13.帰国して失業保険をもらう
シェンゲン協定により90日間のイタリア滞在でした。
この90日間のために働いてきたようなものとばかりに金に糸目をつけず遊びまくり。
日本へ戻ったら、甘い夢から覚めたかのように厳しい現実が待ち構えていました。
ニート生活の始まり
マンションはすでに不動産会社に引き渡し済みなので両親の暮らす家に戻ってきました。
仕事もないし、やることもないし、正真正銘ニート生活の始まりです。
再びイタリアへ行くまでの間、正直言ってなにをしていたのかあまり覚えていません。
3ヵ月の滞在ではイタリア語が話せるようにならなかったので、次の渡伊では現地で外国人のためのイタリア語学校へ行こうと思っていました。
なので、その下調べをしたり、行き先が決まってからは準備をしたり。
せっかくのイタリア語脳を保持すべく、毎日NHKのラジオイタリア語会話を聴いてそれをそのままワードでタイピングする、というようなこともしていました。
この期間に日本でイタリア語教室へ行くことはせず、代わりに生のイタリア語会話に触れるため、ソッチ系のお誘いがあればこまめに出かけて行ってましたね。
写真は過去ブログから。
この間、アホみたいに日本国内を旅していました。
ニートで肩身の狭い思いをしていたようで、あまり家にいたくなかったらしいです。
失業保険を満額もらう
ニート生活の唯一のミッションは失業保険をもらうこと。
自己都合で会社を辞めた場合、まずは職安に出向いて職探し中である旨をアピールする必要があります。
それが認められてから、さらに2ヵ月の待機期間を経て、やっと失業保険をもらえる、という段取りになっていました。
なので、本当はイタリアへ行く直前に職安へ行っておけば、ちょうど帰国した辺りからもらえたはずです。
そんなことすら知らなかったし調べもしなかったので、思ったより長いニート生活を送ることになったのでした。
無事に失業保険の受給が始まり、私の場合、満額で6ヵ月分が支給されるので最後の職安出頭日以降をイタリアへの出発日と定め、留学準備に入りました。
給付金額で決めた留学期間
最初に考えたのは留学期間をどれぐらいの長さにするかです。
3ヵ月滞在していて、それじゃぜんぜん足りなかったのは実証済み。
いくら語学学校へ行ったとしても、そう変わらないと思いました。
かと言って1年間も必要か。
当時の私はすでにアラフォー。
のんびり1年間も留学していたら、その先の人生設計を立てにくくなりそうです。
失業保険でもらった金額がちょうど半年分ぐらいの学費になるので、ただそれだけの理由で留学期間は6ヵ月、と決めたような気がします。
ニート生活の終わり
何でも終わりが分かると充実度が増すというか、イタリア行きの日程が決まったことで宙ぶらりんな状態から抜け出し、逆算して行動することができるようになりました。
日本に帰ってきてから約8ヵ月。
前半は国内を旅してまわり、日程が決まってからの後半は図書館通いに映画三昧の日々でした。
読みたかった本や見逃した映画など、心の赴くままに自分の中に取り込んで、ニートとはいえ本当に充実した時間を過ごすことができました。
文句を言いながらも、その境遇を許してくれた親に感謝しないといけないですね。
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