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68.移住6年目、留学ビザをもらえなくなる

私の人生において、何の問題もない順調な生活というのは長続きしないのがデフォルトになっています。
誰もがこんなものかと思っていたのですけど、ここまで書いて色んな方から感想をいただくなかで、前から薄々感づいてはいましたけれどこういう人生は普通じゃないのだと確信しました。
というわけで、またしても問題勃発です。


年に1度の更新手続き

新居への引っ越しはオーナーの好意で早々に始めることができたものの、すでに予約の入っていたB&Bのお客さまを断ることができなかったため、決めていた5月1日から入居することができませんでした。
プライベートエリアに荷物だけ運び、約1週間はどこか別の場所で寝泊まりする必要があります。

この機会に旅行でもしようとネットで航空券などチェックしていたら、なんとアリタリアの日本往復が700ユーロぐらいの破格な値段で出ていました。
イタリア国内を旅したとしても、移動や宿泊、食事代などで同じぐらいの金額がかかりそうです。
そこで、実家に居れば宿泊費も食費も不要な「東京旅行」という名の一時帰国をすることにしました。

そして約10日間の滞在を終え、ローマ・フィウミチーノ空港から新居へ直行、晴れてタワマンに正式入居となったのです。
しかし、のんびりしている時間はありません。
滞在許可証の期限切れが迫っていたのです。

留学用の滞在許可証でイタリア移住して6年目、6回目の更新手続きになります。
学校への1年分の授業料はすでに払い込んであったし、このころには書類の準備やキットの記入にも慣れてきていたものの、それでも具合が悪くなりました。
滞在許可証の更新だけでなく、引っ越しや一時帰国も重なり疲れが溜まっていたのでしょう。

いつものように郵便局からキットを送り、チヴィタヴェッキアにあるクエストゥーラのアポイントメントを取りました。

あの日見たお城の脇から昇る太陽

5月半ばのある日、朝9時の出頭を指定されていたので、5時起きで一番列車に乗りチヴィタヴェッキアへ。
具合が悪くてぼんやりしていましたが、なんとか面談と指紋登録を終えます。

そして、半ば恒例となった順調な滞在許可証更新の御礼参りです。
チヴィタヴェッキアの「日本聖殉教者教会」へ行き着物姿のマリアさまを拝んで、また2時間かけてブラッチャーノまで戻ってきました。

受け取ったら学生用じゃなかった

それから2ヵ月ほど経ってチヴィタヴェッキアまで出来上がった滞在許可証を受け取りに行きます。
いつものように指紋認証とパスポートで本人確認して、許可証にある生年月日や名前の綴りなど記載事項に間違いがないかチェックし、晴れて6枚目の滞在許可証を受け取ります。

そして、実は確認のときに「あれ?」と思ったものの何も言わずにいた項目があり、それは「Tipo di Permesso(許可の種類)」という滞在理由を示す部分でした。
いつもは「Studio(勉学)」だったのに、「Riceraca Lavoro」と記載されていたのです。

ちょっと何が起こったのか分かりませんでしたけれど、なんとなく第六感が働き、異議を申し立てずそのままの状態で受け取ります。
有効な滞在許可証であることに変わりありませんから。
ここで面倒なことになって、再発行手続きに時間がかかるのも同じ手順をイチから踏むことになるのもイヤでしたし。

それにしても聞いたことのないワード、「リチェルカ・ラヴォーロ」とはいったい何なのでしょうか?

仕事探し用の滞在許可証

Ricerca(リチェルカ):探索、探求、捜索
Lavoro(ラヴォーロ):仕事
というわけで、リチェルカ・ラヴォーロとは、求職中の人に発行される1年有効の滞在許可証のことでした。

イタリアに滞在するのにそんな理由があるとは初耳です。
そこで、周囲の人に聞いてみたら、ローマの音大に留学している知り合いの多い友だちから有効な情報を得ることができました。

彼女曰く、それは求職ビザと呼ばれるもので、イタリアの大学を卒業した人にのみ発行されるタイプの滞在許可証だと言います。
私のようにアートスクールに通っていただけでは発行されないし、日本の大学を卒業していても発行されるものではありません。
とにかくイタリア国内において学士や修士、博士課程を終えた場合に限り卒業後1年間の滞在猶予を与える、というものでした。
その1年間で仕事を探し、見つかれば、そこから就労タイプの滞在許可証に切り替えることができるのだそうです。

思えば、チヴィタヴェッキアのクエストゥーラでの面談のとき、面接官が「アートスクールを卒業したらどんな仕事があるんだろうねぇ?美術館かな?修復の仕事かな?」などと言いながら、パソコンに私の情報を入力していました。
どうやらアートスクールで留学できる年数は5年までだったようです。
その5年を終えたので、面接官は卒業したとみなし「求職中」の滞在許可証が発行されるように手続きをした、というか、してくれたのでした。

それが面接官の単純ミスだったのか、意図的なものだったのか、今となっては知るすべもありません。
そしてこの滞在許可証の保持がこの後、吉と出るか、凶と出るか、この時点の私にはまったく予想することができませんでした。


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