの苗木を買いに行っていると、施設から電話が鳴った。

「〇〇さんが、3日前から荷物をまとめて、家に帰ると言って聞かないんです」

それを聞いて、ゼリーやお菓子などの差し入れを持って行き、なだめて帰ろうと思っていたが、「今日絶対、連れて帰って!ここにはおれん(いれない)ドロドロするのを食べさせられて!」と、他にも色々なことを言い、怒っていた。

施設の方はむしろ良くしてくれていただろうと思っているが、義母は色々詮索して、もう何を言っても聞かなかった。

それで私たち身内が連れて帰らなかったら、もう、鬼扱いされるレベルだっただろう。

それから1週間ほどの薬を持ち帰り、その後は施設に帰そうとしていた。

が、その頃、娘の修学旅行、次男が初めて彼女さんを連れて帰ってくるというのが、決まっていた。
色んなことが重なった。

次男はばあちゃんっ子。
悩みに悩んだ。
次男は
施設で窓越しに面会なんて嫌だという。
家でゆっくり義母と会いたいのだと。

次男のことを思い、それまでは家にいることにさせたが、それからも、施設に帰ることはなかった。

それまでは本当に義母に対しても思いやりを持って接していたし、会えない時は手紙を書いて荷物の中に入れて、施設の方に預けたりした。

良くも悪くも、その手紙書いたから?と考えたが、もうそれからが、痴呆も進み、義母の中に違う人格の人間が現れた。

介護も、仕上げの段階かと思っていたが、人の命なんて本当にわからないし、仕上げがどの程度の期間続くのかもわからない。

義母が心房細動と言われてから、1ヶ月ほど。
今日受診すると、「90歳になってパワーアップしたんじゃない?」と、内科の先生は仰っていた。
「知らん間に90歳になっとったね!」
と仰った先生とは数年ぶりに受診するまで違う先生にお世話になっていた。
また、今回の心房細動からお世話になることになった。


いや、私としては、そこそこ限界が来てるなぁと思っている。
義母ではなくて、私の…

スポーツでもなんでも、限界まで! 限界を超えて! 限界を何度も超えて! なんて聞くけど、それだ!それ!

継続は力なり。
どれも長くなるときついんだと思う。
私には幸い、色々話を聞いてくれる夫や、家族、姉弟、友人、そして、noteの世界でのnoterさんの記事に毎日出逢うことで、介護や子育てなどに対しての、不安やストレスなど、私の心の支えになっています。

日々色々考え、まだまだ人間的に器のちっさい私ですが、少しでも器がおっきくなるように精進していきたいです。

そして、いつも支えになってくれている皆様ありがとうございます。



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^





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